この日の夜、久々にユリ姐と長電話で楽しんだ。 それ以前に、リエから帰省の連絡がメールで入ったりして、今年の夏も やっぱり彼女と歌って過ごすんだなぁ♪ と思うと、この平和さ加減が何とも面映い。
そんなユリ姐が電話で言っていたんだけど・・・・。
「私ってさぁ、大人になってからできた友達の方が多いんだよね。」
まぁ、「大人」の定義が難しいところだけれど、同じ学区に住んで普通に公立の学校に行っている 義務教育の間にできた「おともだち」と、自分の意志(あたくしの場合は半ば諦め状態だったが) で決めた学校(居場所)をはじめとするコミュニティでできた「友達」というのは、 明らかにその成分が違う。それには、このあたくしも、義務教育の間に色々と障壁を感じていたものだから ユリ姐の云わんとしている事に関しては、凡その察しがすぐについた。
波乱的いじめられ経験者でもある我々は、多分、何らかの形で、他人にある程度の危害を加えることで きっと溜飲を下げ、ここまで生きてきたことと思うが、義務教育の間、 他人とぶつからず、何ら起伏なく、平和に暮らしてきた人間には凡そわからないであろう 「何か」と「おともだち」の関連性は非常に深いものと思われる。
あたくしなぞ、義務教育の間、別段、クラスの中で暮らしていくのに 不自由しないだけの交友関係もあるにはあったが、卒業してしまえば、泡沫の如くの絆で、 所詮はその程度だったということ。 実質、高校や大学、それを経て、ありとあらゆる現場で出会った頼もしき同朋や先輩たちとの方が 未だに交友が続いているところを見ると、やっぱり、与えられた枠よりも勝ち取った枠での方が 生き生きとのびのびと自分に合った暮らしが出来るんだなぁ・・・・ということを実感せずにはいられない。
今回、挙式をするにあたって、一番あたくしに影響を及ぼしたと思われる、東京での友達が ほぼ一切招待できないのが非常に残念でならない。 無論、高校時代の友達があたくしのコアを形成するのにとても強い影響力を持っていたことは否めないが それ以前の友達となると、もうあたくしには、リエとトモくんくらいしかいない。
ユリ姐と同期だった頃。 あたくしは、彼女にあまり近づかなかった。 何故なら、明らかにあたくしに対して危害を及ぼすと思われる女性と、彼女が一緒に行動していたからだ。 ユリ姐のことは決して嫌いではなく、寧ろ好きだったんだけど、 精神衛生上、この一緒にいたオンナとあれこれやりとりをせねばならないのを考えると、 距離を置くのがベストだと思い、あたくしは、女性ではなく男性がつるんでいるグループの中で ほぼ半年くらいをずっと過ごしてきた。
やがて、このオンナが色々と問題を撒き散らす台風の目だということが、 周囲の目から見ても明らかになった頃、あたくしとユリ姐の距離も徐々に縮まっていった。
基礎を徹底的にトレーニングをしている間は露呈されなかったが、 その基礎を応用発展に結びつける段になって、初めて、芝居の世界で何が通用して何が通用しないのか そういうのが明らかになったのと同時期だったと思う。
あたくしは、基礎トレーニングは嫌いではなかったけれど、既にある程度のファンデーションを持っていた。 そりゃ、大学で座学をあわせて4年間、ずっと芝居のことにかかりっきりだったんだから当たり前だ。 台風の目のオンナは、確かに風貌は標準より上だったと思う。 しかし、見た目が可愛けりゃそれでいいかというのは、雑誌モデルやスチール専門モデルの話で、 CM・ドラマ・映画・・・・となってくると、そういう見映えは付録みたいなもので、 基礎で培った何かが応用できないとなるとスッパリと見切りをつけられるのがこの世界。 それは半年間、トレーニングを受けただけでも、明らかなる実力差として露呈されるものなのだ。
