日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年11月27日(月)

ACIM勉強会にて要介護3のお義父さんがいらっしゃる方のお話を聞いていたら、自分の中でなにか動き出すのがわかりました。
亡くなった母もそのくらいの介護度だったので、そこで何か刺激された感じですかね。

なんだろうな、これ。
と思いながら、自分の中に動いた感じを感覚していました。
あまり触れたくないような気持ちもしました。

勉強会が終わりました。
今週に出された宿題が「今という瞬間を思い出す」というようなものだったので、早速、今、今、と意識していたんですが、そうするとやっぱりそのもやもや〜っとした感覚があったので、「今」、感覚しました。

そうしていたら、なぜか胃の辺りがポカポカ温かくなってきました。

???

すごーくそれを解釈したくなる誘惑が出ました。
まずは百歩譲って「温かくなってるから恐れではない!以上!」という解釈をしました。そして引き続き、おなかを感覚しました。

そうしたら、ぽん、と出てきたもの。

「忘れてほしくなかった」

そして涙が出てきました。

認知症の出ている母と接していた当時、わたしはその「忘れてほしくなかった」という気持ちはわたしのエゴから来ているものだなあって思っていたし、それを母に言ったところで仕方ないし、母は自分の責任と捉えやすいからより緊張させてしまうだろうしで、わたしの中では誰にも言わないようにした声でした。
一応当時もそれを感覚してはいました。見ないようにしていたわけではありませんでした。

「わたしは、忘れてほしくなかった」

昨日、その言葉が自分の中から出てきたとき。
もう現在では母は亡くなっていて、もう自分の中で封印しておく必要はない状況で。

“これはエゴから見た視点だということはわかるけど、『でもわたしは!』”という強い気持ちが出てきました。

「忘れてほしくなかった」

その強い気持ちで、感じました。

その強い気持ちは、わたしは普段ほとんど持っていません。そしてお腹の調子がよくないことが多いです。
そして、今回お腹がポカポカしました。

どこか、なるほどねー、って感じがしますが、これって考えてできることでもないんじゃないかなあと思っている本日です。

そして、この文章を書いていたらまたお腹の調子が怪しく感じてきて、そして手足も冷たくなってきたので、うーむ、こっちじゃないのかもな、と感じました。

そうしてストーブをつけて冷たい感じに気付いていたら、ぽんと出てきたこと。

「わたしは、忘れてほしくなかった、と当時誰にも言いたくなかった」

というのが、「忘れてほしくなかった」というものと同じ、強い気持ちで出てきました。

そうして、お腹の緊張した感覚が緩みました。

コントロールをしたい頭の中のわたしはそれをもうどうしたらいいかわかりませんが(笑)、まあそうなんだなーと思っているとお腹は穏やかなのでそうしとこうかなと思いました。

少しわかったのは、わたしは矛盾を持っていて、その上、その片方を「正しい」としたときにもう一方を「間違ってる」と自動的にしてしまうところがあるっぽいぞと。
実際に体で感覚しているときにはそういうことは思っていなかったのに、書いてまとめていくということをしていたら段々と「忘れてほしくなかった」のほうを正しくする感じになってきていて、そうしたら当時のわたしの「それを母や誰かに言って母に伝わってしまうことは避けたい」という気持ちに対しての敬意が薄れてきてたなあという思考の流れに気づきました。

そして、そういうことをわたしは頻繁によくやるなあとも。
正しいものはひとつしかない、とどこかわたしは思い込んでいるのかもしれません。
もしくは、ひとつなのかもしれませんが、その「ひとつ」というのはもっとわたしの設定しているものより大きいものなのかもなと。

これが正しかったなら、これではない別のものは間違っているんだ、と自動的に扱ってしまうところがあるのかもな、ちょっと意識しててみようかなと思いました。

どちらも、それはわたしのもの。
(そうそう!って感じがしますし!)


...




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