2004年09月21日(火)
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少女も大志を抱いちゃえ |
とうとう、男のシンクロが大会にまで発展した。 某映画がドラマ化され、今年の夏のクールではパート2のドラマまで放映中。 新聞を見れば、確か昨年、文化祭でこの男のシンクロに挑戦した、地元の高校の記事も載っていた。
その高校が、この大会にエントリーしていて、かなりいいところまでいってたんですけどね。
見ていて、正直「羨ましいな・・・・」と思った。
自分の高校時代も、かなりハッチャけていて、羨ましがられてもおかしくないくらいに 充実しまくっていたと自負できるんだけど、彼らが挑戦していることと、自分が挑戦してきたことの間には 明らかな「違い」があると、あたくしは直感でそう思っちゃったわけで。
その差って、一体何だろうと考えた時・・・・そこには、『男』と『女』の差があって、 ちょっぴり切ないような、でも甘酸っぱいような、何ていうのかなぁ・・・・ノスタルジーとはまた違う ある種の憧憬に似た感情が沸きあがってきてしまうのである。
あたくしは、『女』に生まれてきて悔いたことは、一度もない・・・・と断言できない過去がある。 今は、『女』たるやのメリットを十分堪能できるようになっていて、 今度生まれてくる時も、絶対オンナがいいわ♪ なんて思っているわけだけど、 あたくしのイマジナリーコンパニオンには、一人の少年もいるのだ。
その少年が、多分、彼らの一所懸命な姿を見て、ウズウズしてるんだろうなぁ。 自分は『女』だから、絶対に無理なこともある・・・・『男』だったら、どんなに無邪気で、 鈍感で、直情的でいられることだっただろう・・・・。 そういう思いが、今でも尚、拭い去れないでいる。
少年以上に大志を抱いてきたはずのあたくしは、過去、少女だったわけで。 少年以上に、必死に何かと対峙してきたわけで。 それでも、掴みきれないボーダーのところにある「何か」をどうしても手に入れたくて、 もがいて、もがいて・・・・。
胸が大きくなってくることや、月経が始まること、髪を長くすること、 全部を受け容れてきたつもりだけど、もがいた痕跡が疼く。 男子の学ランを借りて着た時に、どうしてあんなにも、背筋が伸びる感じがしたのだろう? 勧善懲悪を気取って、女の子を助けた時の恋にも似た胸の高鳴りは、本当に自分のものだったのか? あれは一体・・・・何だったんだろう・・・・?
あたくしは女性。 問題なく、女性として機能しているし、ジェンダーアイデンティティも女性だと自覚もしている。 なのに、時々、自分の中で疼いてくる、この感覚は何なのだろう。 自分の中の少年は、まだ独立・・・・孤立したままで、ともすれば暴走とかしてしまうのかな? 心配だけど、あたくしは思う。 一粒で二度美味しい、アーモンドグリコのような人生も、悪くないんじゃないの?って。
少女として大志を抱き、女性として野望を抱き、野心家という肩書きは誇りでもあり、 あたくしの歩んできた、人生の棋譜。軌跡。 苦しいのだけど、自分の中の少年をきちんとこの目で見てやらないとなぁ。
少年の無邪気さと鈍感さと直情的な感覚で、あたくしは大きくなったのかなぁ。 憧憬や寂寞を感じるのは、あの時きっと、素直じゃなかったからだと思った。 今ではもう遅すぎるけれど、やっぱり今年立てた誓いの通り、自愛ではなく、 慈愛に生きるべきなんだ・・・・多分そうすれば、あたくしもあたくしの周囲も、きっと幸せになれる。
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