実力・・・・というとまた話がごっちゃになってくるが、応用発展の段になって、 いきなり壁にぶち当たる人の方が多く、あたくしもその口だ。 が、壁にぶつかって初めて得るものも多く、そこで踏ん張りを利かせられるか否かに 人間性・・・・っていうのかなぁ、『認めらる人』とそうでない人がスッパリ分断される。 出来ないなら出来ないなりに、他人の2倍でも3倍でも努力をしていると、 自然と同じ板の上に立っていても、間合いがつかめてくるものなんだが、 この努力を少し怠るだけで、一気に進行がぶち壊しになるから不思議なものだ。
台風の目的オンナは、確かに、ひとりだけのエチュードをやらせると、時にとんでもない実力を発揮したが ユニットを組んだ途端に脚を掬われるタチで、本当に危機回避能力が備わっていれば、 脚を掬われる前に自分で巧い事軌道修正が出来るものなんだけど、 彼女にそのような能力はなかったようで、いつも、大勢のユニットエチュードの後では文句をたれていた。 まぁ、その文句の一部には納得せざるを得ない他人の明らかな大失敗も含まれているので、 全部が全部、彼女が悪いとも言えないんだけど、失敗した大元の人間が頗る自省をかましているのに、 彼女だけは、何でか良くわからないんだけど、横柄だった記憶がある。
これが、決まった役を割り振られ、決まったせりふを言わねばならない『制御』がかかってくると、 彼女はますます居場所を失っていくように思えた。 NGやダメ出しの基準が、統一化されたからだ。 今までは、各個人の良さや悪さを絶対評価で逐一下されていたのが、 せりふを忘れる、決まった立ち位置にいない、動きのタイミングが1テンポ遅れる、 たったそれだけで、演出からダメが飛ぶので、そこから芝居が進まない・・・・なんてことは 数日間だけの話ではなく、下手な話1ヶ月くらい、同じ頁から先へ進めないことも珍しくなかった。
この芝居には、あれこれ伝説がつきまとったが、最悪のレジェンドをぶちたてたのは、この彼女である。 打上の飲み会会場で、彼女はこんな捨て台詞を残して、さっさと帰っていった。
「もう2度と一緒にやらないから( ̄^ ̄)」
傍で聞いていた人間は、固まったらしい(爆)。 ・・・・っつうか、この世界での環境不適応者はあなたなんじゃ?? みたいな空気が一瞬流れたが、 今、どこで何をしているのやら・・・・。 早生まれだったので、あたくしよりも1つ年下だったが学年は一緒・・・・みたいな年頃で、 ここの養成所を彼女が立ち去ってから、「アイツ、下手なAV事務所に捕まらなきゃいいけど・・・・」 みたいな心配を、本気でしていた男性同期が結構いたくらいだから、 この彼女の勘違い歯車は、誰が見ても明らかで、AV業界でメジャーデビューを果たしたところで 先は見えてるのに、彼女にはそれがわかんないんだろうなぁ・・・・と、意外な同情票が集まっていた(笑)。 その年齢になっても、そんなこともわかんないのか?みたいな、子供扱い的同情票だったが・・・・(苦笑)。
同情されているうちはまだ、愛されているようにも思えるんだけど、 『ともだち』って、それ以上に、愛されて尚且つ、その人に必要とされる人間かもなぁ・・・・。 『ともだち』という言葉に集約されなくとも、もっと広意義的問題で、 例えば、一緒に仕事をしたい人である、とか、この人の頼まれごとなら多少時間を割いても やってあげようか、とか、そういった意味にもスライドできるんだけど、 やっぱりあたくしには、ただの昔馴染み・・・・という「おともだち」よりも、 もっと濃密なぶつかりあいをした人でないと、今ひとつピンと来ないのである。
ユリ姐はそういった意味でいくと、同じ場所で痛い目に遭わされた 「同士」なので、未だにこうして連絡をとりつつ、旧交を深めていられるのかもしれない。
高校を卒業する時期になって、明らかに毛色の違いが露呈されてしまったのが、 大方の原因かと思われる( ̄∇ ̄;) ・・・・何でかわからないんだけど、女で「学士号」を持っているのは、親戚中、あたくしのみなのだ(苦笑)。
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