行人徒然

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カカイルオンリー行って来た
2001年09月30日(日)

 名倉くんが、お友達との旅行が無くなったって言うんで二人でオンリー行って来たよ。なんか、毎月オンリー行ってる気がするんですが。しかも、先週もイベント行ってなかったか、自分。
 相変わらず自分ではほとんど買うことが無かったんだけど、自分的に旬なカップリングの一つでもあるアスイルのコピーを一冊と、可愛らしいイルカ先生が肉まん?をかぷっと上目遣いに食べてるイラストがかわいいチラシを配っていたサークルさんの〔なんか変な文だぞ〕ご本を一冊買いました。
 ま、アスイルはまあまあでしたが・・・・・

 その肉まん食べてるチラシのサークルさん!イルカ先生がちょぉぉぉっぉおぉぉぉぉかわいいんですけど!(うるさい)
 もう、次回から買います。あなたが出す本、全部買わせてください!もう、すっごいステキ!!!

 今回もいいエロ本は探せなかったけど、変わりにイイヒト見つけました。


ヒオウギくんのエンディング
2001年09月29日(土)

 別館で作ってる長編?のエンディング2こと、「ほんとの主役はヒオウギだったんでしょ」編にとりかかったはいいけれど、いつまでたっても終わらない。勝手に動いて困るキャラだったけど、台本通り?に動いてもアドリブが多いことが判明。監督泣かせのキャラクターだよ。とほほ。
 こいつのおかげでカカシ先生は見せ場をだいぶ削られて、マジで脇役に転落してるって言うのに、この先まだ出張るんかい!っていう感じ。カカシしっかりしろ!このままじゃ、最後の最後でへたれ受決定になっちまうぞ!!!

 ・・・・ま、この話を書き始めたのが6月。もう10月だよ。随分長い事あの話と付き合ってきたわけで、もうすっかりオリキャラにも愛着がわきました。全部完成するのに半年はかからないだろうけど、毎日毎日、それこそほとんど休み無しに書きつづけてきた日々は、きっとこのジャンルを離れてもいい思い出になるだろうな。
 次に書きたい話もあるし、まだまだナルトっていう漫画は始まったばかりだし(エンディングもなんか想像できるけどね)、もうすこし・・・ね。
 しないっていってたオフライン活動も、M.D.F.の名前のままでコピーし出したりする予定が立ってくるほどあやふやになってきた。あの話が完成したら、あちこちの矛盾点を訂正して、入れたかった話とかも加えて、ちゃんとした本も作りたいなとか思いはじめた。
 だってすごいよ。自分でいっちゃうのもヘンだけど、A4で3段縦書きなのに、総ページ数は60枚越える見込み。今オンラインで22だったか23だったかまで出てるけど、そこの段階で36枚。予定はその倍近い量だもん。武神越えたよね。

 でもね、別館の方がたくさんの人に見てもらってるけど、けしてストを忘れたわけじゃないよ。たくさんの友人ができたこのジャンルから、あたしは足を洗うつもりは無いもん。ちょっと・・・休んでるだけ。
 別館はもう5000後半になって、本館の7000なんてすぐに追いぬいちゃいそうだけど、でも、どっちも頑張るからね。みんな、もう少し付き合ってね。



朝起きられないそのわけは?
2001年09月28日(金)

 言われるまでも無く、低血圧で寝汚い自分。どんなに早く床についても、朝は全く起きられないあたりが不思議だ。これはかつてのトラウマに起因してるんじゃないかな、と思っている。

 朝が永遠に来なければいい。
 夜に眠る布団の中で見る世界が現実で、目覚めた世界は誰かの夢の中。
 だから、朝が永遠に来なければ、あたしは自分の描いた夢の中で生きていける。

そう考えたあのころのトラウマが、あたしの意識をいまだにいじりつづけている。
 どんなに朝を待ち遠しく思っていても、あたしの意識は朝になっても自然と目覚めることは無い。目覚ましの音を憂鬱に止め、闇を追い払う光を呪う気持ちは拭い去れない。今日も朝が来てしまった。そう思いながら、まだ動かない手足をどうやって覚醒させるか考える。その様は社会生活不適応者のようだ。
 その上、あのテロ事件が更に拍車をかけた。
 平和だとか、自然保護だとか、弱者の擁護だとか、そんなことを言っている世界。そこに突っ込んでくる飛行機は、夢は夢でしかないことを思い知らせるための特攻隊の様だった。
 結局、夢は夢でしかなく、現実は嫌なことを想像させ、不安を振りまいていく世界。そんなふうに、あたしの中で何かが変わろうとしている。
 現実から逃避したい自分。
 現実を認めたくない気持ち。

 自分でも、どうしたらいいのかがよくわからない。



感謝
2001年09月27日(木)

 時々、母親が弁当を作ってくれる。自分で持っていくとおかずが一品にすし詰めのご飯とか、固く握り締めたお結びが2個だけとかだったりするんだけど、母親が弁当を詰めてくれた日はおかずがたくさん入っている。


 まだあたしが幼稚園に通っていたころ、家には浄土真宗の漫画が置いてあった。祖父母が孫のためにと置いていった3冊の漫画。教育絵本と欠いてあるそれは、3色刷りのあまりいい紙ではないものだったように覚えている。今はそれがどこにあるかわからないが、その絵本は繰り返し詠んだので内容をよく覚えている。

 一冊は親鸞上人の生立ち。
 一冊は親鸞上人の教え。
 一冊は釈迦の話。


明日ありと思う心のあだ桜 むべ山風に嵐と散るらん

 春に上人が出家する時の歌だ。子供心に、納得してしまったのを覚えている。夜中にその法師のところにやってきた親鸞は、もう遅いから明日にしようと言う言葉にこの歌を返したのだ。
「明日があると思って興味無かった山の桜は、強い山風(=嵐)で散って、結局見ることもできません」
 だから、今すぐ出家したいのです。明日があると思っていては、結局何もできなくなってしまうかもしれません。思い立った時にそれをしないと、後で後悔するかもしれないし、後悔するのは嫌ですから。

 この時のページは、もうそれを見なくなって何年も経ったと言うのに、今でも鮮明に思い出すことができる。



 それから、思い出すのは紙の匂いの話と、大きな石を船で運ぶ話だ。親鸞上人が二人の弟子と旅をしているのだが、一人はしっかり者で、もう一人はあわてんぼうのそそっかしや。いうなら、水戸黄門と、各さん〔または助さん〕にうっかり八兵衛の三人組というところかな。
 で、道中いろいろな教えを説いていくのだ。

 道端に落ちている紙くずを、一つずつ弟子に拾わせる。一つは菓子を包んでいたのか甘い良い匂いがし、一つは肉か魚を包んでいたのか生臭い匂い。
 本来、紙はにおわない筈なのに、何を包んでいたかでそれは変わる。人も、心の中に悪しきものを入れるか良きものを入れるかで、全く変わってしまうのだ。
 紙が中にあるものと同じ匂いを持つように、人も心の中と同じになってしまう。良き人になりなさい。そのためには良き心がけを忘れない様にしなさい。周囲に良き人たちを置きなさい。

 親鸞は川岸で、二人の弟子に石を持たせて川に投げ込ませた。どうにかして石を浮かせてごらんと言われて、弟子達は何度も石を投げ込んでみたり、そっと川面において見たりした。だが、石は浮かぶ事無く、いい加減に疲れたところで親鸞は言った。
「あの船を見てご覧」
 そこには、大きな岩を乗せた船があった。
「それ一つだけではどんなに小さくても石は沈む。しかし、船と言う助けを得れば、どんな大きな岩だとしても水に浮かぶことができるのだ」
 人も、一人では苦しみや悪に沈んでしまう。誰かの助けを得、また、あなたも誰かを助けてあげなさい。誰もあなたを助けてくれなかったとしても、仏様の教えは必ず巨大な船となってあなたを濁流から救ってくれるはずです。



