2002年02月10日(日)
よい子の世界史新聞

 昨日、何でか最終的に「宗教」の話になってしまって、
 自分でも「あれれ??」といった感じだが、まぁ、アレはアレでよし(笑)。
 だけど、ちょっと気になったので、色々と調べているうちに、
 いかに自分が世界史に疎いかというのが、わかってしまった。


 高校時代、世界史を教えてくれていたのは、赴任して間もない通称(♂)で、
 あたくしは、彼によくいじられた。
 (イジメられてはいないが、イジられた( ̄∇ ̄;) )
 は、高校2年の時に世界史、3年の時は政治経済の教科担任だった。
 あたくしが2年の時に、飛騨の高校から転任してきて、
 以来数年、あの高校に留まっていた。
 んでもって、同じ学校の国語教師を口説き落とし、
 あたくしらが卒業する頃には結婚して、
 国語教師の方が他校に飛ばされていった。
 この恋愛劇は、諸説紛々、色々な噂が生徒間にも立てられていたが、
 一番有力だったのが、あのひょろっちいオトコ・
 件の国語教師と別の社会科教師(♀)が取り合っていたという説である。
 取り合ったオンナたちも、今から思えばそう大したことはないが、
 そのターゲットになったこそ、正に大したことがなかったので、
 あたくしたちは、先生たちの三角関係を面白おかしく噂した。


 この
 当時、あたくしに何か恨みでもあったんでしょうか。
 授業とは全然関係のない事柄で、あたくしを指名しては解答させた。
 最初のうちはよかったが、途中から明らかなる嫌がらせと感じたあたくしは
 世界史や政治経済とは全く関係ない分野に根を張ることで
 の鼻をあかすべく、日々雑学を詰め込むのに忙しかった。


 が前に勤めていた飛騨地方は、同じ岐阜県でも使う言葉が全く違う。
 2年の最初の授業日。
 まぁ、ここらでいきなり授業に突入する教師は痴呆だ。
 そのへんもは理解していたらしく、
 赴任先も新たに、自己紹介やら生徒の名前と顔を覚えるのに1枠を費やす。
 その時間での出来事・・・・。(忘れもしねぇ(-。-) ボソッ)


 その前に注釈しておこう。
 山賊こと、あたくしの父親は飛騨の生まれで、
 その影響でか、あたくしが幼少の頃も日常にバンバン飛騨の言葉が飛び交っていた。


 さて、張り切った
 いきなり、前任地での出来事を話し始めたのである。
 他の生徒で、飛騨に馴染みのない子らには、多分新鮮だったかもしれない。
 だが、あたくしにとっては小さい頃から父から聞かされてきたような話ばかりだ。
 と、
 たまたまその日の日付だったか何だったかで、あたくしを指名する。
 (出席番号と日付であてる先生というのは意外と全国区に生息しているらしい)


「『こけ』って、何や知っとるか? ( ̄ー ̄)ニヤリッ」



 明らかに「知らないだろ?( ̄ー ̄)ニヤリッ」と取れる挑発を、あたくしは買った。
 単にムカついたからでもあり、その前に勝てる確信もあったから(爆)。
 自信満々にあたくし(当時17)は答えた。


「キノコのことです( ̄^ ̄)」

「何で、お前、そんなこと知っとるんや?」

「私の父は、生まれも育ちも飛騨ですから。( ̄ー ̄)ニヤリッ」

「うぬぬぬぬぬ・・・・・。」




 以来、彼とあたくしの攻防が始まった。
 程なくしてこの「こけ戦争」 がクラスの中で絵の上手い子の手にかかり、
 教室後部の黒板に、これがまた描きやすい彼の姿が原始人化されて(笑)
 片手に石器、片手にキノコ(こけ)という
 本人も突っ込みきれない絶妙な具合で描かれた。
 かくしては自分からふっかけた個人攻撃において、
 あたくしを相手にしてしまったことが転じ、
 あたくしの後ろ盾についてくれたイラストレーターにまでもしてやられ、
 「こけ戦争」 でモノの見事にコケてしまったのである(爆)。


