2002年03月08日(金)
婚礼布団

 今時こんなモノ、要りません( ̄^ ̄)


 もし、用意して頂けるのであれば、なるべく、現ナマがよろしいかと思われます。


「でも、旧家に嫁ぐとなると大変ですよぉ〜?」



 我が家にやってきた、布団屋にそう言われた。
 婚礼布団・・・・。
 もはや、使用目的すら謎な布団( ̄∇ ̄;)


「旧家に嫁いでみてぇ・・・・(-。-) ボソッ」



 冗談で、そう布団屋に言ったら、爆笑された。
 このように、この地方では未だに「いざ結婚」の段になると、
 婚礼布団だの、婚礼家具だの、余計な心配をしなければならない。
 先方が「旧家」であるならばそうであるほど、
 まずその先方がこちらの足元を見るかのように、色々と喧しい。
 喪服も持たずに嫁に行くなどもってのほか。
 キッチリと実家の家紋が染め抜かれた喪服を持たせないと、
 親は、娘が嫁ぎ先で何を言われるかわからない、などと心配せねばならぬのだ。

 あたくしも、自分の知らないうちにいきなり自分の喪服が出来上がってきていた。
 嫁入りの気配すらなかった頃の話である。(大学時代)
 母親が昔から馴染みの呉服屋に頼んだという。
 着丈、袖丈、裄、身幅、その他寸法は、
 振袖を仕立てた時のをどうやら控えてあったようだ。





 そういえば、ミユキの結婚の時は、この「旧家」の薫り高い
 まんま、田舎の披露宴だった(爆)。
 先方が「家は代々こうだ!」と引かなくて、まず、招待客は白無垢で出迎え。
 おまけにその後、色内掛けに着替えて、鏡開きをした。
 その樽酒は新郎側親族一同からの餞というわけである。
 一方、ミユキはやっぱりケーキカットがしたくて、
 同じ披露宴の間に、何度も御色直しをして
 白いドレスの時にそれを行なった。
 彼女がそれを主張しきることが出来たのは、世が平成だからであって、
 相手が「旧家」であることに変わりはない(笑)。
 ばあちゃんが金屏風の前で日舞(多分、演目は「高砂」あたりだろう)
 を踊ったりするのも、もはや笑える。
 相手の親族の脳みそは、明治時代から変わっていない(爆)。









 とにかく笑えたのは、まだ30そこそこで、
 子供もいない布団屋の若旦那が、いくら仕事とはいえ、
 「婚礼布団」を勧めるという、時代錯誤さ加減。
 この人もきっと、菓子まき(※1)をした口だろう。






※1

ここら地方一帯で行なわれる婚礼時の定例行事。
派手なところでは、瓦屋根や2階から、
袋詰にされた菓子や祝い餅をばらまく。
それを近所の人々が奪い合いに来るのである。
地味なところでも、ちょっと高級系の箱入り菓子(ブ●ボンあたり)(笑)
を手渡しに配るくらいのことはする。
主に新婦が家を出た後、とり行われる。
また、新婦が新郎の家に出向き、
一通りの挨拶を済ませた際にも、再び行なわれる。
最近は、花嫁の御支度を実家で行うこと自体が少なくなったので
菓子まきもあまり見られなくなった。

















 大体、核家族だらけになってきて
 結婚だけは「家」と「家」のものだなんて、
 そのもの、ナンセンスである。
 無論、結婚とは赤の他人と一緒になることで、
 その他人にも自分と同じように親や縁者はいるわけだから
 そういった人たちとの付き合いは、面倒でもこれはこれで義務に近い。
 為さねばならぬことである。
 が、今時「家」と「家」はないだろう?
 この地方だけ、痴呆 地方色豊かなのである(爆)。


 でも、全国的に「披露宴」となると未だにこれは見たことがない。
 例えば・・・・。
 田中ヨシオさんと佐藤ヒロミさんが結婚するとする。
 未だに、披露宴会場の入り口には堂々と、



田中家
佐藤家
結婚御披露宴会場



 などと、平気な顔で掲げているのである。
 加えてこの地方は、披露宴の案内状まで両家の父親の名前で送られてくる。
 多分、来世紀くらいにならないと



田中ヨシオ
佐藤ヒロミ
結婚披露宴会場




 にはならないだろう(苦笑)。


 あたくしが何となく「結婚」が面倒だと思うのには
 こういった背景も、多少、影響してたりもする。


 来世紀あたりに一般的に実現するだろうことを、
 今世紀中に普通の顔して出来るのなら
 今すぐにでも、大宴会を催す覚悟はある。
 もう、喪服が用意されている時点で、何となくそれを否定されている気がするのは
 錯覚だろうか・・・・( ̄∇ ̄;)



 綿布団の打ち直しだけで済んでくれて、本当に良かったと
 胸を撫で下ろしている。

あさみ


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