 この二つの話は、最近特に思い出す話だ。漫画のコマ一つ一つを思い出すことができる。詭弁と言われるかもしれない内容かもしれないし、お前は果たして仏教徒なのか、キリスト教徒なのか、それ以外の神を信仰しているのか、無宗教なのかと問われるかもしれない。
 でも、この話はとても好きだ。どんな宗教も、同じ事を言葉を変えていっている。だから、これは真実の言葉なのだと思う。ただ、それをあたしに教えたのは浄土真宗という宗教だったに過ぎない。



 最近、昔ならどうでもいいようなことに感謝をするようになった。自分の甘さやわがままを思い知るようになった。
 歳をとったのかもしれない。ようやく子供を脱してきたのかもしれない。
 もう少し早く感謝を思い出していれば、この大好きな話をもっと早く、自分のものとして実感することができていたら、あたしは違う道を歩いていたのだろうか。
 でも、人生なんて歩いてきたそばから崩れる道の上にあって、絶対に後戻りなんかできないんだから、この先如何にして歩いていくかを考えるしか方法は無いだろう。
 思えば、自分はなんて恵まれていたのだろう。

まずはそこから感謝して。

 振りかえらずに、先へ進もう。迷わない様に、おぼれない様にみんなが出してくれる手を片手で握り締めて。
 もう片方の手で、おぼれる誰かの手を握ってあげながら。

進もう。



やったぜ!
2001年09月26日(水)

 別館で書いてる話が、とうとう一つの区切りまでこぎついた。いくつかのエンディングを考えていたのだが、その中の一つを書き終えたのだ。あと発表するエンディングパターンは2つ。うち一つはもう手をつけている。
 思えば、こんなに長い話を書くのは久しぶりで、多分ページ数は武神を軽く超えると思う。ぜんざいwebに発表されている分だけで計算しても、A5サイズの紙に8ポイントの字で3段更正にして30枚になった。実際はこの倍以上の容量があるわけで、もうそれを考えただけでも一冊の本ができそうだ。
 自分でこの30枚を通して読むと100分近く掛かるので、全部できあがった暁には200分以上、つまり、3時間以上かかって読むと言う、自分的には「超大作」ができあがる。
 余談だか、自分は普通の人よりも読むスピードが速いらしい。他の緋とがどれだけの時間をかけて読んでくれるのかはわからないし、中身が面白いかどうかは、同人誌なのでそのジャンルが好きだから読んだ・・・という人の判断に委ねようと思う。

 願うことは、その時間が終わったあとで
「無駄な時間を費やしてしまった」
 と思われないこと。
 面白かったなどと言われなくてもいい。でも、つまらなかったとは言われたくない。




 でも、ここまで書いてこれたのは。
毎日あたしの愚痴をうだうだ聞いてくれる名倉くんと、
別館をブックマーク登録して通ってくださる、顔も名前も知らない人たちのおかげ。
 ありがとう。


書くこと読むこと
2001年09月25日(火)

 感受性が強いのかな。そう思うことが増えてきた。普通は大人になって年を重ねていくと、泣いたり笑ったり、感動したり、そういう感情が磨耗してなくなって、鈍くなってしまうものらしい。だけど、自分は相変わらず子供のように感情を露わにしているし、新しい発見を重ねるたびに感動して一人で馬鹿のように喜んでいる。

 発見と言えば、この前、庭の酢橘の葉っぱにセミの抜け殻を見つけたとき、やっぱり感動して阿呆のように突っ立ってて会社を遅刻しそうになった。
 コンクリで固められた駐車場の真横に立っている酢橘。あと数センチでも寄っていればそのセミは地上に出れなかったはずだ。多分、地上に出てそのセミは、ガレージのあの錆びたパイプをよじ登り、僅かに触れる酢橘の葉っぱにしがみつくと、秋の気配を感じる風に吹かれながらゆっくりとその背を割り、羽を伸ばして飛んでいったのだ。
 何年も暗いその闇で過ごしてきた目に、太陽の光はどんなに眩しく映ったのだろう。

 そうそう。
 自転車置場の傍にある、あの枝にいたはずだった最後の幼虫。あたしが仲間を連れ去った3日後から姿を消した。さなぎになって身を潜めているのか、それとも仲間を探しに自分も旅立ってしまったのか。毎朝探しているけど、その姿は見つからない。




 話がそれてしまったけど、あたしにとって話を書いたり、誰かの話を読んだりすることは、間違いなくその世界にもぐりこんで同化する事だ。失敗を繰り返す現実のリセットボタンを無意識に探したり、疲れて眠い体に与えれば元気になるであろう呪文のありかや薬草のありかはどこだったかを考えて苦笑する毎日から抜け出す事だ。
 ただ、感受性が強すぎるのかな。
 そう思っているのだけど。

 誰かの話を読んで、同化が上手く行くかって言うのは、当然書き手さんの実力や技巧によるところが大きいのだけど、いったん同化してしまえばもうその先は凄い。
 視界が追うのは現実と同じように鮮明に映る幻。でも、その文字を追っている間は間違いなくそこが現実になっているし、自分に文字を追っているという感覚はない。登場人物の感情と自分の感情がシンクロし、共鳴が強ければ読み終わった後もしばらく虚ろになってそこに転がっている。
 余韻とか、そういう問題ではなく、本当に虚ろな状態で、空っぽの自分だけが認識できる。空っぽの中に本当の現実が戻ってくるまでにはしばらくの時間がかかるし、無理に現実へ帰ってきてもろくろく動くことなんて出来ない。

 自分が書くときもそれはおなじ。でも、自分なのだから技巧云々とかそういうことはない。
 目の前に広がる出来事や景色。感じる心や感覚を、そのまま正確に文字に変えて説明していくだけ。

 どっちの場合でもそうなんだけど、自分には選択肢のない定められた世界と未来の中を、手探りで生きて切り開こうとする作業とそれは良く似ている。どうあがいても定められた決定している未来はかわることなどないのに、どうにかして思うとおりの世界へ変えていきたい祈りにも似ているのだろうか。

 時々、現実を生活していなければいけないその瞬間に、虚像で作った世界の中へ無償に逃げたくなる。
 読むこと、書くこと。
 それは虚像で積み上げた甘い幻で、以前抜け出せなくて数日間そこにこもりっぱなしだったこともある。食べる事さえろくに出来ず・・・・体が求めないので・・・・眠るのも切れ切れにほんの僅かな時間を。
 はたから見れば、どんなふうに見えたのだろうか。
 目をぎょろつかせながら、部屋中の書物を読み漁り、ワープロの前に向かう自分。声をかけてもろくに返事さえせず、虚ろに天井を眺める時間。

 でも、自分はこんな時間がないと「現実」を保てない事を知っている。たまっていくストレスと、すれ違ったまま離れていくだけの自分の夢。理想。
 そう言ったものがたまって、心の中で虚になって壊れてしまうその前に、自分は現実から遠く離れた世界に出かけてしまうのだろう。
 毎日パソコンに向かって話を書くこの数時間。そんなに自分は疲れて壊れそうになっているのだろうかと思うと、かえって哀れで笑えてくる。
 金はなくてもそれなにりに自由で、それなりに満たされ充実していたらしい時間はもう去った。今は多少少ないと感じる程度の金を得て、自由も満たされた時間も失ってこうして現実から逃げている。
 なにが本当にしたいのか、なにが正しいのか、そう言う事を考えるにはあたしは無知で無力で、そして愚かだ。

 書きたいと、読みたいと、そう願う心は病んでいるのか。

 それを知ることが出来るほど、自分は哲学者でもなければ心理学者でもない。まして医者でもないのだ。
 ただ、自分が逃避した結果で、誰かが喜んでくれると言うのなら、それでもいいのかもしれないと、このことを考えようとするたびに安全弁のように思考を制御する頭痛と脳を固める靄の中で朧に思うだけだ。


オトナ本
2001年09月24日(月)

 新宿にある同人誌ショップへ行ったよ。お目当てはカカイル本。そしたら、すごくエッチそうな表紙のイルカ先生発見。
 どぉしよう・・・・
 相方とじゃんけんして負けた自分。仕方ないので2冊あったそのどちらも購入1,400円なり。中身が見れなかったけど、これは間違いなくエロいでしょう。しかも、立ち切りの部分が白いから、間違いなく小説メインでしょう。

 帰宅後、中身を見る。

 ちょぉエロい〜〜〜〜!!!!

