「いや、あたしはとても他所様のこととは思えずに見てるんですけどね・・・・。」
微熱が一向に下がらず、朝も起きられず・・・・なんて生活がそろそろ4〜5日目に突入。 夕飯だけは何とかしたいっ!!という、あたくしの気合と根性も空回りで、この日の夕飯、ナポリタン。 それをすすりながら、他に何も見るものがないから、適当に「キスイヤ」なんかを眺めながら 頭はボ〜ッとしているけれど、何でか一言一句が胸に突き刺さるこのカップル(核爆)。
沖縄出身の28歳の彼女に、名古屋に土着っぱなしの22歳の彼。
彼からのプロポーズの5日後に、彼女は別れ話を切り出し、彼はマジギレ・・・・という流れであった。
にゃは♪・・・・まだ少年の匂いがするよ、この22歳(♂)( ̄ー ̄)ニヤリッ おぉ・・・・彼ママに将来の夢が甘いとか言われてるよ、28歳(♀)( ̄∇ ̄;) つか、彼ママ・・・・この家での権限を恣にしてて、いくら沖縄出身ののんびり娘だろうが何だろうが、 嫁いだ瞬間から一緒に同居というのは、正直キツイかも(苦笑)。 一家総出で、彼女の夢を真っ向否定って、それもどうなの・・・・? つか、もう成人しただろう自分の息子を「可愛い、可愛い、素敵♪」と連発する、あの母親にちょっと 拒否反応めいたものが滲み出してきましたが・・・・( ̄∇ ̄;)
えぇ。勿論、忠告されなくても、この番組に台本が存在し、「あいのり」のように あれこれとディレクターから注文が付き、最終的に再現不可能なところは役者発注・・・・っていうシステムは ちゃんと把握してますよ。 でもまぁ、とりあえず出演者が何であれ、『実話』に基づく『何か』には違いないので、 そんな調子で見てるんですけどね。
「この彼氏、自分であんだけの条件を提示しておきながら、彼女の希望は何一つ無視かよ。 えらい、勝手な理由でキレとるなぁ・・・・。」
「小さい、小さい(笑)。それに、溺愛されて育ったアレが滲み出てるわ。 絶対に一人っ子。つか、長男(第一子)がアレだと残りのが心配だわねぇ・・・・。」
「これは別れて正解かもなぁ。オトコの方がダメだよ( ̄^ ̄) 大体家の中で、母親の意見が第一に通っとるなんて、やっぱ良くない!」
「・・・・・・・・。え? キミん家と一緒じゃん。」
「え??( ̄□ ̄;)!!」
ここで、ついポロリと冒頭のせりふをこぼしてしまった。 テレビでやってたのは極端だとはいえ、その片鱗が、あたくしが嫁いだこの家にも少なからずとも 蔓延していた形跡がある・・・・あたくしはそういうのには頗る敏感で、『形跡』だけでも察知してしまう。 そんな自分がとっても嫌だったりするんですが(苦笑)、まぁ嫁いだ後なので 『形跡』くらいはギュッと目を瞑る。 今更30オトコを、人目も憚らず溺愛する・・・・なんてことはさすがに非常識で、恥ずかしいと思えども、 恐らくあたくしの勘が間違っていなければ、ぷよ2もひとり暮らしをするまでは こんな感じで育っていたという匂いが、今でもプンプンする。
ま、一人っ子長男を、無理矢理この土地にひっぱってきて結婚しちゃったという、 ちょっとした負い目もあるので、あたくしも表立っては何にも言わないし、義両親もあたくしのことを とても可愛がってくれるので、文句を言えた義理ではないけれど、 本人たちは「コレが日常、コレが普通」と思っていることが、意外と普通じゃなかったりするもんである。 それはあたくしにも沢山ある部分で、それを互いに許容しあっていって、初めて1つの所帯となるわけだが やっぱり、自覚を促すということも大事なのかもしれないと思って、つい零してしまったわけで。 あたくしの勘は大方的中していて、「自分のところはあんなに酷くないから」と、 自覚が半分のところで止まっていたようだ。
いや、溺愛が悪いと言っているわけじゃなくって、された経歴のある人間が今正にされている人を 「アレはダメだよねぇ〜。」というふうに言っちゃうことに、問題があると思うの。
ぷよ2はとある時点で「コレじゃダメだ」と気付いたらしく、同じ名古屋市内で ひとり暮らしを始めたわけだけど、「コレじゃダメだ」と気付くポイントがもう少し遅かったら、 テレビと同じ顛末になっていただろうことは容易に察することができる。
