毎度どうも。アサミンジャーです。
本日、気合い入りまくりのオーアエ決戦
・・・・その気合いは化粧に反映されました。( ̄∇ ̄;)
よろしく、どぉぞ〜♪
そいでもって、本日の戦果をここに書き記したいところなのでございますが、
どうしたことでしょう。
気合いの空回りと、オーアエの一言で、
ガック〜〜〜〜〜ンと、書く気が失せてしまいました。
いや、書こうにも、ちょいと時間がいることを悟りました。
そういうヘヴィな話をしてきたのです。
だから「吐露」なのです。
本日の宵、書けたら書きます。
無理だったら後日改めてというカタチになります。
そういうわけで、よろしく、どぉぞ〜♪
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と、ここまでの様子で、「あら一体どうしっちゃったのかしら?」と
心配してくださった心やさしい皆々様に感謝しつつ、続きをやりたいと思います。
日付は変わってしまいましたが、まるで今日起きたことのように書きますので。
本日のオーアエ戦、実に物々しく、凄惨であった。
実際のところ、彼も私も見た目の様子はいつものとおりで、
「元気でしたか?」
「微熱→発作→生理→発作→微熱・・・です。」
と、事も無げに実情報告から始まった。
そして、何がきっかけだったかは忘れてしまったが、こんな話を・・・・。
� 嵬瓦鬟丱鵐丱鷂�ます。」
�◆屬修量瓦砲蓮�過去に出会った人が、その当時の様子のままで出てきます。」
��「置き去りに・・・・・される感じがするんです。」
そんな私の訴えにより「置き去り」というキーワードが
ピックアップされてしまったのである。(悪夢)
「置き去り感」
私はコレが怖くてたまらない。
物理的仲間外れなどは、まぁ顕著な例すぎるので置いといて、
例えば・・・・
スポーツができる・できないの枠、勉強ができる・できないの枠、
いい子とワルの枠、居場所の有無、全部をひっくるめて
私はいつも、すごく中途半端な処にしかいられない、
微妙な子供だったことを思い出す。
おいてけぼりを喰らわない為、私は私なりに必死に足掻き、
そしてあるスタンスを確立させた。
それが 一平である。
5歳の時、私は右肘の複雑骨折を機に
大人たちがどうすれば自分に優しくしてくれるのかを覚えた。
それまでは第1子の宿命として、(つまるところ「姉」として)
(憎らしい)弟と常に比べられていた。
弟は、身内の欲目ではないが、昔の写真を見たりなんかすると
えらく可愛らしく写っているのである。
そして同じように並んで写っている私は、どこかひねて可愛くないのである。
生まれてすぐ、弟は髄膜炎と診断され、
それでなくとも第1子というモノは、後から生まれくる弟妹に親の愛を奪い取られる
宿命であるところ、彼は病気まで背負って生まれてきてしまったので
私は、当時、欲しいと思っていたものを全て弟に掻っ攫われたといえるかもしれない。
親や、周囲の目も、弟を向いていたから。
さすがに自分の記憶に2歳と3ヶ月当時のはないが、
後年になってこの話(弟の髄膜炎)を聞いた時には、
あまりいい気持ちがしなかったものだ。
が・・・・・。
本日、オーアエと話しているうちに、
如何に自分が驚異的に確かな記憶を持っているかもまで
明らかになってしまった。
生まれが学年の中でも早いので、5歳以前の記憶というのも
「集団生活」の中でのハッキリしたものが多い。
普通、「4歳児クラス」というのは、翌3月までに全ての子が満4歳になるのだが
入園時に既に満4歳の誕生日を迎えていて、自我も記憶も確かな私と、
翌3月にやっと4歳になる子とでは、多少の個人差はあれども
脳のサーキットそのものの発達に差がついていて然り、当たり前のことなのであるが
それを理解しない(というか「できない」)大人が存在したということまで思い出して
とても厭な気分になった。
その厭なオトナというのは親でも縁者でもない。
満6歳時に担任だった、幼稚園教諭である。
この先生(ナカムラ)が、執拗に私のことを嫌っていたことは、
6歳ともなれば身体が覚える。
小学3年生くらいに見間違えられる体躯を持ち、
オトナの本質をズバリと貫きつつ、子供ぶる幼稚園児が自分のクラスにいたら
さぞかし面白くないかもしれないが、
彼女のやり方は、陰湿で汚かったというのは今でもよく覚えている。
クラス全員で作る1つの作品を創る工作(確かテーマは「動物たちのピクニック」)の時に、
私は「木に咲いているお花」という念願のポジションを手に入れたが、
用意された材料の中でという制約がありつつも、一生懸命考えて造り、
それを先生に見せにいったら、その花を無言でぐしゃりとやられゴミ箱にポイ・・・・
そして一言
「こんなモノは、花ではない。」
全クラスで
「男の子は王子様に、女の子はお姫様に変身しましょう」
という、1日がかりの企画の時もひどかった。