 いいカイモノしました(おいおい


 でも、ストーリーが悲しいんだよね。アンハッピーエンドばっかり。自分もハッピーエンド書くの苦手だけど、たまには幸せにしてやってくれよ。



 ちなみに、今日はパスタ&ケーキの食べ放題に行って、その同人屋さんに行ってちょっと散歩してネットカフェ行って、ラーメン食べて、カラオケして。
 忙しかったけど、充実しちゃった。
 名倉くん、付き合ってくれてサンキュー。


忍ちゃんの蔵。
2001年09月23日(日)

 今日は有明でナルトオンリーイベント。すごいよ、オンリーなのに2000サークルだもん。いや、メジャージャンルは違うね。ストなんて頑張ったって50あつまんないよ。
「ねぇ、あのさ。『しのびの蔵』だとなんか忍者屋敷みたいだけど、『しのぶの蔵』だとエロゲー見たいじゃない?」
 我が相方のこの台詞には笑ったよ。何てこと言うんだろうね、この人。赤影からキューティーハニーくらいの格差があるよ。あ、キャッツアイか?ダーティーペア?どれにしても年齢ばれそうなくらい古いよ。

 で、その『忍ちゃんの蔵』は、半数近くがカカイルで、もう、幸せだったのに、なんで買った本はイルカカなんだ?つうか、カカイルで読みたい本って、なんか少ないんだよね。毎回毎回言ってる気がするんだけど。自分が今、カカイル書いてるせいかもしれないけど、影響されたくないのかもしれない。

 その後、またまたしゃぶしゃぶ食べ放題。でも、今回は野菜スープにするきなかったから結構にごったよ。しかし、狂牛病騒ぎなのに、よく牛肉食うよ。
 もっとも、あたしに言わせれば牛肉食べて狂牛病になる確率より、水道水飲んでアルツハイマーになったりするほうが確率高いような気がするんだけどね。


秋眠?
2001年09月22日(土)

 最近すごく眠い。春眠ならず、秋眠で暁を覚えない感じ。
 とりあえず別館のサイトいじりを続行。本館よりも充実してるよ。品プリか、ここは?ようやくフレームバージョンがほぼ完成。実はまだ各務・・もとい、別館なので「行人」ページが未完成なんだけど、それが終われば次はノンフレームバージョン。
 さらに、別館はIEもネスケも4.0未満のバージョンで見てる人とか、ドリキャストか、それ以外とか、マイナーなブラウザのお客様が1割ほどいらっしゃるので、その方々に対応すべくpig形式の画像ファイルを使わない、ノンフレームのスタイルシートを使ってないページも作らなきゃいけません。本館はそう言う方はお見えでないので、そこまでしないけどね。
 はじめのころは、こんなに自分がいろいろできるなんて思ってなかったけど、ここまで来ると次はフラッシュとかも使ってみたいよね。極めきれなかったCGIやこれから手を出したいJAVA。いろいろやりたい事が出てくる。
 ああ。これで自分が絵を書けたら、もっといろいろいじれるかもしれない。やっぱり相方の絵だから、思いきった加工はできないんだよ。サイトも、相方の顔に泥を塗らない様、いろいろ考えながらつくんなきゃだもんね。あまり野暮ったい作りだと、せっかくの相方の絵が死んでしまうし、馬鹿にされちゃうもの。

 美術、マジで2だったんですけど・・・・デザインの能力、最初の頃から上がってきた?



三連休
2001年09月21日(金)

 世間では三連休と大騒ぎ。先週の休みが土日で恩恵を受けられる人が少なかったせいなんだろう。ま、自分もそうだったんだけど。
 それよりも、自分は目っきり寒くなった季節と財布の中身の方が気にかかる。服装にあまり気を使ったことが無い自分だけど、さすがに派遣であろうと一般企業に勤めるようになると多少は考えた方がいいのかなとか思ってしまうから。
 以前は適当なセーターでロッカーに行って、適当に制服に着替えてバイトだったけど、さすがにそうも言ってられない。去年はダウンやコートの下にブラウス着てごまかしてたけど、今年もそれでいいのかな。
 車販だったころは、好きな指輪もマニキュアも全部できなかったけど、今はそれができる分何か違うことにもチャレンジしてみたい気もするし。
 うそ寒い首筋と、財布。
 相談しながら、少しずつ。
 普通の女の子が中学生くらいで目覚めるって言うおしゃれを、いまさらこの歳で少し気にかけだす自分。人の倍近く、ゆっくり、のんびり。
 でも、寿命が倍あるわけじゃないんだから、どこかでスパートかけなきゃね。


どうでもいいことなんだけど。
2001年09月20日(木)

 6月から派遣先の営業所が合併したのね。もう、この話したような気もするんだけどさ。高崎営業所にいた事務のおばさんと、営業の若いお兄ちゃん(妻子持ち)と、所長が来たのよ。いままでいた所長は栄転で北陸支店長になったんだけどさ。
 おばさんが二人になったわけ。今までいた人は辞めなかったから。そしたら、おばさんどうしひそひそ話してて、ひそひそ笑ってて、すんげー感じ悪い!内容は営業さんの悪口とか、システムの悪口とか(これは単におばさん達が無知なだけだけど)、そういうことばっかり。
 なんでおばさんって、二人集まると悪口ばっかり愚痴ばっかり言ってるんだろうね。でかい声でいえよ!感じ悪いぞ、お前等、本当に!!

 今までそこそこ居心地良かったけど、なんか嫌な感じだよ。


ううむ・・・・
2001年09月19日(水)

 名倉くんと会ったんだけどさ・・・・
 お気に入りのショットバーにいったんだけどさ・・・・
 珍しく平日なのに混んでて、
 マスター一人きりで厨房もやってたから、
 なんかオーダーしたもの出てくるの遅くて、
 お酒もなかなかオーダーできなくて、
 ちょっと居心地悪い思いさせちゃったみたい。

 ごめんね、なきゅらくん。

 あたしもちょっと、嫌な感じだったよ。
 もっといいバー、探しておくね。


夕食作ります
2001年09月18日(火)

 昨日から母が研修とやらで神戸に出かけた。帰って来るのは水曜日の夜。夕食をどうするかと日曜日に家族で話し合った結果、少なくとも自分と父は家で摂ることに。
 自慢じゃないが、各務家では食事は母が作り、母がいないときには父が作ることになっている。子供達は片付けしかしないのがセオリー。と言うより、余り家事をしないのでレパートリーが少ないのが実情。カレーやシチューくらいしかつくんないんじゃん?
 しかし、父は帰りが遅いため、平日に作ることはめったに無い。だから、各務は時々飲みに行くショットバーでパスタでも作ってもらおうかと思ってたのだが。
「作ろうか?」
 なんか気まぐれで言ってしまった。ので、昨日今日、ご飯を作るために残業もせずに早々に帰宅する事になったのでした。

月曜には買い物もなんにもしなかったので、冷蔵庫を一掃することに。
 いたみかけたゴーヤ。
 いつ買ったかわからない鶏肉(冷凍)。
 いつ買ったかわからない卵(残り3つ)。
 最後に使ったのはいつなんだかわかんないニラ(しかも根元の方)。
 使いきっちゃえよ・・・というくらいしか残ってないシメジ。
 しなびかけたニンジン(しかも半分きり)。
こいつ等を塩コショウ、ピパージ(沖縄特産の調味料)でやったらめったら炒めて、いい加減なゴーヤチャンプルを作った。ポイントは、塩コショウを強めにきかせたので、卵に砂糖を多めに入れること。ピパージと醤油は相性悪いので、醤油は使わないことくらいかな。
 正直言います。ゴーヤを自分で調理したのは初めてでした。
 まず半分に切って・・・・・
 なんか、ワタがしっかり入ってるし、種もでかい。これ、普段食べてるときは無いから、きっと取るんだよね・・・・どうやって?わかんないな。いいや。包丁でえぐっちゃえ。(正解は「スプーンでえぐる」だったようです。(妹談))
 なんて事をしながら、味見さえせずに作った割には結構うまい。夕飯食べない予定だったはずの妹が、つまみ食いして弁当のおかずに持っていってくれたほどだよ。よかった。



