御伽噺
 『お伽噺の王子はいつも最後には幸せを掴めるもの』
 僕の知ってるお伽噺の王子様たちは皆『心も姿も麗しく』『最後には幸せを掴』んでいる。王位を狙う叔父に牢に閉じ込められようが、自国から追放されようが、お伽噺の最後には王子は幸せを手にしている。
 では、『御伽噺の王子』に成り損ねたものはどうなるのだろう?どれだけ苦労しても報われなかった王子は?没落するだけで自分の幸福を見出せなかった王子は?
 それは矢張りただの並の人に成り下がるのだろうか?対して人に評価されず終わってしまうのだろうか?
 それでは僕は厭だ。『幸せを掴』んで終わるだけでもつまらないというのに、幸せさえ掴めずに終わっては全く価値が無い様に思えるではないか。
 「並の人」で終わるのが悪いわけじゃない。単に僕にとって退屈なだけ。どうせ「人並み以上の外見と優しい心」を持って「王子」として生まれ出でるのなら、山あり谷ありを乗り越えて最後まで決めて欲しいだけ。
 どうせこれは僕の変な思いこみ+我侭だ。僕がどう思おうが、御伽噺の端っこには不幸なまま人生を過ごし、話にさえ残らないような王子が居たんだろう。精々主人公である「最後に幸せを掴む」王子を褒め称えるための比較対象程度に一文があるぐらいなんだろう。

 『御伽噺の王子は最後には幸せになる』
 これは、嘗て「王子」に成りたがった僕の残骸がささやく虚言かもしれない。

2000年03月30日(木)
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