女の子には1人に1枚、ドレスに加工するようにと大きくて青いポリ袋が配給されたが
私は手と頭を出す箇所をハサミで切る段階で、とんでもない間違いをしてしまい
どう加工しようとも、そのポリ袋がドレスに化けるなどということは
不可能になってしまった。
こまっしゃくれて、小生意気な私も、さすがに自分の非を認め
先生に頭を下げにいった。
「切るところを間違ってしまったので、もう1枚ください。」
謝罪までして嘆願したのに、こっ酷くダメだと追い返された。
上手にできた子には、逆に「もう1枚作りたい」という申し出に対し
「ハイ、ハイ」と受諾していたというのに・・・・・・。
私とナカムラのやりとりを知ってか知らずか、
コレには屈辱的な続きがあって、
全クラスの前で自分の変身した姿をお披露目しましょう♪
などという過酷な試練までが待ち受けているのであった。
司会をしていたほかのクラスの先生が、ドレスを着ていない私の姿を見て
「あらあら、このお姫様はドレスを忘れてきちゃったのかしら??」
などと飄々と抜かすのである。
同じ列に並び、手作りで綺麗に着飾った子たちは、
誇らしげにターンして見せたりしている。
私は1人、置き去りで、
1日がかりのその企画の間中、メインの作業を剥奪され、
教室の片隅で王冠や扇子だけを黙々と造らされていた。
プライドはズタズタである・・・・
それから悟った私は、ナカムラにも忠実に、
なるべく子供らしさを演出するのに尽くしたが、空しいものだった。
ある時は、ロッカーから鞄の紐が少し出ていただけで
その鞄を教室の端から反対側まで物凄い勢いで蹴っ飛ばされ、
ゴミ箱に突っ込まれたり
掃除をちゃんとしていないと言って、因縁をつけてきたり
お絵描きや工作のときも、女の子らしいものに手をつけようとすると
すぐに×。
市展の為に全クラスの企画で、他の女の子たちが
白い綿なんかを使ってウサギやヒヨコなど可愛い動物を作っている中、
造りたくもない茶色で地味なクマを造らされ、
それに自分の名前が貼られて、出品されてしまった時などは
6歳児ながらに、憤死する思いだった。
どれだけ甘えてみても無理だった。
どれだけつっけんどんにしてみても無駄だった。
悔しいが、6歳の私は、ナカムラのいいようにされた、
まさに「どうでもいい」存在だったわけだ。
それからである。
私の中で一平はすくすくと育ち
それでも、彼を前面に押し出すようなことはせず
できるだけ静かに過ごしたいと願った。天に嘆願した。7歳児がだよ?
隙のなさに磨きをかけ、7歳になった私は見事に転身してみせた。
「本当はもっとできる」「もっと上を目指せる」
授業や作業にそう不満を感じても、決して表には出さず、
慎ましやかに、目立たぬように、
先生の目に懸からぬ処を、探しては隠れていた。
落ちこぼれるのは、もっと厭で怖かったので、
その調節も忘れなかった。
しかし、運命というのは数奇なものである。
この年の夏、私は5歳のときの古傷を完治させるべく、入院、そして切開手術、
ギプスをつけたままでの登校をせざるを得なくなった。
入院中に担任の先生がやってきて、笑顔で1冊の絵本をくれた。
夏休みが明けて数週間遅れの登校に、クラスメイトたちは暖かく迎え入れてくれ、
教室まで私の鞄を持ってくれたりもした。
隠れているはずだったのに、目立たないようにしているはずだったのに、
こんなことがきっかけでクラスメイトの注目を集めることになってしまったのである。
おまけに、この年の担任が、早くも私の国語力を見抜き
全校の前での作文朗読など、わざわざ目立つ方向へと示し導いたのである。
右手がギプスで固められている間、私はハンディをもたされていたわけだが
それでも落ちこぼれるのだけは厭だったので、そこそこに努力した。
休み時間にドッジボールをするとなっても、でしゃばらない程度に参加の表明をすれば
みんなが、「こいつは手を怪我しているから、無理な当て方をするなよ」と
その場限りのルールを作ってくれたりもしたし、
そんなルールがなくても、リハビリ代わりに体を動かすには
休み時間に外に出るというのも悪いことではなかった。
ノートを取るのでも、今まで進むのが遅すぎると感じている私には丁度いい速度だったし
苦もなく、同情だけは集めて、回復していった。
そしてギプスや包帯がすっかり取れた頃、今度はハンディがなくなった分、
周囲と差をつけることが容易になる。
これが私の虚栄心 を大いに満たしてくれるのである。
ある種の快感であった。
それからも年に1〜2度、古傷箇所の肉離れを起こしたりして
ハンディがあったりなかったりの繰り返しであったが、
ハンディがなくなったときの解放感は、その度に私の虚栄心 を満たし、
いつの間にか、
隠れていたはずの私は、誰よりも前へ、誰よりも先へと進むことに
重きを置くようになってしまっていた。
「置き去りにされるのが怖い」