 で。


 今夜は冷蔵庫一掃第2段。ピーマンの肉詰め。最初はチキンライスを使ったオムライスにしようと思ったんだけど、ひき肉が出てきたので止めたのだ。多分・・・祖母がコロッケとロールキャベツを作ったときの残り。しかも、再冷凍とみた。
 ピーマンは全部で16個あったけど、それだけでは多分足りないだろうのでカレーも作りました。
 会社の帰りに、急いでスーパーによって買いもの。欲しいものは決まってるけど、いろんなものを見ながらいろいろ献立を考え直したりする作業は結構楽しい。こういうのもいいなって思うよね。もっとも、たまにだからいいのかもしれないけど。
 今日のご飯は?オヤジ用の今晩のおつまみは?明日の弁当のおかずは・・・・肉詰めでいいよ。カレーにシイタケ入れようかな・・・高いから止めよ。
 そんなことばっかり考えながら、買いもの終了。1時間で肉詰めとカレー作成終了。19時半から初めて20時半にはもうご飯にしてました。もしかして、あたし料理作るの早い?だって、最後の15分くらいはご飯炊けるの待ってたんだもん。

 ま、なんでもたまにやると面白いよね。
 




なぜ?
2001年09月17日(月)

 なかなか寝つけなくて、ようやく布団に入ったのは27時・・・午前3時って所?でも、なんか部屋の中がざわざわ落ち着かない。嫌な感じする。
 こんな時に枕の下に入れる観音経は行方不明で、嫌だなぁって思ってたら、「兄」がくれた聖書が目に付いた。それでいいや。聖書を枕の下に入れて寝ました。結果。

 爆睡。

 名倉くんが約束通り4時に電話暮れて、出たことは出たけど・・・・なんか何話したか覚えてない。それはマズイでしょ。夜、電話するね。


野菜スープを作ろう
2001年09月16日(日)

 ・・・・て、このタイトル前にもやったっけ?

 きょう、名倉くんとイベント行ったのよ。有明4000。でも、お目当ての本は発掘できず。残念残念。
 その後、しゃぶしゃぶの食べ放題に行きました。おいおい。ホントにダイエットはどうしたんだよ。でも、行きたいと言ったのは私ですな。
 で。
 しゃぶしゃぶを上手くやると、後に残ったお湯がですね。お肉と野菜のだしがきいた、いいスープになるんだよ。前回失敗したんだけど、今回は成功。いい感じじゃん。
 ご飯を持ってきて、軽く塩を振り、その出し汁をかける。
「・・・うまいよ、なきゅらきゅん」
 名倉くんは醤油で味を整えてましたが、それは人それぞれですな。
 またやろっと。


祈ろうと言うこと
2001年09月15日(土)

 横浜の「兄」から電話があった。
「アメリカの例の事件のことで、一人でも多くの人が助かる様に、毎日みんなで決まった時間にお祈りをしてるんだが、いっしょに参加しないか?」
と言うことだった。
 方法は簡単で、毎日00分になったら、

一人でもたくさんの人が救出されます様に。
救出された人達が一人でも多く助かります様に。
そして、早くこの残酷な事件を起こした犯人を捕まえることができます様に。
父と子と、精霊の御名によって。アーメン。

 と祈るだけのこと。
「兄」はクリスチャンなので、ごく当たり前の様にこういう言葉が出てくる。
 どこで祈ってたっていい。オフィスでも、部屋でも、そう。トイレだって風呂場だって、台所でもいいんだよ。電車に乗っててもいい。忙しかったら忘れててもいい。もちろん、神様じゃなくて仏様でもいいよ。でも、一日一回は、祈って欲しい。
「兄」はそう言った。
 もちろん、あたしは「兄」と一緒に祈ることにした。他にも、世界中で「兄」の言葉に応えてくれる人がいるそうだ。

 世界中で、
 たくさんの人が、
 たくさんの言葉で、
 それぞれの神様に、
 同じ事を、同じ時間に願う。

なんてすごい事なんだろう。
あたしは正直に感動した。
 結構仕事中とかで、昼間は祈ることを忘れているけど、家に帰ってきてからの時間は割と覚えていて、本当に23時とか、24時とか、25時とか、そう言う遅い時間になっているけど、あたしは祈ってる。
 たくさんの人の命が助かる様に。

 地球には時差がある。世界中で祈っているということは、わずかの時差の重なりがこうじて、24時間誰かが祈っていると言うことになる。世界中で、ひとつのことをみんなが祈りつづけていると言うことだ。
 日本国内だけだって、端から端までの時差は3時間あるんだから。

 あたしは良い「兄」を持ったな。
 心からそう思う。

 これを読んでいる方も・・・・
 もし良かったらいっしょに、思い出した時だけで、気が向いた時だけでいいので、あなたの信じている神様や仏様にいっしょに祈ってください。
「兄」はキリスト教だから「神と子と・・・」といってるけど、別にそこは重要じゃないから削っちゃっていいんだし。


ふぉとえでぃた〜
2001年09月14日(金)

 会社のPCに、Micorosoft Photo Editor」なるプログラム発見。容量もそう大きくないので、フロッピー2枚に分けてお持ち帰りしました。家のPCにコピー。

 はい、各務さん。著作権の侵害です!

 まぁ、硬いこと言うなよ。というわけで、使おうとしたらですね・・・起動時にエラーメッセージ出るんですよ。やっぱりちゃんとインストール用のCD使ってるわけじゃないから。
 ごまかしながら使うことはできるみたいなんだけど、今までためてある画像はjpgしか読み込んでくれないし、保存時もjpgしか保存できないので、ちょっと不便。ま、ビットマップにしても意味ないけど。会社のPCではgifとか、あと数点つかえたけどな・・・・窓の杜行ってこないと駄目か?
 スキャナやプリンターと互換性あるし、にじみやぼかしなどを含めた機能が使えるようになりました。凄いぞ、フォトエディター!でも、あたし字書きだから(笑)



 アメリカにいる友人と連絡がつきました。もともと事件の起こった場所で生活していない人だったけど、ちょっと不安だったので。
 アメリカの特集HPのアドレス教えてもらいました。全部英語で読めません。
 ビデオ画像流していたり、たくさんの写真を載せてたりして、頭ぶん殴られるそうなショックを受けるよ、というコメントをメールでもらっていたので、トップページを眺めて帰ってきました。


 ・・・戦争、起こっちゃうのかな・・・ほんとに。


一夜開けて・・・
2001年09月13日(木)

 自分的にショックを受けた昨日から、一晩が経った。少しだけ自分が落ち着いてきているのがわかる。
 自分にとってショックが強すぎたのか、関係する一切の報道を見ることができない。















 再び夜が来ました。
 ほんの2時間とたたないときは、名倉君とカラオケで歌っていたんだね。
 きみと一緒に馬鹿な話をしている時間や、歌を歌っている時間は、そのときだけは、この事件のことを考えなくてすむ。ずっと一緒にいてくれたら、きっと楽なのに。君はきっと嫌がるだろうけど。
 こんな時間が何時までも続くと思っているけど、
 どんな外的圧力でそれが消えうせるかわからない。
 ・・・・・・。

「俺達に明日があると思っていませんから」

 別館で言わせたセリフが、ずしりと響いた。







 相変わらず、積極的に報道を見ることが出来ません。小耳に挟んだところでは、アメリカは軍事的応酬に出るかも知れない(=戦争を仕掛けるってこと?)とか、仲が悪いはずの中国が全面協力を申し出たとか、20名まで容疑者をしっぼったとか(50名の間違いか?)、いろいろ。聞こえてくる。
 とりあえず幻はまだ見えることがあるし、窓の外を見る時間はまだ長い。でも、思うところあって少しだけだけど、自分で集めていた過去のテロなどの資料に目を通しているうちに、一つの思いに行き着いた。

 犯人は、こうして怯えるあたし達を見て喜んでいるはずだ。

 とか。

 犯人に対して、軍事力を持って断固として抵抗するってことは、見方は少し違うかもしれないけど、テロ側も、こちら側も、同じ事をしようとしているんじゃないかな?

