2008年07月07日(月)
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泣いて、泣いて、泣いて |
本日7月7日。七夕ですよ。 あたくしの名前に「夕」という字が入っているのを見た、一番新しい友人が
「あら、日野さん、ひょっとして七夕生まれですか?」
と、とても風流な発想をしていたので、少し感心した。
「(笑)いいえ。私は夕方に生まれたので、この字なんですよ。 七夕生まれなのは、実は主人のほうなんです。」
そう答えたら、非常にウケていた。確かにそうかも。 七夕生まれですかと問うた人の旦那が七夕生まれでした〜、というオチは究極、奇跡的産物すぎるもの。 そんなわけで、この日。ぷよ2もまた一つ年を重ね、家族3人で嵐のようにケーキを貪り食ったのでした(笑)。
今日は少し時間をさかのぼった話を書きたいと思う。
先月の半ばくらいだっただろうか。 夜明けも異様に早い時間になって、4時を回るともう既に外が明るくて、 そんな時間に目が覚めてしまうと、うっかり二度寝のタイミングを失う、そんな季節になってしまった。 この日も、目覚ましが鳴るほんの少し前に目が覚めた。 っつうか、けたたましい泣き叫び声で、あとほんの10分まどろんでいられたのを邪魔された(苦笑)。 犯人はクロワさんではない。 同じアパートに住んでいる、0歳〜2歳児たち(現在、8名在住。多いよね!!)の仕業でもない。
「うわぁぁぁぁ〜〜〜〜っっ!! もう22分やぁ〜〜〜〜っっ!!」
泣きながら大きな声でそう言っている。結構冷静に状況を説明しているので、 時計を見なくても、もう7時22分だというのがわかってしまった(爆)。 声の主は、アパートから道を1本挟んだ一軒家の、小学生の男の子(推定3〜4年生)であった。 この家には今年中学に入ったばかりのお姉ちゃんと、まだ生まれたばかりの赤ちゃんがいる。 時間の実況中継をしてくれた少年と会話をするように、少年の母親らしき女性の怒声も飛ぶ。
「まだ間に合うっっ!! さっさと行きなさい!!」
「間に合わへん〜〜〜っっ! うわぁぁぁ〜〜ん!!」
冷静な大人たちは、これを聞いて思うであろう。 7時22分。 始業前に色々と活動がある小学校も増えているけれど、始業時間・・・・いや、朝の会開始時間まで 余裕でまだ1時間ほどありそうな感じ。 たとえここが住所的に学区の端っことはいえ、子供の足でせっせと小走りに行けば どうだろう・・・・20分・・・・余裕を持って考えても30分あれば間に合うはず。 これはあくまで推測なんだけど、ここらで集まってから登校する、集団登校の集合に間に合わなくて それでへそを曲げて駄々をこねているっぽいのだ。 その間も、大きな声で親子のやり取りは続く。 「間に合う」「間に合わない」「早く行きなさい」「いやだ、(車で)送ってって」 このせりふをいいほど繰り返していた。 あたくしにとっては他人事もいいとこなので、盗み聞くつもりはなかったけれど、 事の顛末が気になって、くすくすと笑いながら 「どうなるんだろう?」とちょっと興味を持ってしまった。
就学年齢前くらいまでだろうな、こういう駄々のコネ方が何とか周囲に許容されるのは(苦笑)。
それ以上の年齢になると、何というか、他人の目から見ても子供に対して同情の余地がなくなってくる。 そう考えてしまうのは、あたくしの心が狭いからだろうか? 甘えている子供に対しての包容力が欠如しているからだろうか? まぁ、色々と起因するところはあるんだろうけれど、一番の理由は、 相手が何歳だろうが、こうやって駄々をこねている人間が、あたくしは苦手。 っつうか、正直、ホント、嫌いなのだ(笑)。 ごねることによって許されてしまうことを恥と思わなかったり、 そうすることによって獲得した何かに対して、にこにこと満足してしまう浅はかさが 本当に苦手なのだ。 子供は未発達が故、ある程度の年齢になるまではそういうのが出てしまうことがある。 あたくしが本当に嫌いなのは、そこで幾許も学ばずに、そう時を置かずして、また同じようにごねる・・・・ これを延々と繰り返していること。
なので、少年の主張が大したことではないと、泣き声に交じって聞こえてくる彼の要求と 母親の言い分を聞いていてわかったので、あたくしはふと思ってしまった。
こうなると、少年と母親もぎりぎりまで根競べである。 とはいえ、こっちも朝は忙しい(笑)。 時間になればクロワさんを起こして朝食を食べさせなければならないし、 お天気もいいから洗濯物もさっさと片付けてしまいたい。 色んなことを同時進行で、たまに寝室の窓のそばに行くと。。。
「送ってってぇ〜〜〜っ!! おぐってっ・・・・(えぐっ)・・・・ってぇ〜〜!!」
まだやってるよ(爆笑)!!
