ブルーカラーの労働日記

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2005年06月29日(水) ヒモになるなら10次元

たびたび書いてる事柄かも知れませんが、後述の通り、その事柄について僕自身が感じる様が以前と変わっていると思うのでまた書いてみます。

たかだか三ヶ月やそこら前に自分が書いた日記を読み返してみても、非常に不愉快というか恥ずかしいというか、これが他人の書いたものだったら「プ 何こいつ頭沸いてんじゃねーの(笑)」と一笑に付してしまうような取るに足らない物のように思えてしまう。

翻って、ここ一月くらいの日記を読み返してみると、「へぇこんなこと書いたのか、なるほどなぁ。」と感心したり、「こんなことあったなぁ。」とその時の自分に重ねて読むことができるのである。他人の書いたものだったら、僕の読書意欲をそそるというか、感情移入し得るものなのである。

自分で書いたものなのに、自分で感情移入できないというのも妙なものなのだが、要はそれぐらいの周期で自分が面白いと思う表現や、興味のある事柄、感銘を受けた言葉だとか欲しい物、優先している行動、くさいことをいうと大事にしたい気持ちとか、人物とかいう、簡単にまとめると価値観というものが、まるっきり変わってしまっているのだろう。

これは日記を読み返して初めて気づくことではなく、普段から些細な変化を感じ取っている、というよりむしろ能動的に、ちょっとだけ、こういうベクトルで…と移行させているのであるが、それを意識している時間が短く、実際には一見全く無関係な行動をしていてその行動範囲(内面的行動も含めて)に意識が集中している間に、水面の下の方から少しずつ、その行動と意識に働きかけることで極微小な中心軸の移動を繰り返しているので、ほとんど無意識と言っても良く、そのため再確認の驚きがあり、このような日記を書く動機につながるのである。

自分でも三ヶ月前まで遡ってようやくはっきり違いがわかる程のものだから、さほど間を開けずに接している他人にしてみれば全く変化に気づかないだろうし、わかったとしても「そういえば1年前と印象変わったね?」と言われるくらいなもので、数年ぶりに会った人にはようやく指摘される、という感じだろう。しかし数年の間隔を開けて人と再会するようなことはこれまでを振り返ってみてもほとんど無いので、やはり自分が変わったことを再確認する手段というのが日記くらいしかないのだ。

しかし、はっきり「変わったね」と口に出すほどの印象の変化は与えていないものの、なんとなくそのひと所に留まれない雰囲気から「君にはカラーがないね。」とか「君ってなに考えてるかわかんないね。」とか「僕は、神山満月ちゃん!!」なんて言わせてしまうんでしょうね。最後のは違うかな。

もちろん「カラーがない」っていうのは別に襟がついてないわけじゃなくて「個性がない」とか「主義主張がない」っていうことで、はたまた「何考えてるかわかんない」って言うのは曲がった捉え方をすれば「ろくなこと考えてないんでしょ?」ってことになるので、まとめると僕は、神山…じゃなくて「無個性で善悪の基準も曖昧で何も主張しないけど腹黒でろくでもないことばっかり考えてる」人間ということになるわけで、よくもまあ人のことを好き勝手言ってくれちゃっておまえらも自分の胸に手を当ててよーく考えてみろや、と言いたくもなるものだ。

ちなみに、こういうことはネット上で言われたわけじゃなくて、面と向かって言われたものだ。随分前の話ではあるけれども。僕もね、生身の人間と話す機会はあるんですよ。誤解のないように。

それに反論するならば、「彼等は僕の価値観が一定しないことを善く思っていないようですが、それは相手の価値観に彼等自身の価値観を合わせてコミュニケーションを図るやり方が僕には適しないからであって、問題は彼等にも内在するのです。ある程度の嗜好の変動は予測できるつもりでも、その根幹にある価値観が比較的短期に変動することが彼等の想定の範疇にないためにコミュニケーションの限界を感じ、その原因を一方的に僕になすりつけているに過ぎないのです。」ということで、これって割と良い感じじゃない?と自画自賛したくもなるのだが、面と向かって偉そうに言うならば、「君が見ている次元と僕のいる次元は違うんだ!高次元の現象だから把握できないだけなんだよプー!」くらいになる。

これが仮に当たり前のことだとして、逆に僕が「君」を見た場合にも、見える次元と相手の内面の次元が違うなら何も偉そうなことはないのだが、そういう前提抜きに言うからなんだか偉そうで高慢ちきで自分の器も把握してない馬鹿者な印象を付け加えてしまうことになる。ので不味い。というか頭おかしいと思われるし、ひく。

しかしこの次元云々っていうのは割と便利な言い回しなのではないかな、と思う。

ブスって言われたら、
「あなたの目は三次元でしか物を見られないんじゃなくって?顔の細工が良い悪いなんてものは凹凸で決まるものだから、あなたは空間的な凹凸しか見られないんだわ。きっとそうよ。だってわたし、時間軸に沿った凹凸はとっても美しい造型をしてるのよ。」
と言い返せばいい。

テストで0点を取ったら、
「なぁ、ちょいと聞くがあんた、俺の答案によく目を通したかい?赤いインクが平面にしか見当たらないんだが。こんな薄っぺらな二次元の紙の上のお遊びに気を取られちまったってのかい?俺たちはな、ここに立ってらな。空間にいるんだぜ?当然俺の答案にだって奥行きがあらぁな。あんたにはそれが見つけられなかったみたいだなぁ。」
と先生に抗議すればいい。

駐禁のチョーク引かれたら、
「婦警さん婦警さん!これはなんの冗談です?僕のタイヤは二次…
いや、思いつかない…。これは無理だ。

そういえば婦警さんが仕事してるのって、駐禁の見回りしか見たことありませんよ。でね、考えたんですけど。駐禁の見回りが主な仕事なのに、AVとか、ギャルゲーとか、あるいはイメクラの広告とかで「駐禁プレイ」とかそれに類するものがセットになってるのって見たことないんですよ。

僕はね、自分の車のタイヤに線引いてる婦警さんにいちゃもんつけて、車に押し込んで、衆人環視のなかでカーセックスするっていうシチュエーション、非常に萌えると思うんです。自分の車じゃなくて全く知らない赤の他人の車なのに、自分の車のような振りして、っていうのも足がつかなそうでいいですし。

シチュエーションだけでも大した発明のような気がするんですが、これがかつてないものなら特許を取って、全国のAV制作会社やらギャルゲー会社やらエロ漫画家やらイメクラやらからお金をかき集めてもいいくらいなもんだくらい思うんですけど。

馬鹿だな。馬鹿だしキモい。


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