2003年08月10日(日) |
再考 さんかくとは? |
格闘技のPrideを観ました。すごい試合の連続でした。
私のサイトのタイトルはさんかくのしそうで、○か×という二元論というのを否定するところから入っているのですが、格闘技を始めとする競争の世界には、○か×しかないのです。彼等の仕事は○か×が必然的に出てしまう中で、できるだけ○を得る事なのです。で、試合を観ながら、私達も実は、無意識に○を目指して人生を過ごしているのではないのか?とふと思ったのです。
すなわち、すべての人は基本的に「自分にとっての○」を追い求めているのではないかということなのです。自分自身にとってやはり○でなければ、それは満足な気分にはならないですし、満足な気分の得られない状態で充実した人生は望めませんよね。私自身もやはり自分にとっての○を求めて人生を送っているわけです。そう考えると、さんかくのしそうという名前をつけた動機はなんなんだろう?と改めて考えざるを得なくなりました。
動機は単純なことだと気がつきました。自分ではない基準に「お前は○だ。」「お前は×だ。」とやられることに対する反発が、さんかくのしそうという名前には反映されているのです。それは、私自身がこれまで感じてきた他人や社会からの圧迫感への反発を表現したものなのです。「他人によって○か×かと審判される筋合いはないんだ。」「俺は○でも×でもないんだ。」という拒否の気持ちがさんかくという表現に置き換わったのでしょう。
他人の○×という基準から精神的に逃れた後には、やはり自分にとっての自分の人生を考えなければならない時がやってきます。今、私が追い求めるべきは自分にとっての○なのです。自分自身の人生は、やはり、「さんかくのしそう」ではなく、「まるのしそう」じゃないといけないのだろうなと、倒れる桜庭選手を見ながら感じました。俺は、倒れたくないもん。
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