 とか。




 ふと気付いた。
 彼らは実に的確な場所へ飛行機を落とした。
 世界中を震撼させるのに、これ以上ない場所とタイミング、そして演出。
 奴らは、あたしが言うまでもなく頭がいい。



 でも、あいつらは方法が間違っていると思う。
 そして、こんなふうに驚き、怯えるあたし達を見て笑っているはずだ。



思うとおりになんかなってやるものか。
お前達の起こした行動は、たくさんの尊い命を奪ったけれど、
我々の基本理念やお前達への態度を
だからと言って改めたりするわけではないのだ。
たくさんの悲しみを胸に抱いたけど、
お前達に屈するわけではないのだ。

垂れた頭を上げて、あたしは前をみなければいけない。
萎えた心を奮い立たせて、あたしは歩かなきゃいけない。

 失われた人達の冥福を
 与えられた内外の傷の治癒を
 これ以上誰も失われないように
 進むべき平和への歩みをとめないことを
 心から祈りつつ


米国テロ
2001年09月12日(水)

 どこのテレビをつけても、どのラジオを聞いても、ずっと同じニュースばかり。そして、お気に入りのサイトさんでもこの話題を日記や掲示板で話してる。中には、この事件が落ち着く?まで更新をしないと言うところもある。
 あたしはといえば・・・・

 昼間から、なんだかとてもイライラしてる。会社の窓の外を眺める時間が増えた。あたしの派遣されてる企業はビルの7階。ソニックシティーという32階建てくらいのビルの傍にあるんだけど、こうやって窓を見ているときに、あの大きな飛行機が突っ込んできたら。窓から見えるあのソニックに飛行機が突っ込んだら。そう思うとなんともいえないおかしな感情がこみ上げてきて、引きつったような、ヒステリックな笑いがこみ上げてくるのを抑えるのに苦労してた。
 飛行機を何回か使った事があるし、間近で見たこともある。それに、被害にあったユナイテッドの飛行機だって使ったこともある。アメリカから帰ってくるときも、行ったときも、乗り換えてピッツバーグに泊まった時も・・・・そう、あたしはピッツバーグで一晩過ごした事がある。
 あの時、街にたった一つしかない、空港の隣にあるホテルに泊まって、初めてあたしはアメリカに来たんだって思った。客室乗務員さんも日本語が話せなかったし、空港でも日本語は通じなかったし、国内線なんか両隣が現地の人で、全然日本語なんか通じなかったけど、あの時、ホテルのロビーで、夜に暇になったドアマンやカウンター係の女性と辞書を片手に話をしたとき・・・あたしはアメリカに来たんだって実感してた。
 そんな事をしてる人は、20人ちょっといたメンバー(学校の研修旅行だった)の中で自分だけで、ついでに言うなら英語の成績が一番悪いのが自分。レストランに軽食を取りにきた引率の先生を驚かしたのを覚えてる。
 あたしにとってピッツバーグは、そんな思い出のある、山の中にある小さな街だ。そこにテロリスト達が飛行機を落とした。英語の通じないあたしに何回も親切に根気強くいろいろと説明したりしてくれた、愛想の無いスチュワーデスさんたちを乗せて。あの人のいい街の人たちを恐怖に陥れて。

 判らない。

 みんな平和であって欲しいと思っているはずなのに。

 それとも、それは詭弁なんだろうか。

 確かに兵器を日本は輸出してないけど、その部品を輸出して入るよね。その量は世界でもトップクラスの質と量。組み立てて出したとしても、トップクラスだから、そう言う事を考えちゃいけないんだとか言うのかな?

 唯一の敗戦国だからって、敏感になってるの?

 でも、世界大戦後、戦争は何回も起こった。その結果は誰も知らない振りをしてるんだろうか。

 声どころか光さえも届かない、何百キロも離れた海の向こうであんな事件があって、それはやっぱり遠くの事件でしかないんだけど。
 同じくらいすぐ傍に、恐怖が息を潜めてこっちを見ているような気がする。

 怖くて泣きそうだよ。

 会社に行くのが怖い。

 ビルに突っ込んでくる飛行機の幻が、一日中頭から離れなかった。
 心配で窓から目が離せなくなりそうで怖い。

 大阪の小学校で、神戸の自身で、たくさんの大きな災害があったところで。
 被害にあった人が同じ事件がもう一回起こりそうで怖いと訴えるあの症状が、
 遠い空の向こうで起こった事件を伝えるテレビの映像を見たあたしのうえに、
 これがお前の生活している現実なんだと暗示をかけて縛り付ける。

 怖いよ。
 泣きたいよ。

 イライラする気持ちと、
 恐怖に怯える気持ちで、
 あたしは何も考えられなくなる。

 窓の向こうに白く輝くあの飛行機。
 音がするだけで、目前に現れる幻で体が凍りつく。

 考えすぎなの?
 それともこれが普通なの?

 叫びそうだよ。
 目をそらしそうだよ。

 何がいけないの?
 理想と現実を一致させるためなの?

 普通に生活していたって、
 友達関係、恋人のこと、
 お金のことも、両親や家族の事も、
 理想は理想。現実と丸々同じはずなんて無い。
 そんな些細な事だって一緒にならない理想と現実。
 無理やりかなえようとするために、
 関係ない人まで巻き込むのが正しことなの?
 そんな事・・・・
 その人たちだけの間でやればいいじゃない。
 何でまわりまで巻き込むの?

 頭の中が麻痺してる。
 どこか遠くへ逃げていきたい。
 でも、どこにも逃げる場所なんて無いんだよ。

 ・・・・自分の中に閉じこもって、外部を全て遮断する以外に、
 どこにも逃げる場所なんて無いんだよ・・・・・

 崩れ落ちる高層ビル。
 落ちて来る人、多分途中で気を失ってる。
 泣き叫ぶ声。
 血まみれの人たち。

 体の中で、記憶の中で、



 迫ってくる幻。











 早くこの残酷な事件が終わりますように。
 非情で卑怯で残虐な犯人が、一日でも早く捕まりますように。
 一人でもたくさんの人が助かりますように。




 早く幻が、あたしの記憶から消えますように。





神様。
この世にもしも神がいるなら。
どんな宗教の神様でもいい。
仏だろうと現人神だろうと。
この世を救うという力があるものなら何でもいいから。




世界中が祈るこの気持ちに、早く気付いてください。
その手を差し伸べてください。









暗闇の中で輝く、
たった一つの青い星のために。
その中で生きる無力で小さいものたちのために。


アゲハチョウ幼虫第3期
2001年09月11日(火)

 夕べ太田胃散を飲んで寝たせいか、あんまりおなかは痛くない。でも、うっちんは飲み損ねたよ。

 今朝はかわいそうなことをした。相手はアゲハチョウの幼虫第3期。人ではないところが自分らしいかもしれない。
 朝、すごく急いで自転車に荷物を入れた。自転車を置いているすぐそばには、初夏にモンシロチョウがたくさん卵を産んでいった・・・あれ何の木だったかな?・・・がある。
 卵を産みつけてる現場に遭遇して、鳥の糞のように黒と白のまだらの第一期を発見したのは1〜2週間あと。それからどんどん大きくなっていく幼虫を毎朝楽しみに眺めていた。最初はうじゃうじゃいたはずの幼虫も、葉っぱがそんなに大きく、多くないと言うこととか、アリマキやアブラムシといっしょに生息していると言う条件が悪いのか、だんだん数が減っていった。
 そして今朝、2匹の幼虫をチラッと捉えたのだが。

