| 2004年03月20日(土)
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ソプラノとテノールのあいだ |
前に、小学5年の頃「アコーディオン奏者争奪戦」に参戦し、敗者復活の上、 見事に16人の枠に収まった、悪運の強さ&成功劇をここにも書いたと思うが、 あの時、あたくしが手にした緑色のアコーディオンも「アルトアコーディオン」なのであった。
中学の洗脳教育の一環で、「合唱」というのがあったんだけど、 何の因果か、あたくしは一等最初に並んだそのひな壇の位置で、アルトにされてしまった。 以後、音域査定もあるにはあったが、3年間、貫き通してアルト不動の人間として歌い続けた。
この頃、わが母校は、そりゃあもう、合唱に命を賭けんばかりの勢いで、うちらが1年だった頃、 全校合唱をする際、「この人、既にソリストとしてイケてんじゃないの?」みたいな、 3年のソプラノはかなり目立っていた。15歳にしてソリストだぜ? ありえねぇよ・・・・(-。-) ぼそっ その頃、全校合唱として用いられていたのは「グローリア」という曲で、 そうだなぁ・・・・第九とかハレルヤとか、あぁいった感じのジャンル、日本では「めでたい」系になる 混声三部だか四部だかの合唱曲だったんだけど、1年のうちは女子全員、 ソプラノを歌わせてもらえなかった。 というと、どういう編成になるかというと、2年と3年の女子半分(以下)のみでソプラノを担当し、 あとの半分プラス1年女子全員がアルト、で、男声という編成になる。 こんなんで、きちんと統制が取れるんかいな? とお思いの方も多々おられようが、 この編成にしても、何と、ソプラノの威力が絶大で、アルトが押され気味だったのである。
全校合唱の練習に、3年女子が加わるだけで、恐ろしい統制の変化を来すので 我々はのけぞってしまうほどだったが・・・・。 ・・・・だったんだが。
いざ、自分らが3年になってみると、毎年のことに慣れてしまい、 クラス替えが行なわれて、いざ自分らのクラスを見渡し、 今年はこの子がピアノ伴奏をやってくれるだろうな・・・・とか、 パンチの効いたソプラノがいなさそうだな・・・・とか、 こりゃ、もう1回音域査定があるぞ・・・・とか、 そういったことまでわかるようになり、あたくしはそうでなくても学年合唱レベルでは タクトを振ったりしていたので、自分がアルトだとすると、他の戦力って誰だ?みたいな 余計なことも考えたりして(笑)、クラスの統制であるとか、ひな壇に並んだ時の位置であるとかも ちゃんと頭の中で計算して、誰をどこへ持ってくることで、パートのコアが出来上がるか・・・・ みたいなことまで考えていたのである。(洗脳って恐ろしい・・・・( ̄∇ ̄;))
あたくしは、3年間、クラスではずっとテノールの隣を陣取って、そこで歌っていた。 ソプラノは主旋律を持っていくことが多いので、自分の出している音をきちんと把握するためである。 男声と女声ではそもそも成分が違うので、男声が主旋律を歌っていても、自分が今、 スコアのどこを歌っているのか、というのがきちんとわかるので、意地でもそこを動かなかった(笑)。 で、3年にもなってくると、それまでに培ったものがとりあえずは発揮されるので、 アルトのコアにまで成り上がっている自分がいた( ̄∇ ̄;) ・・・・っつうか、先生がわざとあたくしをそこへ配置するようになった(爆)。 クラス替え如きで、顔ぶれが多少変わっても、大概どこを見れば大体誰がいるかというのを、 先生や指揮者も把握してないといけないので、そういう意味ではポジションの大移動というのは よっぽどのことがないとなかったのである。 女声と男声のつなぎ目に当たる部分の3列目(クラスだと3列編成)に、必ず日野がいる・・・・ という図式を、先生にも叩き込んでおいたのである(笑)。 で、コレで1年間、凡その歌をこなし、3年生は卒業式の卒業合唱に臨むんだけど・・・・。
ここであたくしを空前の悲劇が襲ったんだった(苦笑)。 およそ200人くらいいるうちらの学年、ひな壇を組む時は、そりゃもう大騒ぎなわけだけど、 あたくし、学年合唱の時は、大概タクトを振っていたので、この中に入れられる回数が 異様に少なく、加えて、身長もそんなに大きすぎず小さすぎずといったサイズだったので、 中段よりちょい上の中央あたりにいればそれでよかった。 だけど、卒業合唱は担当の音楽の先生がタクトを振ることになっていたので、 普段、教室で同じ曲を振っている子達も、全員その中に組み入れられてしまうのである。 あたくし与えられたポジションは悲惨であった。
