2007年01月28日(日)
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興味深いものが正しく思えてしまう錯覚 |
このスペースで、どうでもいいことを綴っている手前、偉そうなことは言えないのだけど だからこそ、警鐘を鳴らせるということもできる。 あたくしも含め、情報発信に関してはホントにイージーな時代になってしまったようだ。 あたくしは大規模ではないとはいえ、自分で発信する側にも回ってたりするので、 受信する時は、やっぱり敏感になる(笑)。 まぁ、無責任に発信することもあるっていう自覚は持ってるよん♪ ということ(苦笑)。
思うに。 例の納豆事件(笑)。 ありゃ、「事件」だよねぇ・・・・実際すごかった。 いや、あたくし自身がね、あるあるを視聴してて、 奇しくも、放送されるよりも前に、妊娠出産を機に納豆を食すようになってて、 で、実際、放送を見てみて「ふ〜ん。。。でもどうせなら体にいいといわれる食べ方をした方がいいよな。」
「どうせ、毎日食べるんだし( ̄∇ ̄;)」
とまぁ、ノリとしてはこんな感じだったのだ。 次の日の豆製品売り場の閑散としていること!! 正直、驚いた。 月曜日は納豆が安くなる日じゃないのに、ほとんどない(笑)。 そこまで急かされて、みんな急に納豆を食べるなんて、すごいなぁ・・・・。 あたしゃ、あれだけ騒がれた寒天やりんごみかんの時も、煽りを食って迷惑した側だった。 ほとんど日常的に食べているものだったので、売り場から姿を消されると困ってしまうのだ。 ホントはさぁ、納豆だって買ってまで食べるものじゃなかったの。 子供ができて、納豆からしか摂取できない栄養素があるっていうのを栄養士さんから聞いて、 う〜ん・・・・じゃあ、気は進まないけれど、とりあえず自分と嬢ちゃんのために食べるようにしようと 半ば義務感で食べていたから。 で、あの放送(苦笑)。 納豆がそれほど好きというわけじゃないのに、何とか頑張って食べているあたくしの立場って、
まるで、「だまされた!!」と騒いだ視聴者たちとほぼ同じ( ̄∇ ̄;)
正直、そういう人たちと一緒にされるのは非常に胸糞悪いです。 加えて、
放送以前から毎日納豆を食べていたあたくしに向かって、 あの捏造イコールまるで納豆が体に悪いとでも言いたげな、周囲のご様子・・・・
ハッキリ言おう。 確かに捏造したのはよろしくないと思うよ。 たださぁ・・・・。 とりあえず、学説や栄養成分その他に関して、毎日適量を摂取することに関しては、 ある程度の効果が認められているのは、事実なんだわな。 更に言うならば、やせるっていうのもまんざら嘘ではない。 ただ、番組でやってたような効果は期待できないというだけで、「完全な嘘」というわけじゃないのだ。
※別にあるある信者というわけじゃないけれどね( ̄∇ ̄;) とにかく、冷静に分析してみてよ。
で、だよ。 あたくしは納豆がそこまで好きじゃないんだけど、あえていうならば この国では、う〜んと昔からこの食品を毎日食べてて、めっちゃ健康に暮らしている人が多いのだよ。 「体に悪い」と思い込むほうが危険じゃない?? まぁ、1日に納豆ばかり1kgも2kgも食ってりゃ、体に悪いとは思うけどさぁ(苦笑)。 捏造・・・・という言葉ですっかり別のことが刷り込まれてる。 そういうのって、相当危ないよなぁと、あたくしなんかは思う。 鬼の首を獲ったように、「あるある見てだまされたヤツ、バカだよ。」という人間に限って、 自分できちんと獲得した情報ってのを持ってないことが多いように感じる。
あたくしは思う。 こうやってインターネットが生活の中にどんどん介入してきたことによって、 情報の希少化や偏重化に拍車がかかってきているのでは・・・・? と。 ごくごく一部でささやかれていることがあたかも最も信頼できる情報のように錯覚したり、 他のメディアでは拾えない意見を見かけると、目新しいものだからそっちが正しいように思えたり。 でもそういうスタンスって本当に危険だなぁとおもう。 テレビマンたちは、例えば報道番組を作るにあたって、迅速性と正確性をプライドをかけて競うわけだ。 新聞記者も同様、情報を発信することにきちんとした責任感を感じつつ、作っている。 新聞なんてものはみんな、それ相応の代価を払って手に入れるものだから、 情報があんまりいい加減でも困るだろう。 「あるある」にみんなが過剰反応をして「だまされた!!」と思ってしまうのも、 上記のようにメディアの作り手たちにある程度の期待をしているからだともいえる。 テレビマンや新聞記者たちは、信頼性のある情報を発信して当然と大多数がそう思っているし、 事実、そうあらねばならない。情報発信のプロだしね。
一方、ネットで主に無料配信されている情報に、ユーザーはどれほどの期待をしているだろうか? 個人的に感想を述べたり、意見交換でさえもひとつの「情報」になってしまうことに 発信側はおおよそ重要性を感じていないし、受け取る側も然りだろうけれど、 時に、そういう「情報」すらも独り歩きするし、ある程度の信頼性を置かれてしまう。
インターネットのおかげで生活の利便性が上がった部分は認めざるを得ないけれど、 逆に、こいつのせいで、口コミ程度の情報すら自力で集めることを億劫がる人間が増えてきたのも確か。 オンラインになっちゃえば、自動的にそういうのが流れ込んでくるんだから、当たり前か。 例えば、某大手掲示板で話題になっていることの一体何割が世間で通用する「情報」であり、 「有効意見」なのか、今一度よく考えてみることが必要なのかもしれない。 そういうところでささやかれていることと、近所のおばちゃんがこぼした愚痴、 大差ないことを認識すべきだろう。
そうだなぁ。 ここまで情報が氾濫している時代だから、 せめて自分の意見が確立できるように、自分の目でものを見て、 自分の手でものを触って、自分の感じかたっていうのをきちんと認識していきたいよなぁ。 ホント、口コミ程度の情報くらい、自分の目と耳と足でかき集めたいもんだと、切に思うよ。
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