「・・・・・・?」
 駅で定期を取ろうとしたら、バックに緑色の円筒形物体がくっついていた。最初はねぎの緑色の部分かな?っておもったんだけど。
「・・・あ」
 思わず声が出た。相手は丸々と肥えた幼虫。いきなり罪悪感がわいてきた。
 電車の時間は迫ってるし、仕方ないのでコインロッカーのすぐ隣に開いてる窓枠にそいつを置いてきた。触ると一ちょ前に黄色い角を出して威嚇してくる。
「ごめんよ、ごめん。怒るなってば」
 ぶつぶつ言いながら芋虫触ってる自分、きっと変体さんに見えるんだろうな。子供だったら、かわいいしぐさって言ってもらえて(たぶん)ごまかせるのに。
 その後、ホームに行ったら電車遅れてるという放送。芋虫を駅前の植込みに移動させてやろうと思ったが、なんとなく躊躇ってできなかった。
 台風ひどかったし、芋虫って一日くらいならなんとかなるけど、二日間何も食べなかったら死んでしまうことを知っているので、帰り際に責任もって家に返してやろうと思ってたけど。
「ごめん」
 やっぱりいなかった。
 周辺を探したんだけど、きっとお掃除の人がどこかに連れていってしまったんだと思う。悪い事したよなぁって、また罪悪感がうまれた。だって、昆虫とかが生き残るには、本当に奇跡のような運の良さに恵まれてなければいけないから。だから雌は命をかけて卵をたくさん産むし、あんなにたくさんいた幼虫達も、今は2匹しか見つけられない。その中の一匹を、自分のうっかりで殺してしまったのだ。
 家に帰ってから一部始終を母親に話したところ、何故か爆笑された。なぜ笑うと問いかけると、
「普通、そんなの見たら悲鳴上げたりするもんだけど、うちの子は友達だからね・・・」

 あたしはナウシカか?

 でも、とにかくあの青虫には悪いことしたよ。


太田胃散・・・・?
2001年09月10日(月)

 夜、おなかが痛いことを父親に報告。すると・・・

「そこは、肝臓だ」
「でも、右じゃないよ」
 しばらく考える父。だが彼も飲み過ぎると同じところが痛くなるらしい。と。
「ここのところ余り飲んでなかったんだろ?」
「うん」

 胃の入り口って、ちょうど左胸の真下くらいなんだよね。急に強いアルコールを飲んだので、胃の入り口付近が炎症を起こしているんじゃないかってことになった。
「太田胃散飲んどけ」
「・・・効くの?」
「胃だから大丈夫。それで、朝起きたらうっちん粉飲んでおけ」
 うっちんって言うのは、ウコンのこと。沖縄ではうっちんって言うそうだ。(沖縄生まれは母親だけど)アルコール分解酵素の働きをよくするんだとか。

 半信半疑だったけど、飲んだらおなかの痛み余り感じないよ。さすがはパパ(笑)だね。




おなか痛いよ・・・
2001年09月09日(日)

 金曜日飲み過ぎたせいか、脾臓のあたりがしくしく痛みます。脾臓って・・・・言っても、きっとぴんとこない人のほうが多いだろう。左胸の下、背中側にある、小さな臓器です。横っ腹が痛くなります。張ってくると、体前面にも痛みが出てきます・・・だったかな?
 ちなみに、肝臓は右側でっせ、おじょうさん。
 ま、どのみち飲み過ぎだろうから、少しお酒は控えましょう。

 午前中、3ヶ月いた祖父母が千葉に帰りました。祖父は15日の敬老の日に、住んでる市から長寿の表彰を受けるそうです。なんでも90歳を越えている老人は、祖父一人だけだとか。さすが長寿王国沖縄生まれの沖縄育ち!
 しかもスピーチをするそうで、母から
「お父さんね、間違っても『何の因果でここまで生き長らえてしまって』なんていっちゃ駄目だよ」と言われてました。そらそうだ。
 しかし、3ヶ月とはいえ短かったなぁ・・・最初のほうは、家に帰るの嫌になって、ウィンドーショッピングして二人が寝た頃に帰ってきてみたりしてたんだけど、そのうち家に帰ればちゃんと夕飯あるのがわかったから早く帰るようになった。普段、夕飯は各自で作って摂るのが各務家の慣わしだったからね。
 帰ってもつまんないよ。家の人が「お帰り」って言ってくれるわけじゃないし(母は別室で塾。他の家族は帰って来てないか、自室にいる)、ご飯があるわけじゃない。よく新婚花嫁さんに
「料理が上手ければ、必ず旦那は家に早く帰ってくるよ」
って言うおばあちゃんとかいるけど、なんかそれ実感した。
 だって、おなかすいて家に帰る時に
「美味しいご飯が家にあるんだ。早く帰って食べよう」
って思うか
「どうせ家に帰っても何にもないしな・・・」
て思うかって、すごく違うと思うよ。しかも、家に帰れば必ず
「お帰りなさい」
「お疲れ様」
って言ってくれる人がいるのといないのとでは、やっぱり違うはず。
 こういうことを考えてしまうと、やっぱり自分は結婚したら働きに行かないで家にいたいなって思ってしまう。ま、働くの嫌いなだけでもあるんだけどね。
 でも、好きな人がおなかすかせて帰って来るのわかってるんだから、ご飯作って待っててあげたいじゃん。一生懸命働いてきてくれてるんだから、「お帰りなさい、ご苦労様」って言ってあげたいじゃん。
 ・・・このご時世、共働きしなけりゃ生活苦しいのもわかってるけどね。



 夕方からは、名倉くんと焼肉食べ放題。その後カラオケ3時間れっつごー!!しかし、時々痛む脾臓が・・・・(TT
 やせると言う話だったけど、なかなか食べ物の誘惑には勝てないね。(おいおい)
 カラオケでは「カカシソング」で盛りあがる二人。カカシソング・・・・あったま悪そうなネーミングです。単にカカイルソングのカカシサイドの曲・・・・です。
 その後、後半は「あーちゃんソング」。あーちゃん・・・・アスマですな。カカイルをベースにしたアスマ→イルカのアスマサイドの歌。みんな失恋の曲だよ〜。うふふふ・・・・・
 楽しかったね。またやろうね、なきゅらきゅんv



改装終了!
2001年09月08日(土)

 M.D.F.のHPが改装をほぼ終了しましたよ。今度はフレームもぐんと使いやすくなったはず。
 デザインや色遣いに関しては、相変わらず苦労ばっかりしてるけど、その割には苦労の後が見えないのが悲しい。でも、直打ちで作ってる人ならきっとわかってくれるはずさ!
 この日記は別館と連動させる予定なので、別館への入り口もいっしょにつけてみました。わざわざリンクページに行かなくてもいいように。どうですか・・・?って、本館と新館はジャンルが違いすぎるせいか、ぜんぜん交流?ないのがおかしいよね。
 はい、どっちのページも見てる人手ぇ上げて!!