もう片側のアルトよりのお隣は、リエだったので、少しは心強かったんだけど、 いくら歌いこんだ歌とはいえ、ソプラノを凌駕する声量を求められても限度というものがある。
加えて、あたくしは卒業合唱の「ハレルヤ」でタクトを振っていたので、 他人より、パート練習の回数がやたらと少なかったのである。 この洗脳学校は、卒業合唱に異様に力を入れていたので、3年も3学期を迎え、 2月下旬、もう私立高校の入試が終わった後の学活全部を、この練習に注ぎ込むほど 精力的だったのである。 で、各パート毎に集まって(要するに50人くらいずつ)、ピアノ伴奏の子とタッグを組んで、 その練習をするんだけど、アルトとかテノールとかバスのチームなら、まだいいんだ。
あたくしの出向先はソプラノの部屋で、教室の後ろ端、右から左まで全員ソプラノ、 しかも、いつもは3段重ねくらいのひな壇が、4〜5段に増えていて圧巻(爆)。
先生に言われて、自分は椅子の上に立って指揮するように指示されたんだけど、 とてもじゃないが、主旋律の暴走性は指揮者一人で治まるもんじゃないなと、この時悟ったのである(笑)。
で、しかもダメだししなきゃいけないのね。 アルト、テノール、バスの音域だったら、きちんとできるんだけど、ソプラノだけはどうしてもダメでね(笑)。 止めて、小節頭の音をピアノにもらって、「じゃあ、ここから」と指示を出して、 一番リアクトがいいのはソプラノなんだけど、指示の内容を一番伝えにくいのが 彼女たちなのだ。
あたくしがソプラノだったらよかったんだけど、「ハレルヤ」はそうでなくても、 オクターブ上のEとかFとか連続して登場するので、その音についてのダメだしをしようと思っても、 こっちの声帯が、その音に対応していないため、うまいこと出来ないのである。(な・・・・情けねぇ。)
多分、今、音域査定をしてもきっとアルトにまわされると思う。 低音のファルセットは今でも綺麗に出せる自信はあるが、高音(G以上)は絶対ムリだから(爆)。 あたくしは地声がわりと高めなのだけど、喋り声だけを聞いて、 さっとソプラノに回そうとする指導者のことを、あたくしはあんまり信用しない。 何でかっつうと、かつて、地声の高い人間ばかりがアルトをやっていた集団にいたことがあり、 ソプラノとよりもテノールとのハモリを楽しみにしていたフシもあるので、 音域査定もまともにやってくれないような指導者は、真っ平ゴメンなのである。
この間のミュージカルでは、都合、ソプラノ・・・・マイクの関係で何曲かアルト、 全員合唱の部分で、都合メゾ・・・・とかいう、凄い不安定な位置にいたんだけど もっと歌をやりたかったなぁ・・・・。 楽器を満足に弾きこなせないあたくしの楽器は、この身体だけだから、 もっと、音楽を楽しみたかった・・・・そう、ソプラノとテノールのあいだで(笑)。
それはそうと、この間、ソプラニータの岡本知高氏の「涙のアリア」をカラオケで歌ってみた。
あぁ、勿論、ヘイリーの「アメイジング・グレイス」も挑戦済み。出ることは出るんだわ。 ただ、「涙のアリア」の方が数段難しかった。 その昔、米良氏が「もののけ姫」を歌っていて、国民がその美声に酔いしれたことがあったが、 あれはどんな男性でも、鍛錬を重ねれば出せる音域=アルトの音域なので、 あたくしはお遊び程度でしか眺めていなかったけれど、ソプラニータというのは、 本当にすげぇな・・・・と息を呑む。
苦労の多かったアルトスコアは今でもあたくしの部屋にきちんとファイリングして、 全部残っている。 何故だかわからないが、テノールやバスのダメだしも一緒に書き添えられているそのスコアを見ると、 もう少し、音楽の勉強を深めてやってみたかったものだなぁ・・・・と後悔すらするのである。
後にわかったことであるが、当時あたくしらの指導に当たってくださっていた先生は、 アマチュアとはいえ、かなりハイレベルのソプラノ歌手らしかった。 結婚を機に、教職から離れ、後の消息はあたくしにはわからない。 ただ、彼女は言った。
「どこかで、皆と『第九』なんかを歌う機会があるかもしれないわね・・・・。」
あの先生は、今でも歌ったり、ピアノを弾いたりしているのだろうか・・・・? 卒業合唱で、一番泣いていたのは、彼女だったのだ。
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