日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年09月25日(木)

昨日のこと。ジーニーさんというヒーラーさんのヒーリングを体験した方の記事を読みました。
読み終えて、わたしはどうだろうな、と想像しました。小さい頃に、仲良しだった女の子・・・。

リエちゃん(仮名)を思い出しました。幼稚園の文集の「いちばんだいすきなおともだち」の欄にわたしが名前を書いた友達です。彼女とは1度だけ大喧嘩をしただけでとても気が合い仲良しで、中学に入るとそれぞれ違う友達(部活の友達とか)とよく遊ぶようになっていったのだけど、小学6年生までいちばん身近で大切な友達でした。

わたしの名前を「いちばんだいすきなおともだち」に書いてくれた子もいましたが、リエちゃんはしーちゃん(仮)の名前を書いていました。
しーちゃんはまた別の友達の名前を書いていました。

もしも、しーちゃんもリエちゃんを選んでいたらとても仲良しになってしまう。
そんな恐れが生まれました。

選んでも選ばれなかったりするんだ、わたしが大好きなリエちゃんでさえそうなんだ・・・。
そんな諦めが生まれました。

今でも覚えている、小学2年生の頃にわたしが言ったセリフ。
「自分が好きな人じゃない人に好かれても仕方がない」
おもいきり幼稚園の頃を引きずっていたセリフだったなあと、何十年も経って今わかります。今も覚えているのには意味があるのだなあと思います。

この記事を読む1日前、眠くて無気力で呼吸を忘れがちという、なんともネガティブモードになっていました。
何が原因だろう?と思ったとき、そのさらに1日前に自分の葛藤を刺激するような出来事が、今自覚できるだけで4つ出てきました。
それでかなー、と思ってその葛藤を観察していました。その葛藤の中に、「証明するものを得ることによって、安心しきって何もしないのが嫌」というものがあって、へえーなるほどーそういうとこあるなー、なんて思っていました。

それが、幼稚園のこの頃から繋がっているらしいな、と。
わたしは証拠を持って認められたかったんだなあ。リエちゃんに「いちばんすきなおともだち」に自分の名前を書いて欲しかったんだなあ。
(当時、仕方がないこと、と我慢したので今それを感じてあげる)

でも実際のところ、小学校に入学したら運命的に同じクラスの隣の席で、それから小学校6年間いちばん仲良くしていた友達であり続けてて。
でもわたしはその「事実」よりも「証拠」、それも幼稚園の頃という狭いひとときのものを求めていたんだなあ、と気づきました。

今のわたしに出てきていた「安心しきって何もしないのが嫌」と感情は、「証明されて安心したかった」から嫌だったんだなあ、幼稚園の頃からずっとこの気持ちを持ってたんだなあ、と気づきました。

そうかー、ってわかったら、「繋がった!」というおもしろさの反面、なんだか悲しくなりました。
その悲しさを味わい終えたら、今度はすごーく幸せな気持ちで満たされました。何かいいことが今のわたしに起きたわけでもなく、気持ちだけが幸せいっぱいになりました。
このことで、幸せって外からの出来事によるものではなくて自分の中にあるのだなあ、と実感しました。


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