日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年12月20日(水)

エニアグラムを診断してみました。
1回目は5がいちばん多くて、次点が9。
2回目は5がいちばん多くて、次点が6でした。

1回目と2回目の違いは何かというと、1回目は主観的に答えた答え。20歳以下の自分というのをあまり意識せずに答えたもの。
2回目は、20歳以下の自分を映画で見てるように今の自分が眺めてみて、当てはまるというものを答えたものです。
(高校生の自分を思い出しながらやりました)

それらの結果を併せて見て、改めて判断しようとする5のわたくしです。
6のタイプの人が参考にするといいのは9のタイプの人だそうで、それをわたしは自分ひとりでもそれを行ってるのかもなと少し思いました。

5についてはよい面とされるとこもわるい面とされるとこもどちらに対しても何も思わない(そうだなーくらい)のですが、6についてはえぐってくる感覚がありました。
それは、6の利点がわからないぞ、くらいのえぐりかたで、自分にとっては当たり前のことだわ、しかもそれを否定的にばかり見がちだわ、という感じ。

昔から不安があるものだったなあ、その不安が大きいというのは今の思考や行動にもよく出ているなあと、慣れすぎていて気づきにくくなってるそれらのことを認識できる感じで、エニアグラムやってみてよかったなあと思うのでした。無料だし。

興味深いのは、不安になってもいいや、みたいな感覚になれたことです。これまでは「不安は嫌なもの・・・」みたいな感覚だったところが。
もしかすると、昨日の日記に書いた扉や鍵の夢はそういう感覚とつながっているのかもしれません。

で。

今朝、ふと思ったのが次のようなことでした。

「わたしは、自分の望まないことが起こることを恐れていたんだ」

改めて思ったのです。自分の望まないことが起こることなんてたくさんあるでしょうに、それを恐れていたんだなと。
なんというか、自分の望むことしか起きないで!とかなるほど傲慢だなという感じですし、それから、望んだり望まなかったりするだけではダメだわなとも思いました。

「望まない」ことと「望まないことが起こる恐れ」とが別々のものと仕分けできたのがよかったです。だいぶ。
「望まない」というものをそのまま持っていられる感じになったので。

話変わりますけど、先の戦争になる前、多くの日本の人が戦争を望んだから起きたわけではなくて、望まない人がたくさんいたにもかかわらずそうなった、という話を聞きました。

望まないけど起こることはある。ならどうするかという話。
今、起こっていない。ならどうするかという話。

自分の望まないことも、自分の望むことも、最近は自分の想定を軽く超えてきて、わたしは自分のマインドが変わること(自分が思い込んでいる何かがあるよと気づくこと)が好きなので、変な話どちらも根底ではとても興味深いですが、わたしの場合はですがあれですね、おもしろくなっちゃうことを優先しないように気を付けたいと思うのであります。

その上、望まないことが起こることを恐れるとか、、、客観的に見ると、ほんとお前は何をしたいんじゃという感じが満載で笑えます。


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