見えません。(当たり前)


 デザインの本買ってきても、いまいち・・・これは生まれついたセンスのせいに違いないって!美術2だったもんなぁ・・・・・



ショットバー
2001年09月07日(金)

 今日は車販時代の友人とショットバーへ。この前行ったショットバーなんだけど、金曜日なせいか少し込んでた。でも、昔通ってた?2丁目のバーに比べれば屁みたいなものですな。あそこは週末、通勤電車の様に込んでたもん。
 いろいろ思い出話に花を咲かせた後、早めに?22時ごろさようならをしたら、なんと珍しい人と遭遇!横浜にいるはずの「兄」だ。
「兄」は「友人」を連れていて、これからその「友人」の家に止まりに行くんだとか。素直に恋人って言っちゃえよ!ん?「ライフパートナー」だっけ?どっちでもいいよ。二人とも愛し合ってんならさ。
 で、もう一回飲み直し。
 これで、ショットバーで飲んでた分をあわせて、一人でハバナクラブ(ラム酒の銘柄)のビンを半分近く開けてしまったのだった。もう、すっかり酔っ払いだよ。
 しかも「兄」にはいろいろ怒られて、なんだかわからないうちに酔ったままの勢い?で何人かに電話を掛けてしまった模様。ごめん。はっきり言って覚えてない。
 電話かかってきた人、ほんとにごめんなさい。「兄」とあたしの共通の友人に掛けたところまでは覚えてるけど、最後に掛けた人・・・・内容ほとんど覚えてないんです。翌日会おうとか、電話またするとか約束してたみたいだけど・・・・????
 ああ、マジ、最低な飲み方したよ・・・・・


今日はコロッケ
2001年09月06日(木)

 今日も弁当を持っていったよ。夕べのご飯はコロッケでした。
 このコロッケも、やっぱり祖母の得意料理の一つ。市販のコロッケの二倍の厚さと大きさで、重さは通常番の二乗と言わんばかりのでかさ!でも、中身は先にゆでたり蒸かしたりしてるので、あとは上げればOKなんだけど。
 ジャガイモとひき肉、ニンジン、そしてやっぱり何故かサヤエンドウ。普通は一個でお満腹ですが、各務は大食らいなので、ご飯三杯にコロッケ二個と、すごい量を食べます。2人前の量よv太るわけだな。
 そして、夕食後に残りのコロッケを数えると、なんと余りが!!早速弁当箱にしまってキープしていたと言うわけでした。
 おばぁちゃん。コロッケ、冷めてもおいしかったよvvvv


 そして。


 この営業所には珍しく、18時に自分以外の人が全ていなくなってしまった。参考までに、定時は17時45分(中途半端)。普段は20時以降も誰かがいたりする、いやな営業所です。
 そこで。

「なきゅらくん、FAX送ってもいい?」

 思いっきり私用電話&私用FAX。でも、この会社、何故か私用で使ってもいいらしいんだよね。おばさんなんか、平気でカルチャーセンターの予約とかいれてるし。でもさ・・・・さすがに私用でコピー誌は作れないでしょ(汗
 送ったFAXは「あれ29」。別館の続きなんだけど、久々に名倉くんが喜んでくれたので嬉しかったの事よ。


キャベツまき
2001年09月05日(水)

 夕べのご飯は祖母のお手製ロールキャベツでした。でも、そんなハイカラな名前では呼ばれず、もっぱら「キャベツまき」と呼ばれています。
 これは祖母の得意料理の中の一品で、とにかくでかい!そして美味い!成人男性の拳大のでかさの中に、ひき肉、ニンジン、ピーマン、そして何故かいつもさやえんどうが入ってます。
 美味いんだよ・・・・ほんとに。
 新宿にロールキャベツがうまいと言う、列ができちゃうほど有名なお店があるけど、祖母には絶対勝てないなと思ってる。母親だって、これほど美味くできないしね。もちろん自分なんかは足元にも。とにかく料理は上手いよ!!
 んで。
 寝る前に見たら3つ残ってたので、なべのふたに「弁当に持っていくから食べない様に・あてぎ」と書いた紙を貼っておいたら、朝起きた時、自分の名前の下に妹の名前も書いてあって、ふたを開けたら一個しか残ってなかった(TT
 うちで祖母のロールキャベツを食べない人は、間抜け呼ばわりされるほどの代物なんですよ、奥さん!(誰だ)
 今度の日曜に祖父母は帰ってしまうけど、その前にいっしょにロールキャベツを作ってレシピを盗んでおきたかったんだけどな・・・・また次回か。

 次回あるのか?

 ある!
 作って見せる!!!!


マニュアルなんて・・・・・
2001年09月04日(火)

 明日名倉くんと会うつもりでいたら、なんと今日でした。なんとなく駅につく前に携帯の留守電聞いたら
「Lテリアにいます」
 ・・・・・・。
 会うつもりでなかったので、思いっきり残業もしてました。結構終業時間中にweb乗ったりして暇そうに見えるけど、暇なのは昼間だけで、夕方からが猛烈に忙しい場所です。平気で二時間くらい残業することもあります。だったら最初っから、派遣の時間12時から9時とかにしてくれればいいのに(休憩1時間と仮定)
 ま・・・でも、今日会おうと言ったのは自分なので、忘れていた自分が悪いだけですな。
 名倉くん、マジですまん。

 夕飯はお好み焼き&もんじゃ。
 ところで、みなさん。もんじゃってどうやって作ります?最初に具ともんじゃの汁みたいなのと混ぜる?各務は最初にぐちゃぐちゃ混ぜます。混ぜてから具だけ出していためるんだけど。
 そのお店の「おいしいもんじゃの作り方」によれば、最初に具だけ出していためるんであって、汁と混ぜたら駄目って書いてあったんだよ。でも、毎回無視してた。が。
「今日はこの作り方でいってみよっか」
 そこでもんじゃ奉行?各務くんは最初に具だけ出していため、その後具をドーナツ状にし、手順通りに汁を中央へ・・・・・

・・・・じゅおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおっっっっっ

「あづづづづづっづううううう!」
 ものすごく湯気が立って、各務、危うくお椀をもんじゃの上に落とすところだった。しかも、もんじゃの汁は鉄板一面に広がってる。
「・・・・なんじゃ、これ」
 呆然とする各務。慌ててへらで汁を中央に寄せる名倉は笑っている。「作り方」をもう一度読むと、小さくポイントなるものが書いてある。

もんじゃは2〜3回に開けてかけるとうまくいくよ

 早く言え、馬鹿者ぉぉぉぉぉ!!!!!

 結局混ぜれば味は同じなんだけどさ。もうあんなマニュアルなんて信じないよ。最初に混ぜてからいためれば、ドーナツ状にしたときからまった汁がつなぎになって、堤防の中からほとんど漏れないんだから。

「なんでもんじゃ上手くできなかったからって怒ってんの?」
 怒ってねぇよ!!ちょっと拗ねてるだけ(爆笑)

 今度これ使ってなんか話書こっと。


箪笥と写真
2001年09月03日(月)

 先週、箪笥を捨てた。自分が生まれたとき、両親が買ってくれた子供用の箪笥で、もうすっかり色があせていた。写真を見れば、綺麗なクリーム色だったことがわかるけど、今は何がなんだかわからない、かつて黄色っぽかったのかな?とかろうじて思わせる花柄の残像がついているだけ。
 五段の引き出し。その上には、子供用箪笥によくある飾り棚が合った。この棚の下には小さな引出しが二つ、向かって左側には引き扉のついたボックス状の物入れがある。飾り棚にはガラスが入っていて、これは今まで割れたこともひびが入ったこともないという、各務家的に、特にあたしが使っているものとしては非常に珍しいほど長持ちしたガラスだ。
 左右の白い羽目板には、つたい歩きができるようになった頃からの落書きが残っている。とにかく、当時の自分は落書きが大好きだったので(記憶が残っている)床、ふすま、テーブル、壁。幼稚園に入っても、それは今住んでいる家に引っ越す小学校一年の夏休み前まで、ずっと子供の手の届く範囲には模造紙が家中に貼ってあった。そこには何を書いてもよく、クレヨン、色鉛筆、水性ペン。なんでも使って、背伸びして、ジャンプまでして落書きした物だ。
 油性ペンだけは、下に染み込むので使用禁止。紙が貼ってないテーブル、箪笥、床は書いてはいけない。かわりに紙が貼ってさえあれば、床だろうと窓だろうと、父親の背中だろうと落書きしていいことになっていた。
 子供の落書きって言うのは、親にとって頭の痛い問題だろうけど、それをこういうふうに可能な限り許してくれた両親は、なんてすばらしいんだろうと自分は思っている。当時遊びにいったどの親戚の家にも、友達の家にも、こんなふうに子供の落書きを容認していた家はない。それは今まで生きていた上でも同じ事で、あんな風に家中にも増資や広告の裏を貼りつけた家にはお目にかかったことはない。
 当時、家の中でとった写真には、落書きだらけの紙が貼ってある部屋の中で父親に抱かれて笑っている自分の写真が何枚もある。
 確かに、あんな風に部屋中を落書き帖にされては家全体が乱雑な雰囲気になってしまう。ごちゃごちゃした感じで、どんなに部屋を整頓しても散らかった印象がぬぐえない。でも、もしも自分が誰かの子供を運で育てるとしたら・・・・きっと自分はやっぱり部屋中を同じように落書き帖にする。マッキーの歌詞じゃないけど、『まだ見ぬ君』はそれを許してくれるかな?
 箪笥に残っているクレヨンの落書き・・・それは、そのルールができあがる前の物だろう。円を中心にした線だけで構成された落書き。多分幼稚園に上がる前の物だろう。

 捨てた箪笥。
 いっしょに小さな自分の思い出も捨てたのかな?




