知らんけど

2003年04月21日(月) 春の訪れ

春も訪れ、何だか恋人が欲しくてたまらないのです。最近、集団自殺が多いようですが、その遺書の中にあるのが「生きる理由がわからない。」というものです。くしくも、私が実習中に実習先の先生と一緒に考えていたことでした。生きる理由なんて答えのでない難問であることは承知なのですが、大変に興味のあるものです。こうした答えの出ない命題を考えすぎると、うつ状態に陥り、そしてうつ病になり、自殺願望が出て… という一つの悪循環に陥ることも良く理解できます。

私自身、仕事にも勉学にも趣味にも今のところ「生きる理由」というべきものは見付けられずに来ました。そんなもの見つかるのか?という根本的な問いはあるのでしょうが、私はあることを信じて生きています。生きる理由を探す事が、生きる理由というようなちょっとふざけた言い方もあながち間違いではないような気がします。

そうした中で、私はこれから出会うであろうパートナーとしての女性に「生きる理由」を見出す事ができるのではないか?という淡い期待を抱いているのです。生きる理由を探し始めると、権力や富などではどうしても満たされない部分が出てくるようです。行き着くところは「人」なのではないか?そう考えるわけです。人ととの関わりの中に生きる理由が見出せないかというのが、私の淡い期待を支えています。それは、子供のために全力をつくす母親が持つ「無条件の愛」を根拠としています。そうしたものがこの世に存在する以上、生きる理由として成り立つと考えるのです。

春が訪れ、生命の息吹を感じられる季節となると、やはり「生きる理由」を見つけたくなるのでしょう。


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