2005年05月25日(水)
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「ごめんなさい」と言うことよりも大切なことって |
昨日、結局、何度か編集画面を開き直してみたんだけど、ホントに書けない日は書けないね(笑)。 一度書いたことを上書きするっていう、取り繕いもあたくしはあんまり好きでないので、 書き足そうと思ったんだけど、それもムリだったみたい。 「ありのまま」が何につけ格段にいいに決まっている・・・・などと傲慢なふうには思っていないけど、 ポージングだけをきちんとしたって意味がない。 そんな感じで、今日は何とか書いていこうかと・・・・(苦笑)。
ニュースを見ていて思ったことがある。 JR福知山線の例の列車事故から1ヶ月。方々にようやく謝罪を始めたJR側だけど、 いい大人が、あんなことでいいんだろうか・・・・と少々、いや、結構、いや、ストレートにかなり呆れた。 何年か前に、しがらき鉄道での正面衝突事故の時、これにもJRが絡んでいたらしいのだけど、 しがらき鉄道はすぐに非を認めて、当初から全面的にフォローに回ったのに対し、 JRはというと、最初は被害者側だと立場を主張し、実はどっちもどっちだという検証結果を突きつけられ そこから関係者の供述が二転三転する有様。 社員の性質はともかく、会社の体質を疑ってしまう。大丈夫なんですか? 西日本??
マスコミも一個人も挙って、運転手であるとか乗務員であるとかを徹底的に攻撃していて、 それに対してもあたくしは、向ける矛先が違うんじゃないかなぁ・・・・と、ずっと思っていた。 あの事故以来、運転手はとにかく重圧が強くて、しなくてもいいような場所でオーバーラン。 駅員さんも場合によっては線路に突き落とされる、すごい事件が多発していて、 耐えられなくなった人々が、20人弱、この1ヶ月で自殺している・・・・っていうのを聞いて (正確には16人だかもうちょっとだか・・・・とにかく、尋常ではないと思った) 「そうじゃないだろっ!?」と強く思った。 あんな大きな事故が起こって、動揺しない方がどうかしている。 これ以上の何かが起こらないようにと、現場の社員たちは神経質になって、 それでも彼らが攻撃の的になってしまうなんて、あんまりだと思ってねぇ・・・・。 自殺にまで追い込まれるようなことを、そういった現職の社員たちはほとんど何もしていないだろうに、 上部の「ごめんなさい」が形ばかりのもののまま1ヶ月間放置したら、 社員があれだけ死ななければならない事態になった。家族はたまんないだろうなぁ・・・・。
まぁ、確かに。ボーリングやら懇親会やらゴルフコンペやら、後から出てくるわけのわかんない事情に 利用者たちが腹を立てるのもわからなくもないんだけど、攻撃するならきちんと的を定めてからだろう。 あの事故から数日間、あたくしはあまりにも報道が次々にあれこれと提示するものだから、 いちいちそれに反応するのがバカらしくなって、1ヶ月、静観を決め込んでいたんだけど、 そろそろ、何がいけなかったのかというのが明らかになってきたらしいので 当初からあたくしが抱いていた疑念とともに、書けそうだ。
しがらき鉄道の事故の時とは明らかに事情が違います。 この事故で常に焦点を当てられている、亡くなった運転手のミスには違いありませんが、 あたくしはこの運転士の年齢を聞いて、「あれ?」とず〜っと思っていた。 確かまだ、23、4歳くらいだったはず。高卒ですぐに乗務に就けたとしてもキャリアはたかだか5年。 すぐに・・・・というのは考えづらいので、5年未満というふうに考えるのが妥当だろう。 高専卒ならこの数字はもっと低くなるし、短大卒なら更に低くなり、四大卒なら駆け出しの新人・・・・ と、そういう計算になる。 とにかく。社の体質を前途有望であろう若者にもグワッと押し付けて、プレッシャーを与えるだけ与えて 「服務に対する教育」がきちんと行き届かないまま、ミスをしたら草むしり・・・・これがどうかと思うわけ。 あたくしが掻き集めた内情によると、ベテランと新人の間にいなくてはならない「中堅」という キャリアの人たちがほとんどいないのだという。