少年が「22分やぁ〜!!」と叫んでから30分。 おいおい・・・・さっき出てれば余裕で間に合ったのに、今度こそ本当に間に合わなくなるぜ? と、余計なお世話的心配が(笑)。
ところがそこから更に30分。 8時22分になっても、このやり取りはまだ終わっていなかったので、 さすがに吹き出してしまった。 少年も頑なである。 そしてこのやりとりが全てご近所に響き渡っていることを、気づいているのかいないのか、 母親もきっちり頑張っている。
少年のわんわん泣く声を聞きながら、あたくしはとある少女のことを思い出した。 とある少女・・・・といえども、あたくしより一つ年上なので、今やいい大人の女性なのだが この女性・・・・今回登場した少年なんか目じゃないほどの、激しい気性の少女だった。
ご近所だったので、小さい頃はよく遊んだのだけど、 あたくしは彼女のことがどうも苦手だった。 もう、とにかく扱いにくいし、やりにくいのである。 3歳、4歳の子供のやり取りだから、未熟なのは当然としても 彼女はわがままというより、感情をコントロールするのが本当に苦手なようだった。 1つ年上だから、あたくしに対して威張ったり仕切ったりするのは仕方がないとしても、 何か少しでも気に入らないことがあると、烈火の如く怒りだしてどうしようもなくなるのである。 あたくしは幼心に、「そういうの、やめてくれないかな」と思いつつ、 彼女が怒ったり、泣き出したりすると、自分では処置の仕様がない(3〜4歳なんだから当たり前か)ので 結局、大人に入ってもらうしかなく、遊んでいたはずがいつも後味の悪い終わり方で 疲れてしまうのである。 なので、彼女が小学校に入学した頃には、玄関同士が10メートル程しか離れていないのに すっかり一緒に遊ぶことがなくなってしまったのであった。
そんな彼女。 さすがに学校へ行くようになってからは、友達の前ではちゃんとした感じで振る舞っているらしかったが、 家でのやり取りは、あたくしと遊んでいたころとちっとも変わっていないらしかった。 夜。 兄弟げんかが派手になってきて、兄に泣かされてけたたましい声で絶叫している彼女の声が聞こえてくると 「あ、またやってる」 とよく思ったものだった。 彼女が小学校を卒業するまでは、まぁそれもありはありだわな、とあたくしは思っていた。 彼女が中学を卒業する頃になってもそういうのは続いていたけれど、 いずれはこういうのも終わりを迎えるんだろうな、とあたくしは思っていた。
が。 さすがに高校生になってからも、子供の時と全く同じ「うわぁぁぁ〜〜んっっ!!!」が聞こえてくると その度に軽くヒイた。 近所で顔を合せ、彼女がすましていると、こっちが恥ずかしくなった。 頻度こそ少なくなってきているけれど、まだアレをやるか(苦笑)・・・・と 一体彼女がどういう気持ちで、どういうつもりで「駄々っ子泣き」をしているのか全く以て理解不能だった。 一つ疑問だったのは、ストレス解消としてやっているにしても「駄々っ子泣き」はあんまりだし、 ひょっとして、あぁやって泣けば全てが許されると本気で信じているとしたら、 18歳として成立していけるのか、その根本的矛盾がどうも解せなかった。
やがてあたくしも高校を卒業し、上京してそこで暮らし始めたので、 それこそ物心ついた頃から耳に馴染みのあったあの「うわぁぁぁ〜〜んっっ!!!」とも 事実上、お別れとなった。 彼女の「駄々っ子泣き」のことがすっかり記憶から風化しそうになった頃、 大学も夏休みに入り、あたくしもこの街に帰ってきた。 帰ってきて、実家の自分の部屋に入り、窓を開けて空気を入れ替えた瞬間、驚きの音声が耳に入った。
ウソだろ・・・・まだやってるよ(爆笑)!!
昔とまるっきり変わらない勢いで、何がそんなに悲しいのか「うわぁぁぁ〜〜んっっ!!」とやっている。 あたくしは、窓をあけっぱなしのままで階下に駆け下り、サヨコに実況報告した(笑)。 彼女も苦笑するだけで何も言及しなかったけれど、あたくしが驚くのと同じくらいは呆れているようだった。
「駄々っ子泣き」の幼馴染は、この年、成人式を迎える年齢になっているはずだった。 なのに「うわぁぁぁ〜〜んっっ!!!」なのである。 大人になったら、大声で泣いちゃいけないという法律があるわけじゃない。 例えばひどい失恋をしたのであれば、自室で大声で泣いて憂さを晴らすのも、精神衛生上いいかもしれない。 だけど、どうも彼女のはそういうのではないらしかった。 家族の前で堂々と大泣きしているっぽかった。 この泣き方をする目的はただ1つ。「アピール」である。 大人になっても、こんなふうに泣いてでしかアピールできないとしたら、 それ自体、少し悲しいことなのかもしれないなぁと、あたくしは思ったけれど、 それより先に、彼女と疎遠になっておいてよかったと本気で胸をなでおろしていた。
そうやって昔を懐古していたら、本当に忙しくなってきてしまって、 家事に追われるうちに、今「駄々っ子泣き」をしていた少年の顛末をつかみ損なってしまった(笑)。 が、寝室から見える少年の家にいつも置いてある車がなくなっているのを見て、 母親の敗北を知ったのである。
何故だかわからないけれど、必要以上に残念な気持ちになったのであった(苦笑)。
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