ご奉仕
2022年11月17日(木)

主にご奉仕していると、
「視覚から入る情報は移ろいやすく、儚いなあ。」
と思っていることが多いです。

20年も主を見てるのに、思い出せるか不安がある。

跪いてご奉仕することばかりなので、最も顔を見ることが少なくて、顔を一番見ていない気がするんですよ。

足とか、背中とかは、いつも長時間見てるから、大丈夫な気がするんだけど。

それに視覚って、少し距離があって初めて、全体が見えるので、ご奉仕してると部分しか見てないんですよね。

だからパーツで覚えてると思います。

それから昨日は、挿入される前に、前回挿入されたことを思い出してみました。

今回はその続きかもしれないと心構えておくと、上手に受け入れられるんじゃないかと。

「前回は、そういえば、あそこが感じてたな?今回も、同じように感じるのかな?」と、仮説を立ててみたのですが、結局、仮説の検証なんて吹っ飛んでしまいましたよ…。

けれども前もって、主を受け入れた時の感覚を思い出したのは、良かったです。

あらかじめ、きちんと収まった記憶を引き出したので、アワアワしなくて済みました。

「ココは、主のものだから、綺麗に収まって当然。だって、奴隷という生きた道具だし。」
と、自覚することは必要ですね。

「違和感なく収められる鍵穴じゃないとな〜。」と思った次第です。



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