2004年11月09日(火)
アナログでみそひともじ


自分が結婚だ何だと追われている半年のうちに、次々と注文が入ったり、
注文まではこぎつかずとも、昔の好のところで新しい命が誕生したりと、
嬉しいお知らせがいくつもいくつもあった。
一応・・・・と自分で言ってしまうと、看板倒れになるんだけど( ̄∇ ̄;)お金を頂いて歌を詠む・・・・
なぁんてことをしているので、妥協なき作品を輩出しようと、只今日々格闘中。


お客様にも同様に、「妥協しないで、自分が気に入るところまで煮詰めていきましょう♪」
メール等で忌憚なくやりとりするようにしているので、たとえ、完成作品にまだ改竄の余地があるとしても
「コレ!! コレしかない!!」とお客様が仰ってくれるまでは、何首でも詠む覚悟で
あたくしも、漢和辞典片手に、その人だけへのメッセージをいくつもいくつも詠む。
いつもは自分で掲げないテーマもあったりするので、コレはコレで楽しいし、
色々な発見もあったりするので、お金を頂きながら勉強中・・・・すごく贅沢な身分だ。


そんな中、旧友・かの子から入った2つの注文に対し、あたくしは手始めに
4首ずつ、計8首をまず提出したんだけど、ビックリするくらいのスピードでGOサインが出た(爆)。
こっちではもう少し改竄の余地アリか・・・・?と覚悟していたのに、ある意味で拍子抜け(笑)。
でも、インスピレーションでぐわっとひらめいてきた言葉たちが、彼女に気に入ってもらえたなら
それでいいと思い、昨日、下書きを提出したら、またもや物凄い早さでGOサインが出たので、
本日、久々に色紙への清書作業にかかります。

初の、純・コラボレイト作品になるのです。実は。

真ん中にいつもはお名前の文字を入れたりするところ、今回はそのスペースを丸々空けて、
そこに、かの子のイラストを入れてもらって初めて完成となるわけで、
あたくし自身も、自分の作品を他人様に引き継いで、それでやっと完成・・・・という道すじは初めて。
手元に、確実な完成図が残らないまま、あの色紙たちは大阪へと旅立つ。
思ったほど心配ではないのは、かの子のセンスのことをそこまで詳細でなくとも、
あたくしがきちんと覚えているからかもしれない。
あたくしはそれこそ、絵を描くなんていう芸当は自分の範疇外のことなので、
その部分を彼女に任せられるのならばと、この企画にすぐに着手した。


お贈りしようとした歌は、次のような感じ。
「洋子」と名付けられた、あたくしらよりも年上の女性。
どんな感じの人かと色々と伺ったら、この中の1首が、かの子の琴線に触れたらしい。


清き水たたえるようなあなたには大きな大きな志がある


大洋を渡るあなたのやさしさにキラリ輝く勇気が見える


この国を越えて広くつつみこむそのやさしさがたくましいのよ


新しい使命に果敢に挑むひと山も海をも包み込むよう



かの子が選んだのは別のものだけど、あたくし自身は4首目が好きだった(笑)。
だけど、「洋子」さんをずっと見ている彼女が「コレだ!」と選んだものに間違いはない。

「真左子」と名付けられた女性・・・・この方も、若干我々よりも歳が上だ。
文字を調べてみると、とても面白い意味合いが込められていた。
「洋子」さんも「真左子」さんも、介護に関る仕事をしているそうなのだが、
お2人とも、名は体を表すではないけれど、既に天命を知っているかのような働き者なのだ。
特に、「真左子」さんは介護という仕事をするためのような名前・・・・ため息が出てしまうほどに
正に、彼女のことをきちんとサポートしている名前に出会って、歌を詠むのが一気に楽しくなったり。
ちなみに、「真左子」さんにお贈りするつもりだった歌はこんな感じ。


