あたくしってば、すぐに他人様とか架空のものに影響されやすい性質みたいで、 自分でストッパーをかけているからいいものの、多分、放置しておくと コスプレとかして、アニメオタクがうじゃうじゃいそうなコミケとかにも出かけそうな そんな「余分な勢い」みたいなものも秘めています。
まぁ、元々が「役者気質」なんだから・・・・と言ってしまえば聞こえはいいけれど、 一歩道を踏み外すと、完全にヤヴァいところにいるんだな・・・・そう自覚するようにもなった。
オーアエと話していてわかったのだけど、 あの5番目の暴れん坊が出てくるようになったのは、芝居が出来なくなった時期とリンクしていて、 それでも無我夢中でヤツの出現を食い止めていられるのは、芝居に代わって、 例えば、ヴァイオレンスシーン満載の小説を書いてみたりだとか、 主人公をとにかく不幸に、とにかく暴力的に、とにかく極端に描写することで あたかも自分がそうなったかのような錯覚を生み出すことによって、 何とか歯止めが利いているのだというのも判明した。 ・・・・スッキリするのである。
正直なところ、誰かが不幸になったり、凄い境遇に曝されたりするのを、 ケラケラ笑いながら見ていられるほど、あたくしの神経は図太くないけれど、 あたくしの作り上げた「キャラクター」がそうなるのは別みたいで、 ハチャメチャな苦難をわざとセッティングして、主人公がもがき苦しんだ挙句、 作者であるあたくしですら想像もつかなかったような答えを、その主人公が突きつけてきたりすると、 凄くスッキリするのである。
自分で暴れるとなると、体力も精神力も消耗しやすくなるし、 如何せん、周囲に迷惑をかけることになるけれど、 自分の作った「架空の人物」はあくまであたくしの所有物で、 そいつが法に触れようが、人様を殺めようが、全て架空の世界で起きていることだから 偽物だけれども、それが目下のところあたくしが追及している「安心感」を生み出してくれている。
昔、書いた、シナリオブック(これも未完。大学ノート10冊分はある。)を 今読み返しているところ。 主人公は戦争経験者で、人は殺すわ、薬には手を出すわ、闘う、暴れる、もう好き放題。 あたくしの手から離れて、彼らはノート2冊目を待たずにして、既に独り歩きを始めていた。 今、読み返してみると、あたくしの知らない銃の名前や、薬の名前や、医学用語が バンバン登場する。 当時、多分、資料とかをかき集めて、それをそのまま実用に回したのだろうけれど、 それにしたって、書いた本人が忘れるほどに「自立」してしまった登場人物たちは 痛快の粋を通り越して、あたくしが歯止めをかけなければ、 次はもっととんでもないことをやってのけるところまで来ている。 続きを書くには、また最初から資料を集め直して、刺激の強い恐ろしい展開を作らねばならないようだ。
それでも、自分自身が暴れるのよりかはマシと見えて、ここしばらく 5番目の暴れん坊は、外に出てこなくなった。 アイツが全てを支配することをオーアエなんかは無責任に望んでいるけれど、 あたくしは、それが何を意味しているのか手にとるようにわかるので、 とにかく、机上の空論で終わらせたいのだ。一番平和。一番安全。 アイツが出てくると、創作云々以前の問題となり、 芝居は愚か、書くこともままならない。 創作は、完全なコントロールの上でのみ成立する・・・・と昔、誰かに吹聴された。 でも、それは本当に尤もだと思う。 アンコントロールが良しとされるのであれば、ことばや音、絵画や建造物、 その他、「芸術」と呼称されるものは、一切が風化してしまうだろう。 そして、コントロールの難しさを芸術に携わる人々は皆よくわかっている。 だから、自らのコントロールが効かなくなった瞬間に、発狂したり、自殺したり、 エクスプロージョンじみた何かを引き起こすのだ。
あたくしが、5番目の暴れん坊を外に出そうとしない理由は、オーアエにもちゃんと伝えた。 どうしてそんなにも芝居がやりたいのか、書く事をやめずに続けているのか、 それについてもちゃんと話した。 ただ、オーアエはそのことを了承しても、尚 5番目を外に出すことを薦めてくるのだ。