あたくしは溺愛期間とほったらかし期間が極端であった。弟がいたからだ。 今だったら虐待扱いされてしまうようなことも、されたにはされたし、家の中では明らかに弟の方が 要領がよかったので、あたくしは家の中での地位は諦めて、家の外での栄冠を目指すことに必死だった。 自他共に認めるこの「メリハリ」のおかげで、家では超自堕落な生活をしていても、 外では輝かしき実績を次々に残していた子供時代。家で自堕落すぎる生活を送っていたため、 外での栄光が家の中で認められることはほとんどなかったけど(笑)。 それでもあたくしは、自分の育った家やこの土地が大好きで、大学進学の際、 上京することがとても憂鬱ではあった。正直な話、名古屋あたりに適当な大学があれば 絶対に受験していたのになぁ・・・・とさえ思った。 上京を果たし、サヨコが池袋駅であたくしを見送って帰っていく時、 彼女が泣いているのを見て、初めて、「家族」という繋がりを感じた。 19歳の春。 娘を知らない土地にひとりで置いていく不安や寂寞が、こっちにまで伝わってくるかのようなあの涙は 比べられながら成長してきたあたくしが、やっと「1個」として認められた瞬間でもあった。
ある時点まで、山賊もとても厳しく、脅威であった。 あたくしが高校1年の夏に、無断ではないとはいえ、強行的に外泊したときに雷を落とされたのが 思えば最後であった。 それ以降は、彼の逆鱗に触れるようなことを一切せずに、適当に機嫌を取ることも覚えたし、 手が空いていれば店も手伝ったし、生活リズムが逆転している彼にいい頻度で顔も見せにいったし。 ここから彼はだんだんにあたくしを溺愛してくれるようになり、多少、鬱陶しい(苦笑)とも思ったけど それでも男の沽券に賭けて、あんなに学費の高い大学に通わせてくれたことへの感謝の方が強く、 一緒に暮らすようになってからも、鬱陶しいだのウザいだのとは口が裂けても言えないのであった。 結婚するまで、「え〜わ、え〜わ。お前1人が食う分くらい、何とでもなる( ̄^ ̄)」と 体調が優れず、就職できないあたくしを遠まわしに労わってくれたのも、実は彼だし。 普通はヨメにも行かず、職にも就かず、病気だとはいえ家でダラダラしていたら、 小言のひとつも垂れるだろうに、一切、そういうのはナシで、ある意味、溺愛してくれた。
大人になればわかることも、そのポイントポイントではわからないこともある。 20歳前後の小童が、ただ両親のことを思い・・・・というのと、 30歳前後のそろそろいい齢の人間が、現実的に両親のことを考え・・・・というのとでは 恐らく、成分からして違う。 テレビで見ていた、まだ少年から脱却しきれていない22歳は、親への恩は親に返すべき・・・・という 短絡的な思考でしか動いていないけれど、うちらの年齢になるとそれも少し変わる。 親から受けた恩は、自分たちが親になった時、同じように我が子に与えていくことで返すもの・・・・。 でも、できるかなぁ・・・・経済力にせよ何にせよ、同じようには無理かもしれないけれど、 とにかく頑張らなきゃだわ・・・・そう思う。 あたくしもぷよ2も場所は違えども、同じように高度経済成長という時代を背景に 子供時代を駆け抜け、きちんと「与えられて」育ったクチだ。 なので、きちんと「与える」ことをしないといけない。間違った方法ではなく、ちゃんとした方法で。 同様に親のことも考える。 その時、その瞬間に相応しい「適切」なやり方がきっと今後見えてくるに違いない。
ブチギレて彼女のことを短絡的に「いらない!」とまで言ってしまったのは、単なる若気の至りだと あたくしは思うのだけど、こういうのは恐らく、繰り返されるんだろうなぁ・・・・ 画面を見ていて、その予感めいたものがガンガン伝わってきた(苦笑)。 どうして、名古屋が一番いいと言い切れるんだろう、このお坊ちゃん・・・・(謎) どうして、結婚するのが彼女にとって最良だと言い切れるんだろう、無駄に謎(爆)。
本人は「絶対にないっ!」と言い切ることだろうが、名古屋を出て暮らしたのはカナダでの9ヶ月間のみ という、拠点は絶対に名古屋であるぷよ2にも似た方向性が皆無とはいえないので、 ホントに、他所様での出来事と楽観視できず、ひとり「(―‘`―;) ウーン」と唸りながら、 何でもないバラエティをしかめっ面で見ていたアサミンジャーなのでありました(笑)。
互いに精進し、いずれ大成せよ!! 自分ら!! みたいに思うのである(笑)。
それにしても、日中、ずっと37℃台の体温を保っているってどうなんだろう? 起き抜けは、ギリギリ下回るものの、すぐに大台を突破し、寝るまでずっとその体温をキープ。 オマケに食欲の抑制が効かなくて、お腹がいっぱいで気持ち悪くなっているのに、まだ食べようとする 自分が不気味( ̄∇ ̄;) PMSだとは思うんだけど、気分も憂鬱。外にも出たくない。 この日、にわか雨数回・・・・照ったり曇ったりの変化が激しく、日永一日、気圧の変化に振り回されて、 それだけで疲れきってしまっていたのでした(トホホ)。
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