助けたいそれがあなたにこめられた神様からの使命なのです


熱のあるあなたの愛につつまれて皆が笑顔をわけてくれるよ


勤勉なあなたの両手にこめられた自然な愛とやはらかな力


理想へと向かふ人らの道しるべ真(まこと)の道は両の手にあり



彼女へのメッセージは、あたくしもかの子も見事にシンクロして、全会一致。
いつも色紙の片隅に入れる、「がんばれ♪メッセージ」も気に入っていただけたようだ。
この「気に入ってもらう」というのが、何よりの1歩であり、垂れ流しで詠み続けている日常に
一区切りを齎してくれる、いいポイントだったりする。
詠めといわれれば、いくらでも詠めるよ・・・・でもどこかにピリオドや「けり」が必要なんだ。
それが「歌」の制約で、リズムの面白さで、「連歌」ではないひとつの体系なんだ。
改めてそのことを思い知らされる。

かの子もアレコレ考えるよりも、きっと自分のインスピレーションを信じたのだと思う。
妥協はしていないと思う(思いたい(苦笑))。
そうだからこそ、このメッセージが「洋子」さんや「真左子」さんに届く頃には
もっとこの言葉たちが熟成して、輝きを放つように、あたくしも最善の努力をせねばならない。

↑一気にイメージが広がった!!



ところで・・・・。
勝手に紹介しちゃっていいかしら・・・・?
あたくしの人生の先輩、ナイト・mGさんもこのサーバーで日記を執筆中なのですが、
そこで、歌を詠むことに対してのことに少し触れてありました。
引用転載は慎みたいと思いますが、彼の自由な歌もまた彼の人となりそのままを投影しているかのようで
とても素晴らしいものです!!
同じように詠め、といわれても、コレだけは土台無理な話で、彼にしか詠めない、
彼だけの世界がそこに広がっていて、とても清々しいものなのです。

あたくしのことを「先生」などと祭り上げちゃってくれてますが(笑)、でも・・・・でもね。
今までの意識を改革してまでも、「歌」に挑む・・・・なんて、あたくしにはとても出来ないな・・・・
逆にそういうことを教えられているわけなんですよ。

あたくしが歌を始めたきっかけについてはここにも何度か書いていると思うのですが、
1つの理由として、

「ダラダラと長文を書いて自分のいいたいことを伝えるのって、本当は日本語を使うことができれば
誰にでも出来る、簡単なことで、本当に『文芸』の中で『表現』をしていくには
完結明瞭に何かを伝えることを、自分は身につけなくちゃいけないんじゃないか・・・・?」


という、ある種の「制限」の必要性を自分の中に感じてしまったことだと思っている。
あたくしの長文癖は、そりゃもう酷いもので(爆)、まぁ長期御愛読の方々は
それも御愛嬌・・・・と許してくださった上で読んでくださっていると思うんだけど
たった31文字で、それと同じことが出来なければ、抜きん出ている・秀でているとは
とてもじゃないけれど言えないな・・・・と思うところもありましてね。
言うまでもなく、短歌の世界の中にも鬱陶しい「修辞」が沢山あって、あたくしは
それにまでも縛られるのは真っ平御免と、自己スタイルの中でしか詠めていないのだけど、
それでも、例えばその「修辞」という制限がやがてあたくしに降りかかってきたとしても、
掻い潜って「表現」に繋がるように・・・・まぁ死ぬまでにそれができるようになれば上等だ・・・・
くらいの覚悟はある。
「和歌」でも「短歌」でも「現代短歌」でもない、「夕雅流みそひともじ」を確立させたのは
何も、修辞から逃げたのではなく、規制を31音のみ(字足らず字余り大歓迎♪)というふうに
自分で決めた、自分への約束・・・・それだけだったのだ(笑)。


自分との約束を果たすのがやっぱり一番大事。
自分を裏切った作品は、絶対に他の人も揺るがさない。

↑下の句も御一緒に♪(押してくださってありがとう♪)

あさみ


投票ボタンです。押すとアサミンジャーがはしゃぎます♪


あなたの毎日にずぅむいん・・・・

My追加




めーるはこちら♪

宿帖直通(BBS)