昔やった、ロールシャッハテストで、あたくしは攻撃性とその抑制力という 両極端な側面を量る箇所で、両方共、とんでもない数値を出していると言われた。 元来持っている攻撃性は、凄い僅差で抑制力の方が若干上回っている為、 日常生活ではあまり表に出てこないのだけれど、箍が外れれば、この均衡は一気に崩れる。 そう言われた。 心理の先生の所見によると、危なっかしい人格ではあるらしいのだけど、 オーアエが、「彼女は役者なんだよ。」 と本来の職業を言ったら、 心理士も 「だったらこの数値もわかります。」 とあっけなく納得したそうだ。 こんなにも攻撃性が強い人格なのに、どうしてそれが徹底的に抑制されなければならないのか、 それは、「役者だから」の一言に帰依するらしい。 つまるところ、役者にこのテストをさせれば、当然のように抑制力の強さを露呈する運びとなるのだろう。 (攻撃性の強さに関してはおいといて・・・・) 調節された感情、コントロールされた動きや語気、限られた空間・・・・ 役者はいつもそういう場所で生活している。 その中で、怒ったり泣いたり笑ったりする。 自らコントロールできない者は、いずれかの形で排他されていくのを あたくしもこの目で何度も見た。
あたくしが「影響されやすい体質」と自覚しているのには、色々と理由がある。 様々な因子を持つ、全く別な人間を演じようと思ったら、まず最初に試すのは「模倣」である。 この「模倣」が上手くいったら、次々に肉付けをして、1つの人格を作る。 そういう作業が、好きか嫌いか・・・・という括りでいくと、あたくしは断然「好き」の部類なのだ。
さて・・・・。 かなり難しくて、ややこしい話に見えますが、あたくしが本日、本当に言いたかったのは、 ただ1つ・・・・とても、シンプルでアホっぽいことを正当化するために、 ここまでのことを書きました(爆)。
あたかも、自分が本当の公道で、インパクトブルーのシルエイティをかっ飛ばしていると 勘違いを起こしていたのでしょう(爆笑)。 タイムアタックの際に、マジになって、死ぬほど力が入ってしまった・・・・そんなところです。
それをぷよ2に律儀にメールで報告したら、
「そんなヤツは初めて見た・・・・」
という、呆れ半分の返事が返ってきた(苦笑)。 そう・・・・あたくしは花見の歩き疲れと最初は思っていたのだけど、 左足が何ともないことに気付き、自分がなりきり真子ちゃんになっていたことを悟ったのです(爆)。 まぁ、コミケに行ったところで、なりきり真子ちゃんは特に目立つコスプレが必要でもなく これはこれでいいんだろうし、安全圏内なんだろうけれど、 例えばこれがセーラームーンとかだったりしたら、かなり拙いんだろうな・・・・ と、ひとり想像を馳せていた。<おぉ〜〜〜寒気がしてきた( ̄∇ ̄;)
やったことはないけれど、元々、コスプレとかって嫌いじゃないんだろうな。 今までに、舞台とかでも本当に色んな衣装を着たし、下着紛いな露出度満点のものもあったし。
ナース服も着たよ♪・・・・一番太っていた時代だったけど( ̄∇ ̄;) 中学の時点で、和服に割烹着、頭は手ぬぐいを姐さん被り・・・・なぁんてのも経験してる(笑)。 ピエロみたいな格好もやったことあったなぁ。 オールヌードも1回だけある。 まぁ、学生時代は日常生活から既に、コスプレかそうでないかの ギリギリのところを突っ走っていたので、あたくしに関しては多少露出している方が普通に見えたらしい。 晒を巻いて、ロンタイを穿き、靴ではなく草履を素足に履いて、 ノースリーブの長い上着を羽織っただけの姿でキャンパスをウロウロしていたこともあったので、 何が普段着で、何が衣装なのか、そこら辺の線引きも、かなり難しいところではあった(笑)。
これは、芝居のチラシ用写真を撮影する時に申し渡された衣装で、 各自、それぞれ普段はあんまりしないような格好にしてみようじゃないかと、 勝手に写される側の人間だけで話が持ち上がり(笑)、それぞれ役割を決めたらこうなった(爆)。 考えてみれば、あたくしのところに、こういう役が来たことは一度もない。 芝居とは無関係で、せりふもなく、ただイメージカットを撮影するという試みだったので こういうのが実現したのだけど、上がってきた写真を見たときに、 爆笑を買ったことは言うまでもない( ̄∇ ̄;) ちなみに、その時の衣装は、普段からそんな感じの格好をしている同期の子に借りました(爆)。 普段着として持っている衣装のバリエーションの差があからさまに露呈された瞬間でもあった(爆)。
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