2004年06月21日(月)
雨ニモマケズ


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ



小学4年だったか5年だったか・・・・あたくしの暗記力が絶好調だったのは丁度その時期で、
百人一首の百首全てを覚えたのもこの時期。コレは小学5年の時の担任の先生に勧められたのだった。
そして、確か山賊宮沢賢治の伝記を読んでいるところを目撃され、その流れから
この上の詩を暗誦できるようになっておけ・・・・なんていうお達しが出た。

負けず嫌いのあたくしは、1週間とかけずに、この詩をしっかりと頭に叩き込んだ。
以来、今でも一言一句、違えることなく、暗誦が叶う。

暗誦は叶うが、こんな生き方、出来ようはずもなく、あたくしはいつだって自分を責めるのだ。
大学に入ってから、文芸学科の宮沢賢治研究の授業を選択して、あれこれと食い下がって学んだ。
その中で知ったことだが、この詩は、賢治の遺書みたいなものらしい。
原稿用紙ではなく、手帳のメモの部分に走り書きのように書かれており、
これ以降、一切の作品は残されていない・・・・遺作だ。
この詩を書いた直後、事故で死んだ・・・・そういうふうにも伝えられている。


あたくしの場合は・・・・まぁこんな感じだ。


雨にも負けて
風にも負けて
雪にも夏の暑さにも勝てぬ
どうしようもなさ
貪欲で
怒りは押し殺すもの
静かに笑う振りだけはできる
1日に食パン1枚と
薬だけは欠かさず摂取
あらゆることを
自分を地軸に考えて
よく見聞きしわかるが
すぐに忘れる
インターネットの小波の隅の
小さなレンタルサーバにいて
東に病気の子供あれば
見守ることも儘ならず
西に疲れた母あれば
行かずとも電話くらいはしてやり
南に死にそうな人あれば
行かずとも手を合わせる準備だけはし
北にケンカや訴訟があれば
面白いから火に油を注ぎ
男旱でも泣くようなことはなく
冷夏が来ればはしゃいでみたり
皆に「根無し草」と呼ばれちゃったり
褒められるけど
鬱陶しがられたり・・・・
そういう者にだけは
なりたくなかったのになぁ



賢治の研究をしているうちに、あの詩の内容が「そういうふうに生きてこられなかった自責」であると知り、
彼の恐ろしいほどのポエジーの力強さが、途端脅威に思われて、しばらく宮沢賢治から離れた。
あたくしは、現在進行形で生きているので、まだこの詩の内容はいくらでも書き換えることができるが、
理想としては、謙っても遜っても、賢治未満の自尊心が保てればいいなぁ・・・・それだけ。


ここ、岐阜県西濃地方は、本日の台風の影響をモロに受けまして、
とんでもない状態になっています。明日の朝までに400ミリは降るそうな・・・・くわばらくわばら。
こんな日に限ってぷよ2は何と、夜勤で、さっき出て行ったものの、
駅に到着した途端、東海道本線がストップしてしまったらしく、今、大垣駅で足止めを喰らっている。
多分・・・・名古屋まで出るのに、あと2時間はかかるだろう。
夕方、4時を過ぎれば、何とかこの暴風も治まると思うのだが、大垣駅は人でごった返しているらしい。
あんな小さくて狭い駅なのに、機能が止まると結構、不便なのね・・・・。

↑少々息苦しいくらい・・・・

気圧の変化が目まぐるしい時は、どうしようもないので、布団をかぶって大人しくしているしかないのです。
さっきからテレビを某国営放送にして、ずっと情報を追っているのですが、
中心気圧978hPaって・・・・( ̄∇ ̄;) 生きていけない、あたくし( ̄∇ ̄;)
そんな弱音を、あの詩に込められなかった後悔ごと、風が全てを吹き飛ばしてくれますように。


どっどど どどうど どどうど どうど・・・・。

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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