ACIMにっき。 - 2017年05月07日(日) CIRCLE OF ATONEMENT のACIMの続きを読みました。 ちゅうても、まったく読む時間を確保していない&わたしの英語力にて、いまだ超最初。 どなたか翻訳お願いします! Urtextのほうでもいい。どなたかー! (「お医者様はいらっしゃいませんか!」的な気持ち) ・・・話を戻しまして。 この本を読んでいたら、こんな文章がありました。 兄弟を解放することは、解放された者の義務です。 It is the duty of the released to release their brothers. 赦された者は、贖罪の方法です。 The forgiven are the means of Atonement. 義務。 「やらなきゃいけないこと」。 そこには「やりたくないこと」という意味もわたしにとっては後ろに隠れていまして、それでわたしは「なんかなあ、、、」とこれまではよく思っていたわけでした。 でも今回、この文章を読んだときに、そうではなくて全く違ったふうに読めました。 自分の中で「義務」の意味合いが変わっていました。 「やらなきゃいけないこと」という言葉の意味は単に、「自然の流れがそうなので避けられないこと」ってだけなのかもなあ、と思いました。 それは先日起こったことが関係していると思います。 連休中にボディワークのクラスに出てきたことは前回の日記で書きましたけれど、その参加日の前日、同じクラスを受ける予定の友人からメールが届きました。 内容としては、今、明日のクラスのために新幹線で東京に向かっています、みたいな感じだったかな。 わたしは友人よりは世田谷に着くまでの時間は短くて済むので、当日朝に出発します。 それなので、そのメールが来た時間はちょうど「明日は始発だし、もうそろそろ寝ようかな。」ということを思っていた頃でした。 メールの返信には、ちょうどこれから寝ようと思ってるんだー、教わった手技を忘れてるけど今回は復習とかもしないで行くんだー、みたいなことを書いて送って寝ました。 そうしたら、それは彼女にとってはとても大きいことだったようで。 後から知ったのですが、その日彼女は「やらなきゃいけないこと」としてこれまで習ったことに関する復習をしようとしていたそうでした。やらないと自分は欠けている、そんな感じだったようでした。 で、わたしがのほほんと、「これから寝る」「復習しない」とか書いたので、「え! あ、・・・それでいいんだ。」と思ったそうでした。 これって許されることだったんだ、みたいな。 わたしとしては友人が何を考えていたのかは知らなかったし、単に自分がこれから寝ることを伝えた、それだけのことでした。 そんな感覚だったので、2日間のクラスの間に少なくとも5〜6回はそのことを友人に感謝され続けたことに、わたしは若干戸惑い(さぼって寝たことを褒められ続けることにあまり経験がありません)、最後のほうにはもうそれ以上言わないでほしい、みたいな感覚が出てきたりして(笑)、そういう自分にもおもしろいなと思いました。 自分が効果を狙ったことではないことで感謝されることに戸惑う、コントロールするだのしないだの、ということに価値がないことをまざまざと見せられてる感じで、「あー、これエゴだわー」と思いました。 ACIMのテキスト第一章で奇跡の原理を説明していて、そこに、意図して奇跡を起こそうとすると妙なことになる(ざっくりしすぎる説明ですみませぬ)、みたいなことが書かれてますがそれを思い出して、ああ本当だー、と思いました。 でもって。 そういったことがあったので、 兄弟を解放することは、解放されたものの義務です。 It is the duty of the released to release their brothers. 赦された者は、贖罪の方法です。 The forgiven are the means of Atonement. これらの文章がこれまでとは違ったふうに読めたのでした。 復習しないで寝ることに罪を感じてないから、罪を感じやすい状態だった人がそれでいいんだーって解放された。 自分が「(贖罪の)方法」になるってこういうことかーと思ったし、おもしろいなあと思いました。 「自分が方法になる」っておもしろくないですか? 「ガスレンジになる」とか「インターネットになる」とかそういうことだよなあ、と思って、なんというか人なのに人っぽくなくておもしろいなーと思いました。 ...
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