嵐になるまで待って - 2000年12月18日(月) 下手すりゃ明日は人麻呂のレポート発表が回ってくる。やんなくちゃなんないことをやんなくちゃなんないときはさあやんなくちゃ(BY桝野浩一)と図書館へ行ったものの。 心の底から嫌いな奴の話し声がうるさい。 資料の「万葉集釈注」が使えない(「貸して」と言われたので思わず貸してしまった)。故にレジュメの作成に手がつけられない。 国会図書館から論文のコピーが届かない(コピー代高いっての)。 というように「人のせいにできる」環境が整ってしまったため、一切の作業を放棄して日記なんか書いている。 駄目な子だなあ。あの人に愛想つかされるのも無理ないわ。 人の声にかなり敏感なことにふと気付く。 休み時間の教室内の馬鹿騒ぎに耐えられない。しかもそのぐらいやかましいところにいる筈なのに、大嫌いな人間の声が耳に入ってきてしまう。 聞きたくないのにそいつはずかずかと耳から脳味噌に入ってくる。それだけでいらいらする。頭が痛い。うるさい。うるさい。うるさい。 その逆も然り。大好きな人の声はいつまでだって聴いていたい。 歌うたいなら宮沢和史。俳優なら上川隆也、吹越満。 人の声というやつはとかくやたらと耳につく。 アパートやなんかで一番響くのはテレビの音でも電話の呼び出し音でもない。人が立てる音、人の声だ。夜中に何処かの部屋で馬鹿騒ぎしてる声を延々聞かされているとだんだん死にたくなってくる。すぐ隣を走る電車の音よりも女の人の黄色い笑い声のほうがよっぽど不愉快。 声ってのは、実はものすごい力を持ってるんじゃないだろうか。 プラスにもマイナスにも働く力。 今のところ私はマイナスばかり受け取ってしまうようだ。 脳味噌にも有効な耳栓が欲しい。 -
|
|