日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年02月20日(金)

前回の日記をぼんやり見ていたら、これは葛藤を手放すワークだなあと気づきました。
エネルギーワークとして、2つの葛藤している思考エネルギーを混ぜ混ぜして新たなエネルギー(自分がもっとも望んでいるもの)にするということはやったことがありましたが、・・・自分に利用できることたくさんあったのにやってなかったのねえ〜、みたいな。
意識の自分が気づくことが待ちきれなくて、自然に行ったようです。(方法は知っていたからね・・・)


しばらくドリームタイム期間でした。寝て起きると寝る前よりも疲れているってやつ。無事、脱出しました。
何を勉強してきたかなー。


ふと気づきましたが、いつの間にか男の人が怖くなくなっているなあと。
前世療法後、変えようと意図したわけでもなく自然に自分の行動が変わって、意識の部分の自分が「え?」と思っていた時期がありましたが、それも思わなくなっているし、そういえば前まで怖がってたよね、みたいな。
へえー。


今は、自分のハートが喜ぶポジティブ変換がマイブームです。

例えば。
裏で誰かをくすくす笑うのが嫌いだったわたしはそれを静かに怒っていた日がありました。気分が良くない。ネガです。
それをポジ変換。
→「そういう時に、一緒にくすくす笑わないという人を見つけることが出来る機会」
ちょっとポジだけど、いまいちわたしのハートは喜ばない。
→「本人に言えないから裏でくすくすしている」
慈愛という感じになるけど、いまいち。
→「そこに同調しない自分を感ずること」
 「笑う人も笑われる人も、1人1人成長の速度は自由であって、自分のペースがあり、押し付けたり押し付けられたりするものではないということ」
 「今はそれを経験しているというだけだということ」
 「経験してそうやって覚えていくのだなあ」
まあまあかな、ということでここでやめました。

ネガな感情が出てきた時に行ってます。

例えば。
たくさん一気に説明をされて、わたしは理解ができない。わからない。
自分に能力がない、とても劣っているように感ずるような焦り、息苦しさ。
それをポジ変換〜。
→「学ぶ・教えるの経験をお互いがしている」
 「自分が教える立場になった時にその感情を理解していることが生きる(「わからない」と言い難い感覚とか)」
わたしは左脳が働いて、そのままでは進まないと計算するので、わからない時は「わからない」といいますが、無力感をむりやり進む感覚があったので、身体に負担だったろうなあと思います、これ。

例えば。
ネガな話題で盛り上がっている。入りたくないがその場所にいる必要がある。
その事実をポジな見方で言ってみる。驚くほどにすぐに賛成された。その後はポジな空気になる。なーんだ、そういうものかと思う。
その時に気づいたのだけど、わたしはネガ思考や自分のやりたくない考えのものに混ざりたくないから、単独行動が好きなんだなあと。
で、ポジ変換。
→「ポジな提案をする」
 「見方を変える発言をする」
意外にダメでした。胸が痛い。過去にそれは通用しなかったのかもしれません。
→「自分がそういう行動をする」
 「1人1人を尊重する」
 「わたしもマイペースで行きたい」
 「自分が選んだもっとも良いペースで進むのがよいと思う」


こんなわけでハマっていたわけですが。

昨日、ヒーラー仲間から遠隔ディクシャ(エネルギーワーク)を受けました。ワンコインでしかもわたしにはおもしろいものなので、かなりワークを受けてます。今回、そのシェアリングでちょっとメッセージをいただきました。
「起こってくる様々な出来事、自分の感情、思いを楽しんでいますか?という楽しげな雰囲気の問いかけが浮かんできたよ」と。

物事には善悪はなくて、ただ次々と起こってくるだけで、それをどんなものであっても心から楽しんで、流れに乗って、みたいなことはわたしも思っていて、前回の日記で書いてた友達の相談でもまさにそういうことを伝えていました。

ただ、そのシェアリングメールをいただいたことで、「楽しむ」のレベルは今よりももっと広く、もっとシンプルでいいんだなー、と感じました。

これまでわたしは楽しむために「謎解き」をしていて、「謎解き」自体に夢中になったり楽しんだりする傾向があって、でもそんな回り道をせずとも経験自体を楽しむことができるんだなあ、と感じました。

わかるっておもしろい。
でも、わからなくてもその感覚を楽しめるんだなあ。「わからない経験」を楽しむ。
何もかもおもしろい。


...




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