Simple Faith


2004年04月24日(土) 答えられた祈りの証

ずいぶんご無沙汰してしまいました。ちょっとした五月病状態?に陥ってしまっていたのでした。この間にあったことは、思い出しながらちょこちょこ書いていこうと思います。

さて、今日は安息日でした。
先日の木曜日、新しい牧師から電話がありました。説教予定だった人が来れなくなり、説教者を探しているとのことでした(牧師自身は他の教会でお説教)。他にも聞いてみたのですが急なこともあり誰もやりたくないということで、ジョンのところに電話が来たのです。ジョンはよっぽどのことがない限り断らない人なので、今日の安息日の説教をすることになりました。

ジョンのお説教は、自分が神様に導かれた証を聖書のメッセージに織り込んだ、半分証、半分お説教のようなメッセージでした。今までに聞いたジョンの証に比べて、無駄がなく、方向性があって、自分の夫ながら成長したな〜とひそかに感動していたのでした。

お昼は、キムとロジャーという教会員の家に招かれました。マウント・プレザント教会では、キャンパス・ミニストリーの学生たちのために、隔週でポトラックがあり、それ以外の週は順番に教会員の家に招かれます。今まで話をしたことのなかった人たちとたくさん話をすることができたので嬉しかったのです。

午後は何人かで近くの公園(といってもまるで森)に行き自然とすがすがしい空気を満喫しました。

そして夕方、同じキャンパス・ミッショナリーのリックの家で祈りについてのビデオを見ました。その後、祈りについてのディスカッションになったのですが、ジョンがある人の証をしました。その人はベリーさんというジョンの恩師のひとりです。ベリーさんは長い間文書伝道をしていたのですが、ある時、とてもがっかりしていました。本がまったく売れなかったのです。それで彼は神様に祈りました。「主よ、私には今あなたからの励ましがとても必要です」そして彼は次の家に行きました。するとその家の女性は、ベリーさんに向かって「あなたの書籍の中にある、イエスさまのご再臨の絵を見せてください」と言いました。ベリーさんは本のページをめくって再臨について書いてあるところの挿絵を彼女に見せました。すると彼女は、「これは私が夢の中で見た絵と同じです!」と言ったのです。そして彼女は本を買うための小切手を取り出しました。するとその小切手には、すでに書籍の値段とベリーさんの名前が書いてあったのだそうです。神さまは時々信じられないような方法で励ましを与えてくださるのだなあと思ったのでした。私もこのベリーさんに会ったことがあったので、余計に感動してしまったのでした。

他にも、ジョンは自分自身の証をしてくれました。夏の文書伝道グループのリーダーをしていた時のことです。自分のグループにいた一人の学生が、その日まったく本が売れていないとすっかり落ち込んでいました。普段ジョンはそのような祈りはしないのですが、その時は聖霊に導かれて、「神さま、ジョニーが行く次の家で、大争闘と聖書Q&Aが売れますように」と祈ったのだそうです。そしてジョニーは次の家に行き、ジョンは他の学生の様子を見に行きました。しばらくたってもジョニーからの連絡はなく(トランシーバーを使って連絡を取り合うのです)、ジョンは「ああ、きっとあの家で何も売れなかったんだ。祈りが聞かれなくてジョニーはきっと余計にがっかりしてるだろう」と暗くなっていました。すると、ずいぶん時間がたった後、ジョニーが興奮して連絡してきました。「ジョンが祈ってくれた通り、次の家の人が大争闘と聖書Q&Aを買ってくれたんだよ!」ジョニーはその家の中に招き入れられ、ずっと話をしていたのだそうです。

最近教会で仲良くなったシェリーの証です。以前住んでいた家の隣人に証をする機会があり、その隣人は教会に来るようになりました。でも、あることをきっかけにご主人に大反対され、その隣人は教会に来なくなり、シェリーのことも避けるようになってしまったのです。シェリーはどうしていいかわからず、落ち込んでいました。ある安息日の朝、シェリーはその隣人のために祈るように導かれました。そして彼女のことを思いながら熱心に祈っていたのです。そして、教会に行く時間になり、車で家を出ようとしました。するとその隣人がシェリーが出かけるのを見て走りよってきました。そして言いました、「シェリー、あなた、今朝5時半に私のために祈っていた?」シェリーがうなずくと、彼女は言いました、「そうだと思ったのよ。私、今朝5時半にぱっちりと目が覚めて、シェリーが祈ってくれてる、とすぐにわかったの」。シェリーは引っ越した今も彼女と時々連絡を取り合って、証をしているのだそうです。

私も以前、神さまはユーモアのセンスをお持ちだなあと思えることがありました。英語学校で働いていた時のことです。当時の宣教師が子供のクラスをすることになりました。私は通訳で入っていたのですが、その宣教師の教える聖書の話の、深くて難しいことといったらありませんでした。キリスト教の背景のまったくない、まったく初めての子供たちにこれはあまりに難しすぎる!と思い、宣教師に話したのですが、あまり理解してもらえませんでした。そして数日後、別のグループの子供たちのバイブルクラスをすることになりました。宣教師は前のグループと同じ話をする、と言いました。私はそれは難しすぎる、と言いました。パワー・ポイントのスライドを使いながら話をすることになっていたので、最初は基本的なことなので、そこだけにしてはどうか、と提案しました。でも宣教師はその先のスライドも見せて難しい話をしたいようでした。それで私たちは共にひざまずいて祈り、どうすればよいかを教えてくださいと神様にお願いしました。

そしてバイブルクラスが始まりました。最初天地創造の話をスライドを使って話し、子供たちも熱心に聞いていました。そして基本的なところが終り、難しいところにさしかかりました。すると突然コンピューターがプツリと切れて画面が真っ暗になってしまったのです。宣教師はびっくりして画面を元に戻そうとしました。でもどこを押しても画面は戻ってきませんでした。宣教師はすべてを理解し、「どうやら今日はここまでにした方がいいみたいだ」と言い、お祈りをしてバイブルクラスを終えたのでした。子供たちがいなくなった後、私たちはまたひざまずき、どうすれば良いかをこのようにはっきりと示してくださりどうもありがとうございました、と祈りました。するとその祈りの前だか、後だか忘れてしまったのですが、また突然コンピューターの画面がもとに戻ったのでした。あんなにいじくり回しても直らなかったのに、バイブルクラスが終わった途端に突然直ったのでした。私は、神さまってなんてユーモアにあふれた方なのだろうと思ってしまったのでした。

リックの家からの帰り道、ジョンと私は話していたのですが、多くの人は祈りにしても信仰にしても、色々と説明をつけて複雑にしてしまうようです。でも実は、本当に単純なものなのではないかと思うのです。また、ジョンは「神さまは、僕たちが神さまのためのための働きをしていると、このように祈りに答えてくださることが多いような気がするよ」と言いました。

とっても充実な一日だったのでした。



ちこねび |EmailHome