 引き扉のボックスの中に入っているのは、昔から母親の物。捨てる前に出したそこからは、昔母が習っていたちぎり絵の色紙とか、墨絵の色紙とか、お坊さんに書いていただいた言葉のある色紙とか、とにかく色紙がいっぱい入っていた。
 それから、未分類の写真。
 記憶のある物から無い物まで。
 叔母の結婚式に出ている自分がいた。
 当時1歳くらいらしい。ピンクのレース編みのドレスを着たその赤ん坊は丸々太っていて、子供用の椅子におとなしく座っていたそうだ。花嫁の次に人気があったそうで、式の最中一回も泣き出さず、大声も出さず、珍しそうに新郎新婦を眺めながらにこにこしていて、本当に『おとなしくいい子』だったとか。
 ピンクのそのドレスは母親の手編みで、子供に手編みの服を着せたいと言う夢をかなえた母の自信作だったらしい。花嫁のドレスの次に綺麗と言われて鼻高々だったとか。
 で、その写真。
 誰がとったのかわからないが、小さな両手に小さな・・・・なんだろう?・・・・を持って、カメラに笑いかけている自分。言ってはなんだが、丸々と可愛らしい。目がでかい。この目に、結婚式はどんなふうに映ってたんだろう。
 隣に、そんな自分を心持心配そうに見ている父がいる。結婚したのは父の末妹だ。だからいっしょに写っているんだろうか。それとも母が撮ったのだろうか。
 その父の年齢・・・・言いたくないけど、自分と同じ歳。自分は両親が結婚して4年目の子供だと聞いている。
 当時の結婚は早いと聞いているが、それでも自分より4歳若く結婚し、自分と同じ歳にはすでに家庭を築いていた父。

 同じ年齢の違い。


 自分は、まだその相手さえいないと言うのに・・・・・


 何か、考えなければいけない歳になったのかもしれない。


仏蘭西料理
2001年09月02日(日)

 昨日、我が愛車(=自転車)のパーツを買い求めることなく、ちゃんとチェーンカバーを直すことができた。貧乏決定なので、籠などは買えない・・・・(涙)
 ちょっとペダルが重いんだけど、もう自転車もあたしも歳だからね。多少は足腰鍛えないと。
 妹が自転車を新調するっていうから、父親があたしのも買ってくれるって言うんだけど丁重にお断りした。あたしはあの自転車がいいの。
 前輪ブレーキがちょっとイかれてるけど、それは角度を変えてゴムがあたる様にしてあげた。後輪が坊主タイヤだよ。変えてあげなきゃ。後輪ブレーキはずすと、調整がものすごく難しいと父に言われたけど、よく考えろ、各務。お前後輪ブレーキあんまり使ってないだろ。故に、次回後輪タイヤを交換することに決定。切れかけてるブレーキワイヤー。あたしの力で交換できるかな?
 しっかし、どうしてこうさ。錆びと機械油が混ざるとなかなか落ちないんだろうね。あたしの手、機械臭い・・・・イメージ的に「お父さん(メカニック)の掌」。ま、うちの父親はただのサラリーマンなんだけど。


 その後、ごろごろしていたら名倉くんから電話。夕方から一緒に遊んで、飲みに行ってしまいました。ダイエットは・・・・?体重2キロ、ウェスト1センチ減ったけど(苦笑)


 んで、今日はお昼ご飯を家のそばのフランス料理店でとったよ。もう3ヶ月もうちに泊まってる母方の祖父母が、来週の日曜日に帰るっていうんで、さようなら会だったのだ。実は・・・・一家そろうのは実に久しぶり。普段、夕食の時だってそろわない家だからさ。
 おいしかったよ。予約していかなければ、きっと何十分も待たされたなっていうほどの混みっぷり。でも、祖母の舌には合わなかったみたい。祖父は軍隊仕込?で大丈夫なんだと。バターをパンにつける指先の動きとか洗練されてて、なんか見とれちゃいましたよ。
 祖母はフォークとスプーンなんて使い慣れないので四苦八苦。前菜の段階から見切をつけてお箸をもらいました。
 聞けば、祖父は92、祖母は89歳だとか!そんなふうには見えないよぉ。さすが長寿王国沖縄生まれの沖縄育ち!そんな祖父に髪を切ってもらってるあたしって・・・(床屋さんだったからね)

 で、いやなことを考えた。

 数年前、叔父が亡くなった。彼らの第一子で、長男だった。白木の棺桶に入った長男の顔を撫でながら泣き崩れていた祖母。その肩を背中から抱いていた祖父。
 多分・・・いや、絶対に近い未来、同じ棺桶に入った彼らを見なければいけない。どちらが先に逝こうと、今度はその肩を支えてくれる人は伴侶ではないのだ。









 夜。
 名倉くんとアホ電話。例によってナルト話。
 パラレルもの(しかも社会人編)で、かなり楽しかったv
 今度ちゃんとした話にしてみようかな?


HP一新!
2001年09月01日(土)

 本館、新館含めて、HPの改装工事をだいぶ前から行っていたんだけど、パステルグリーンやスカイブルーを組み合わせた「爽やか」路線から「秋色」にしようかな、と。
 そして苦心の末にできあがった本館(=M.D.F.)のトップは・・・・・もうご覧になりましたね?
 数日前に買ったwebデザインの本は、なんだかプロ仕様だったらしく、最初の特集(カラーと雰囲気の比較)以外は難しくてよくわかんない。でも、色は簡単に表記できるようになった。
 今まではRBGの3色にわかれた表記しかないそれを、ワードの背景色に指定し、それをweb表記したもののソースを見てカラーコードを確認する・・・・なんていう、すごくめんどくさい事をしなければ駄目だった。でも、あの本を買うことで、そのめんどくささから若干解放されて満足v
 今回のタイトルを作るのに、ドラゴンボールと南国少年パプワくんの香港で出版された本を参考にしました。広東語?わかんないけど、間違ってるよとか突っ込まないでね。
 ちなみに、フォトショもイラレも持ってない自分としては、Winのペインターだけが頼りです。ま、持ってても写真屋さんと絵描きさん・・・きっと使いこなせないだろうけど。
 文字を重ねたり、色を変えたり。わずかな文字の加工も全て手動です。その上ソースはメモ帳に直打ちなので、文字やイラストを置く場所も、みんな自分で考えてテーブルは位置や数値設定するんですよ〜。HP作成ツールないと、結構大変だよね・・・・
 特に本館と新刊は、あたし一人のHPじゃないから、名倉くんが恥ずかしい思いをしないようなものにしなきゃとか思ったり、結構毎回楽しいけど大変。その天、自分一人でしか動かしてないHP(バイトしてた時のHP。場所は秘密)は、気楽でいいね。
 でもさ・・・・あたし、美術2だったんだよ?名倉くん、せめてデザインくらいはやってくれんかのぉ。もう各務くんいっぱいいっぱいです。デザインの本とか、すでに2万円以上買いました。
 どんなデザインを言われても何とかするから、考えてくれよぉ・・・・・(TT



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