2004年06月06日(日)
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狭い街ならではの毎週日曜日 |
毎週日曜日。 あたくしはサヨコと連れだって、決まったスーパーへ行く。 ここは、日曜と水曜に売り出しをするので、日曜日は必ず、欲しいものがある時は 水曜にもたまに行く。
先週の日曜日、このスーパーで、トモくん一家と劇的な再会をしたことは この日記にも書いたけれど、またもや日曜日、そしてこのスーパーで、 ホントに珍しい人を見かけてしまった。
通称:「フルバァ」。( ̄∇ ̄;) うちらの時代、大垣市には「三大ババァ」という物凄い権力を持った体育教師がいて、 それぞれ厳しく、それぞれ物凄いパワフルで、市内9校ある中学に、きちんと分散して生息していた。 そのうちの1人、「フルバァ」はうちの中学で、やっぱ物凄い権力を発揮しつつ、 やんちゃなうちらの学年を常に監視しているような立場の人だったんだけど、 なぁんとなく、卒業してしまうと、あの激昂が聞けなくなる寂しさからか、 卒業生からは異様に慕われる存在ではあった。
高校に進学し、後に、うちの中学以外にも、このような先生・・・・女性体育教師(定年間近)が そのパワーを遺憾なく発揮していることが判明し、誰が言い出すともなく、 「大垣市三大ババァ」という、凄く名誉な称号が彼女たちに与えられた。 誰が一番怖かったか・・・・などという不毛な噂話は一切なくて、それぞれがそれぞれに怖かった、と 誰もが認め合う、そんな存在で、でも、彼女たちが定年を迎えると知ると、 何となく卒業生たちは結束して、花束を贈呈してみたり、彼女たちを囲む会なんかを開いたり・・・・と 結局は、生徒たちに愛されるべき存在であったのだ。
あたくしも、「フルバァ」には結構やり込められた口だ。 某洗脳教育推進校において、彼女の潜在能力は遺憾なく発揮され、 常にうちらの学年を管轄する立場にあったものだから、よくここにも書いた 「裏からの根回し」の総括的命令を出していたのは実は彼女で、 ハンバーグ事件の時に、1時間半もこっぴどく説教してくれたのは彼女だ。
あたくしは、懐かしさから、彼女に声をかけようとしたんだけど、出来なかった。 未だに怖いわけではない(爆)。
いつもの日曜日のような様子だったなら、それこそ、先週マキちゃんを呼び止めたように 声をかけていたかもしれないが、恐ろしく長蛇の列を成しているレジの遥か向こうに、 「フルバァ」がさっさと荷物をまとめて、店から出て行くその姿を黙って見ているしかなかった。
しかし、体育教師ってのは「老い」を知らぬ生き物なのな( ̄∇ ̄;) ホント、昔と全然変わってない。 寧ろ若返ったくらい(爆)。
今住んでいるところは、実家とは隣の学区になるんだけど、そこの小学校に、 あたくしが小学1年生の頃に担任としてお世話になった先生(女性)が赴任していることが、 先日の回覧板で明らかになった。 この先生も、元々体育の先生で、以後、音楽の先生にもなっちゃった異色の人なんだけど、 この人も変わんない!! 多分、サヨコと同じくらいの年端だったと思うが、写真を見る限り、 物凄く若々しいし、あたくしが小学1年生だった頃に世話になってる・・・・っていうんだから、 彼女が教師になってから、猶に四半世紀は経っているというのに、あの変わり映えのなさは ある種、驚異で、これぞイリュージョン!!
同じ頃に世話になった音楽の先生(男性)は病気で、しばらく教職を離れていたという噂を聞いたのだけど 復活してしばらくしてから、うちの母校の教頭先生になっていた。 「のわっ!!??」とのけぞった(笑)。 殊、「先生」という生き物は、「老い」を知らず、いつまでも元気なものだ。
狭い街での異動しかあまりないので、こういった光景はよく見かけるものなんだけど、 自分が小学生時代といったら、もう20年以上前のことになり、 自分が中学生時代といったら、それこそ15年以上前のことになり、 我々はそれぞれに、物凄い様変わりを果たしているんだけど、あの頃既に大人だった先生たちは、 いつまでも変わらないのはどうしてなんだろう・・・・?(笑)
しかし、母校の校舎が変わらないのと同様に、先生の御様子が変わらないのは、 世話になった教え子としては、何だかとても頼もしくて、面映いような、 嬉しい気持ちにさせてくれる。
大学の学部内通信で、世話になった先生が立て続けにお2人もお亡くなりになった・・・・。 老衰を伴うものではあったが、「先生って、いつまでも元気!」という認識を 改めさせられるような感じもして、ずっと会っていない人なのに、そういう話を聞くと やはり少し寂しい。
教師に「いつまでも変わらないでくれ」という注文を出すのは、些か無理があるのだけど、 彼らはいつも、その要求に応えようとしてくれているから、あたくしにとっては 離れてしまってもありがたい存在ではある。 先生には恵まれてきた方だと思うので、尚更だ。
昨今、どうしようもない教師がウジャウジャいるみたいだけど、 あたくしが出会ってきた先生らは、ホント、昭和テイストのいい先生が多かった。 確かに厳しい人も多かったけれど、それも期間限定(笑)。 「卒業」という儀式を迎えれば、それも皆、いい思い出になるから不思議だ。
雨の日のスーパーで、扱かれた中学時代の思い出を馳せていたんだけど、 あまりに人が多すぎて、既に本日のパワーの75%ほどを消費しきっている アサミンジャーなのであった( ̄∇ ̄;)
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