日記×エッセイ...みち

 

 

マザー3の曲を聞きながら読書。 - 2006年05月06日(土)

なんとなく、本を読みたい気分になったので、ゲームをするのはちょっと止めて本を読むことにした。

マザー3の曲、全曲聞いてみようかなー。
と思ったわたしは、イヤホンをし、本を読み始めた。

何時間流れるんだろう…。
いまだに全部聞き終えることが出来ない。もう2時間くらい本を読んだような気がするのだけど…。

というか。
ゲームしている間に聞いた覚えのない曲がはいってるような。

確かにお店とかあまり長居しなかった(買わない)から、あまり聞いてない曲もあるんだけど…あれ?

サウンドプレイヤーいいですね。
ちゃんとボタンのロックもできるから、ポケットに入れて歩きながら聞くこともできますよ。お気に入り曲は、聞く順番入れ替えもできるし、ほくほくです。

思ったのですけど、わたしが取説を読まないのって楽しむためなのかもしれないなあと。
わたしはゲームの取説を遊ぶ前にほとんど読みません。いかにも作り方に凝りました!というおもしろそうなものには目を通しますが、あまりよく読みません。(読むというより、眺めるって感じ)
これって、いじっている内に使い方がわかる喜びを求めているのかもなー、なんて思いました。

これって何だろう?…ああ、お気に入りにセットするボタンか。
これって何だろう?…おー、これで曲が消えるのか。
(ちなみに取説を読めば、これらはきちんと説明されていることです)

何かな?と思ってから、どうにかこうにか知ろうとすると、それに対してのレスポンスが返ってくる。それが楽しいんだろうなと、それをわたしは取説を読まないことで楽しんでいたんだなと思いました。
(単純に、読むのが面倒というのも大きいのだが。←本読みのくせに)

何かな?と興味を持つ前に仕組みを教えてもらえちゃうと、だんだんどうでもよくなってくるんだな…。
目に入っているのと、何かな?って興味を持つのって、違うよね。
ああ、そういえばそんなこと、ゲームのレポートに書いてあったね。

わたしがゲームがつまらなく感じる時の要素のひとつ、確認できた。
わかってしまえばこっちのもの。わたしが好きなものか、わたしではないひとのためにあるものか、っていうのがわかればいいんだ。

ちなみに、何度遊んでも「何かな?」ってわたしが思えるゲームがマザーシリーズだなあ。
時が経って、知っているものとか経験したこととかが変わって、その変わった目線から見て、変わるんだよね、ゲームも。ゲームのおもしろさというわけではなく、自分が思うことが。

わたし、ギャップを感じることが好きなのですが、それってひとりの人でも言えて、「前はできないって初めからやろうとしなかったのに!」とか、それまで持ってたその人のイメージを変えてこられると、きゃー♪ってなります。
以前までのそのひとのイメージとのギャップに、きゃー♪
だから変わっていける人が好きなのかもしれない。それがゆっくりであったとしても。
そして、変わっていくからいつも新しい。マザーシリーズが、古さを感じないのはそういう部分もあるかもなあと思ったりする。
刺激する言葉たちに、落ち着いてなんかいられないから、新しいと感じるのかもなあ。

マザーに関連づけたことだったらいくらでもかけるような気になる今日この頃。
ゲームの内容以外なら。
(ネタバレを気にする以上に、記憶力がないという強力な理由)


...




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