2008年07月03日(木)
今更の新明解国語辞典


はいよ。どうも。
サボることに幾許も後ろめたさを感じなくなってしまったアサミンジャーです♪
もう、面倒なので、色タグすら用いない地味な文章ですけど、まぁ気にしない。

今更ながらに、赤瀬川原平氏の「新解さんの謎」という、かなり昔の著書を読み返し、
やっぱし面白いよな・・・・と普通に感銘を受けたわけなんですが、
その中に、ちょっと面白い記述があったのでそのことについて書いとこうと思う。


タイトルの「新解さん」の話が一通り終わったところで、後半は「紙」について考える随筆が
何篇かのっている。その中に写真を「紙焼き」と呼ぶことについて触れてあった。
「紙焼き」というと、今でこそすごくレトロな響き、この著書が刊行された当時だってそうだった。
文豪も書いているけれど、写真っていうのは紙に違いないんだけど、どうも紙っぽくない印象がある。
紙幣とは違う意味で、すごく特別な雰囲気を持っている。
風景なり、人物なり、特別な雰囲気、特別な意味をもった「写真」は
人から「紙」とは認識されないくらいに強い力を持つわけなんだけど、
その事情は、この著作が刊行されて数年・・・・ん? もう10年以上経っちゃったのかしら。
とにかく、ありとあらゆる便利なツールが登場しては消えしているうちに、
すっかり変わってしまったようだ。

文豪は、液晶画面に登録されたただの撮影記録としての画像を眺めている人がいたら、
すごく気味が悪いではないか・・・・と言っているけれど、
どうよ、今の日本。老いも若きも、誰も写真を紙焼きで持ち歩くような人がいないではないか!
文豪が気持ち悪がった、液晶画面に登録されただけの味気ない画像(写真)を、
「どう? 私の息子です。可愛いだろう?」
「これはね、この間、孫が遊びに来た時に撮ったのよ♪」
と、一人眺めるに至らず、見せびらかしているような人だっている。
残業続きのお父さんは、休みのときに携帯電話のカメラで撮影した子供の笑顔をひっそりと会社で眺め、
それを励みに頑張っちゃったりする。
「紙焼き」の文化はきちんと残っているはずなのに、文豪と同世代の人々だってまだまだ多くいるだろうに
この有様なのである。
ちょっと前まで、「味気ない」「不気味だ」「どうかと思う」と文豪が堂々と批判したことが、
いつの間にか味になり、普通のことになり、誰も不思議に思わないこととしてまかり通っている。


これが、半〜1世紀の時を経ているというのならまだわかる。
まだほんの10年ちょっとのことなのに、「不気味」が「当然」になってしまう
価値観の移り変わりの早さに、あたくしは本当に驚かされてしまったのだ。
さらに言うなら、情緒的だと言われていたはずの「紙焼き」の携帯の方を
「執念深そう」「気持ち悪い」と敬遠するような風潮すらあるのではなかろうか。
不思議なものね、この国は。
文化的に進化しているのか退化しているのか、実に微妙な感じもするよ。



文化的に・・・・というところからの派生で、もう1点。

岐女短(岐阜女子短期大学。地元民はみんなこう呼ぶ)の伊・落書き事件を新聞で読んだ日。
なんかね、あんまりにもあんまり・・・・お粗末で間抜けな露呈に呆れてものも言えず、
「ホントにバカだわね(溜息)」といった感じだったんだけど、
しばらくあたくしは考えていた。

うん。

確かに。確かにね。

落書きでしか己の存在を誇示できないのだとしたら、それほどに愚かなこともないし、
本当にレベルの低い、常識外の話なんだけどね。
落書きは民俗史を見るにあたっての重要な資料になりうるという事実もまた1つの真実であるということ。
かといって、落書きを礼賛しているわけでも奨励しているわけでもないので、誤解なきよう。
ただあたくしは、例えば2年も前の高校教師の新婚旅行の時の落書きが消されずに残ってしまっている
イタリアの大聖堂の方はどうなのかしら? というのもきちんととらえていきたい。
消しても消しても、次々に落書きされて、もうこれは国際問題なんだから!!と
憤っているイタリア人を、どうしても想像できない。
それどころか、
「日本人はたかが落書きしただけの人間に対して、少々厳しすぎる。」
との意見まで出ているとか。

落書きはいかんよ。いかんけどさ。
世界遺産の大聖堂の前で、落書き用のペンを売っているっていうのもどうなわけ?
普通の教育を受けてきた日本人なら、世界遺産に落書きしたらいかんということくらいわかるよ。
だけどさぁ、日本人の悪いところでもあるんだけど、
「みんながやってるんなら、いいのかな」
とか
「だって、幸せになれるよって言われて、このペンを勧められたの」
とかになって、価値観を狂わされてしまう。
冷静になってみれば、みんな「落書きしたらいかんって、子供の時に1度は言われた」
そのことを思い出せるはずなのだ。


落書きをした人たちのことを許容するわけではないのだけど、妥協点を見つけるとするならば、
イタリアのお国柄に免じて、今回は・・・・といった感じかしら(苦笑)。
日本では、こういうことをするのを「恥」とするそういう文化があるということを、
海外に飛び出して行った時こそ忘れてはならないよなぁ、そう強く思う。
まぁ、今回、指摘された人々は、開き直ってほしくはないけれど、
救いがあるとするならば、5世紀後くらいの民俗史学者たちに、当時の日本の若者が、
普段はどのような形の文字を書いていたかというのを知らせるという
1つの手がかりを残した。偉業といえるほどのことではないが、貝塚未満の文化史かもな。
日本でも相当昔の落書きが遺跡等から見つかっているけれど、
結局のところ、結論はいつもこうである。

↑それが庶民の良さなのか?




はい、報告が遅れましたが。
前まで急場しのぎで使っておりましたノートがとうとう本当に動かないということで
ぷよ2のボーナス事情を考慮しました上で、そう、覚悟の上での「びすたで復活」!!です(笑)。
ファーストマシンからご無沙汰でしたが、再びウシのマークのメーカーにお世話になりますよ〜^^
あたくしとしては、それこそ98時代の適度な不便さくらいでちょうどいいのですが、
この子とも上手に付き合っていきたいと思います。
しかし、液晶(地デジ)テレビ同様、びすたがこんなに早く我が家にやってくることになろうとは・・・・。
我が家の家電事情も、わからんもんです。


これからは、クロワさんが昼寝してくれる限り、ちょくちょく更新したいと思います。
できるといいな。
うん、していきたいな(超消極的)。

あさみ


投票ボタンです。押すとアサミンジャーがはしゃぎます♪


あなたの毎日にずぅむいん・・・・

My追加




めーるはこちら♪

宿帖直通(BBS)