裏を返せば、自分が前へ前へと進むことに反映されてしまうのだ。
一平もやがては抑えの効かぬ存在になり、
学校では常にいい子で、先生の言う事を良く聞き、
礼儀正しく、みんなを率い、勉強もちゃんとするキャラとして
確立されてしまい、表出するまでに至った。
オーアエは言った。
「ナカムラのした事は虐待だね。復讐しちゃえ♪」
あんなオトナに今さら復讐心を抱くほど、私もヒマではない。
今、彼に示唆されるまで、
自分の身の上に起こっていたことが虐待だと気づかなかったくらいなのだから。
「置き去りにされるのが怖いから、今まで馬車ウマのように頑張ってきたのか・・・・
で、今も同じようにしようとして焦るのか。ふ〜む・・・・。」
オーアエはそう唸った。
高校や大学では、もう落ちこぼれることに対する恐怖はなくなっていた。
「置き去り」なんていうことも特に考えず、
自分の好きなことだけをチョイスしてやってきたが、
やっぱりオーアエの言う通り、馬車ウマであった感は否めない。
結局、私は「誰よりも前へ、誰よりも先へ」というのを
目指していたに過ぎなかったのだ。
辛いよぉ、辛いよぉ、と体が叫ぶのは
その無理が祟ったからだと、オーアエは無言で私を見つめる。
お芝居がしたい。
いい作品が書きたい。
いつもいつも焦ってばかりの私って、一体何をしているのだろうと
最近、常に省みる。
それでも苦しいのからは逃れられなくて、苛々は募るばかりなのだ。
そして、どうしてそんなに焦るのか、
本日、長々と書いたような内容の「理由」みたいなものを苛々していると忘れてしまう。
今日、その根源みたいな処にようやく辿り着いたわけだが、
その真実が 虐待にあったとは、意外というか、もうわけがわからない。
思い出してみると、反吐が出るような過去だ。
そして、自分の持っている「執念にも似た記憶力」を恨む。
普通、人間の脳というのは、
自動的に不必要な記憶を忘れることができるように出来ている。
どう考えても不必要なナカムラとのやりとりを、どうして私は覚えているのだろう。
「あなたはどう考えても、置き去りにされる側の人間ではないね。逆だよ、逆。
どんどん開拓して前へ前へと行く側の人のように思えるんだけど。
才もあることだし・・・・・・・・・。」
オーアエの慰めも空しい。
甚だしい記憶力もその才の1つだと言うが、
どうしてか現場では本を最後まで手に持っている(爆)。
覚えそのものは悪いらしい( ̄∇ ̄;)
幼少期の反動でか、今では台本1冊覚えるのに、とんでもない徒労を伴わせる。
もし、この種々の「不必要な記憶」が脳みそから消えてくれたなら、
そのシェアに台本1冊分くらい、すぐに吸収できそうなものだろうに(笑)。
コンピュータのハードディスクのようにいかないのは、
人体の神秘として甘んじて受け止めることとしよう♪
自分にはないと思っていた、虐待の真実を
自分の記憶によって暴かれるという、ウソのようなホントの話・・・・・。
そして、オーアエはとどめに1発、こう私に食らわせた。
「それじゃ、もうしばらく 『置き去り感』 を楽しんでもらうとするか♪
わっはっは♪」
さすがに今日は、その「わっはっは♪」に呼応することが出来ず、
せっかく病院にきたというのに、いやぁ〜なモノをもらってきてしまった感じだ。
「ま、コレに懲りずにまた来てよ♪」
薬がなくなれば、否が応でも来ますともさ(-。-) ボソッ
薬の処方を待っている間、この間買った、短歌の入門書を読んでいた。
面白い歌を詠む人がいる。
素人なのにいいヴィジョンを持っている人を、
自称・教祖とやらのマスノ氏は自信ありげに紹介していた。
勿論、自分の歌も忘れずに並べて紹介していた。
こういう人たちの中で、私も揉まれていかねばならぬのか・・・・。
みそひともじBBSで披講を提案したのは間違いではなかった。
やっぱり、自分の成長と刺激には必須のコトだったのだと
モノの「雅」よりも先に「正しき」を悟り、
薬をもらって家路についた。
母・サヨコ、外出中。
( ̄∇ ̄;)
(カギ、持ってねぇよ・・・・?)
そして私は、まるでいつものように、
どんな時でも絶対に開いている風呂の高窓から、ドロボーのように忍び込み
改めて本日の敗戦を自室で噛み締めていた。
ドロボー系マイホーム侵入体験は、コレで10回目くらいになったはずだ。
(今年、2回目)
痩せて、体重も減り、体型も細くなったことに感謝しよう。
前回、同じ事をした時、体重は今より7キロ強は重く、
ヒップサイズも5センチ強、大きかったはずである。
そんな前回、ケツを擦りむいたという過去は
まだ抹消されぬ記憶として保存されている( ̄∇ ̄;)
どうでもいいことは、なるべく早くに忘れたいものだ。
ここに書き付けることによって、より、その記憶が確かになることに
本人は、そろそろ終わるこの文章の締めに来てようやく気づくという無様な有様。
これも御愛嬌といたしまして、これにて♪