ちゃっちゃと話をまとめると、この会社は人を育てる畑ではない、そういう結論に達する。
先づ儲けありきらしいこの会社。(西日本) 投資らしい投資もしなくて、何が「儲け」だろう。あるもので回そうだなんて横着極まりない。 家庭の主婦ならまだしも、紛いなりにも日本を縦断するように駆け抜けている鉄道会社の端くれ。 国鉄時代はそれでも仕方がなかったかもしれなかったけれど、民営化されて何十年経つんだ?? 「経営」の基本を知れっつうの。 やっと頭を下げたかと思いきや、その後のフォローのお粗末なことったらない。 恐らく、上層部の本音としては、まだ非を完全に認めていないとされても、コレは仕方ないよ? 投資を怠るからこういう事故が起き、賠償額がせっせと切り詰めた投資額を遥かに上回る。 「人材」という資源までポロポロと取りこぼす羽目になり、信用もなくし、 せっかく頑張ってくれた救助活動をしていた人たちにまで降り注ぐ二次災害。 1ヶ月も経てば、もう少しハッキリとした指針が見えてくるものと思っていたけれど、 あまりにもお粗末な展開に、基本的な「生活力」「人間力」の欠如を垣間見た気がして、 あの会社の周囲に聳え立っている「バカの壁」を抜本的に誰かが切り崩さないことには どうにもならんのかもな・・・・と、被害者の方々には申し訳ないが、近づくことすら憚られる。
何も、会社という大きな組織に限ったことではなく、一個人としても同じことが言えると思う。 重大な過失をした時に「ごめんなさい」「申し訳ありません」と口に出して言うのも大切だと思うけれど、 本当に重点を置かなければならないのは、それを表明するという行動ではなくて、 「これ」という指針をしっかりと決めて、二度と同じ間違いを起こさないように細心の注意を払い、 前の過失を帳消しにするくらいの成長を遂げることで、先の「ごめんなさい」を許容してもらうこと。
あたくし自身もまだ稚拙だった頃、この根本がわからずに何度も空回りをした。 大人になってからも、事情がまた更に複雑になった時に、やはり同じような失敗をした。 加えて、「ごめんなさい」と言われる立場にもなったりした。 きちんと成長しきれていないと、許容のポイントを見誤る。そういうことも覚えた。
「ごめんなさい」と言うことはとても簡単で、手軽。急場凌ぎにはいいかもしれない。 でも、急場を凌いだその後にきちんとツケが回ってくることを知っておかないと、 乱発した分、自分が苦しくなるのである。 泣いて「ごめんなさい」が通用するのは一度だけ・・・・仏の顔より二度少ないと思え・・・・。 現場にいた頃、先輩にズシンと重い一言をもらったのだけど、このことを教えてもらわなければ、 あたくしは、最低最悪の人間になっていたかもしれない。 苦言とはいえ、「教えてくれる人」は絶対に粗末にしてはならない。
以後たまに、仏の顔の回数以上にこういうのを繰り返す人というのに出会うが、二度目以降ごとに あたくしがそれまで持っていた信用は半減していった。 嗚呼、こういう気持ちになるのだな・・・・ということを身を以って知り、 自分は、教えてくれた人を裏切らないように、きちんとしなければと再三再四教えられるのである。 人間、同じところで同じ失敗をしないように心がけていても、どうしても回避できないこともある。 それもよくわかっている。
謝罪で終わっているようでは意味がない。 主に仕事に関して書いたけれど、オトコとオンナの機微にも似たところがあったりする。 ま、コレには情が加わり、縛りは多少なりとも緩やかではあるが、一度失った信用を回復するのに、 物凄いパワーと時間を要するのだということくらいは、多分、皆様の方がよくおわかりではないかと(苦笑) あたくしはこれまで切って終わらせてしまっていたので、苦労から回避しすぎた(自爆)。 ただ、切ってリセットした後に物凄い空虚感が襲うことは請け合い(笑)。 新しく開拓していくパワーは、修復に必要なパワーと恐らく匹敵する。
「改善」というのは即ち、そういうことなんだろうな。
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