 それ以後、世界史や政治経済の授業行程で彼に何度か指名されたりもしたが
 その勝敗がいかほどのものであったかというのはあまり覚えていない。
 ただ、定期テストの点数はあんまり良くなかったので、
 その程度の生徒と見られていたのかもしれない。


 しかし、それ以外で彼は色んな話題を提起し、知識をひけらかすクセがあったので
 それに対しては、猛烈に対抗して、こちらも知識という知識を蓄積していった。


 そんなある日。
 忘れもしない、高校3年、5月12日のことである。
 政治経済の授業冒頭。
 今日は何の日か? という話題から始まった。
 普通の日である。
 教室内は「え〜? 何か特別な日だっけ〜?」とざわつき始める中、
 あたくしひとり、嫌な予感(笑)。


 その予感的中(爆)。


 3年4組。日本史選択の私立文系クラス。通称、女クラ。
 あたくしの出席番号は、奇しくも1番。(本名の苗字が50音順で早いのら)
 共学クラスならかろうじて23〜26番といったところだ。
 (当時はまだ、男子と女子を分けて出席番号がふられていたので)
 この日は5月12日。絶対に当たるわけなどないのである。
 が。



「ほい、日野。」

(来やがった。)

(っていうか、何であたくし?? 12番の子は???)

(嗚呼、明らかなる嫌がらせ・・・・この時に再痛感。)

「何でしょう?」

「今日は何の日でしょうか?」



 こっちだって、負けているわけではありません( ̄^ ̄)。
 勝てる喧嘩しか買わないのです。
 あたくしは、徐に立ち上がり、ちょっとだけ考えるフリをしてみる。
 知っていたのだ、実は(爆)。<その日が何の日なのか。


「・・・・・。」

「さぁ、今日は何の日でしょう( ̄ー ̄)ニヤリッ」

「いくつかあるんですけど・・・・・( ̄ー ̄)ニヤリッ」

「!!?? ・・・・いいや、答えなさい。」

「フローレンス=ナイチンゲールの誕生日で、
そこから転じて、『看護の日』でもあるようですが。」


「!! 何で、お前、そんなこと知ってるんだ?」

「ナイチンゲールの伝記は小学生の時に読みました。
誕生日まではさすがに忘れてましたけど、
今日の新聞のコラムにそのようなことが載ってました( ̄ー ̄)ニヤリッ」


「・・・・正解です。座りなさい。」













 まぁ♪ 気持ちのいいことこの上なし(爆)。
 必要ないのに、人名のファーストネームまで言ってやるのは、
 クイズ界では相手を挑発する攻撃の1つとして認められているワザでもある。
 でもコレは、本当に奇跡的な勝利だったのである。
 たまたまその日の朝、いつもは読まない新聞のコラムに書いてあったのを
 直感的に記憶していたのだ。
 当時、朝が忙しくても、ざざっと新聞に目を通すくらいのことはしていた。
 が、コラムや社説まではあまり読まない。
 それがこの日たまたま、目に止まった記事がその「ナイチンゲール」だったのである。
 彼女は、クリミアの戦士だけでなく、当時18のいたいけな少女も救ってくれる
 本当に天使のようなお人だと、勝手に思っていた(爆)。
 こうして「看護婦戦争」 もあたくしの勝利で幕を閉じ、
 以来、政治経済の授業は、日本史の枠に食いつぶされて
 大した授業もしないまま、イコール、に実質的な反撃をされないまま
 あたくしたちは卒業を迎えた(笑)。




 ・・・・と。世界史にはこのような記憶しかないのである(爆)。
 半分はの記憶( ̄∇ ̄;)
 むむむ・・・・ここまで書いて思い返すと、
 は2年次、日本史の教科担任だったかも(爆)<曖昧すぎ。
 大体、記憶そのものが授業内容でなくてその他のところにあるものだから。
 そうだ、そうだ。
 は日本史担任で、世界史はさっきの恋愛劇にも登場した、
 通称こと田中(♀)だったわ。
 この田中、とてつもないクセ字を書くのだ。
 「ゲルマン民族」というのを彼女が書くと「ケツレマン民族」に見えるのだった。
 「ゲルマン民族」なんて、2年の時にしか習わないし、
 習うとしたら世界史。
 「ケツレマン民族」話ができるのも、のおかげ。
 思い出したぞ。は2年の日本史担任だった(爆)。
 加えて、3年次の日本史の先生というのがとっても面白い人で、
 授業熱心だったし、授業としてはその人に習ったという記憶が強いので、
 が日本史の教鞭をとっていたことすら忘れていた( ̄∇ ̄;)


 まぁ、いいや。
 にしろにしろ、授業そのものより
 そこから離れたところが面白かったのだし。




 3年次の日本史担任おーや(♂)先生は凄かった。
 毎回、ミスプリした藁半紙のウラを使用して、「よいこの日本史新聞」
 というのを配っていたのだ。
 この新聞はかなり評判が良くて、他のクラスで別の教師から日本史を習っている子が
 この新聞欲しさに、うちのクラスの子に逐一コピーを頼みに来るなんて事も
 あったくらいだ。
 あたくしも、今でもファイルしてとってある。


 そんな彼も授業から離れると、かなり奇天烈なのだが
 その奇天烈さ故に、「よいこの日本史新聞」が成立していたといっても
 過言ではない。
 彼は根っからのエコロジストで、「資源の無駄遣いは絶対に許さないっ!」
 という人だった。
 それが転じて、先生という先生に呼びかけて
 作成したプリントで余ったものや、ミスプリントしてしまったものを
 指定の箱に回収して、そのウラを使用して彼は自分の教材プリントや
 お知らせプリントを印刷していた。
 だから、「よいこの日本史新聞」も裏側を見ると、
 全然関係ない教科のテスト用紙だったり、
 学年を超えた連絡用紙だったりで、白紙だったためしがない。




 昨日、最終的に宗教の話になってしまったので、
 検索をかけて、イスラム教の事を調べていた。
 そうしたら、どこかの高校の先生のサイトがヒットして、
 その先生が授業で話したことが忠実に再現してあった。
 その内容が面白くて、イスラム文化以外のところにも目を通し始めたら
 もう止まらない(笑)。
 それこそ10年前、おーや先生が配ってくれた
 「よいこの日本史新聞」を読んでいる気分だった。
 内容は世界史なので、さしずめ「よいこの世界史新聞」だけどね。


 世界の三大宗教が「偶像崇拝を徹底否定する」という理念を持っている
 という、高校時代に習うであろう事も、実はここで知ったのである(笑)。
 イスラム教以外の、キリスト教、ユダヤ教も偶像崇拝を否定しているらしいのだ。
 なるほどね。
 思い出した。気がする。
 ・・・・って、覚えても忘れてしまう程度の知識だったのだ、あたくしにとって。


 で、今になって。
 受験という枠からも解放され、定期考査もない。
 そうすると、学ぶ楽しさみたいなものが見えてくるのである。
 あれほど嫌いだった世界史も、その先生のサイトが面白いのでハマっているし、
 実は、高校時代の古典や日本史ではあんまり点数が取れなかったのだけど
 卒業後、人に教えたり、自分で勉強を始めてから身につくことが増えてきたのである。


 学びたい時が学ぶ時なのかもしれない。
 とはいえ、高校での教育を今一度受講することは叶わない。
 ましてや、おーやの授業をまとめて受けることなど不可能だ。


 で、本日の日記で一体何が言いたかったかというと・・・・
 「よいこの日本史新聞」の世界史版があったら、いいのにな・・・・。
 と、授業以外のところであたくしに全力の闘志を傾けていたに対する
 恨み言だったんだけど
 実はに責任がないことが発覚して
 やり場のない怒りをどうしたものか、自分でもわからないのである(爆)。


 ま、いいや。
 新たにあたくしに情報を提供してくれる素晴らしいサイトもあることだし。
 これで、もう1度勉強しなおそう。



あさみ


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