思考過多の記録
DiaryINDEX|past|will
6月の公演の脚本が概ね書き終わった。まだ若干の修正は必要になるが、大きな作業はもうないだろう。もう一つ書きたいものもあるのだが、まだギアが入らない。という前に、稽古は始まったばかりなので、そちらに集中しなければならない時期である。 数日前から本格的に脚本を使った稽古に入ったが、いろいろ考えていくと、まだ脚本を修正したい衝動にかられる。実は、それで一昨日、台詞をかなり直した。読み直した時に、言い足りなかったことや、別の言い方をしたほうがいいことなどが見えてきたからである。そうやって直したのに、考えていくとまだ入れ込めていないものがあったことに気付く。こういう設定にすればもっと面白くなるといったアイディアも浮かんでくる。台詞の細かい修正にとどまらず、登場人物自体の見直しや、そもそもの物語の構造自体も変えたほうがいいのではないかと思えてくるのだ。
いつもそうである。僕の場合、締め切りまでの日程に余裕があったとしても、実際に書き始めるのはかなりギリギリになってからだ。だから、稽古が始まっても脚本が最後までできていないこともしばしばである。もっと早くから書き始めていれば、第1稿が完成して、それを見直しながら修正を加え、第2稿、決定稿とブラッシュアップしていける。頭ではそうと分かっているのだが、どうにもスロースターターなもので、それがなかなかできない。 所謂「書き溜めておく」こともできない。目的がはっきりしていて、締め切りが設定されているような状況にならないと、頭が働かないのである。買い溜めることができたらどんなにいいだろうと考えることもあるのだが、前もって準備しておくということができない性格なのかもしれない。 かといって瞬発力があるかというと、それもあやしい。急にお題を振られても、即座には答えられない。大喜利みたいなことが苦手なのである。どうも思考のスピードが人一倍遅いようなのだ。そのことを考えると、締め切りのかなり前から作業を始め、ああでもない、こうでもないと思考をいろいろ転がしながら、じっくりと腰を据えて取り組むことが、いい作品を生み出すためには必要なのだ。それははっきりしている。 しかし、性格上それができない。 僕の今までの作品は、概ねそんな感じで作られたと思って間違いない。
しかし、追い詰められ、追い立てられて考えたことの方が、案外よかったりするということもある。切羽詰まってどうしようもなくなった時の方が、頭が必死に回転する分、思いもかけないような展開を思い付いたり、突然いい設定や台詞が出てきたりもする。「火事場の馬鹿力」というやつかも知れない。事前に用意したプロットやメモ書きよりも、書いている時に浮かんでくることの方が面白いことはしばしばである。それを期待して、敢えて直前まで何もしないということもあったりするのだ。しかし、あまりそれに頼り過ぎると、締め切りが守れなくなってしまう。実際、僕の公演では、稽古初日に脚本が最後まであることはまれだ。今回も、当初の予定より完成が1日遅れた。 いずれにしても、どの時点で「完成」とみるかは難しい。見直せばいくらでも改善点は見つかるものである。しかも、書き直す前の方が結果的によかった、ということも結構よくある。現場で脚本を渡してから、本番までの間に何度でも書き直せるならいいのだが、そういうわけにもいかない。この問題の対策ということでもないのだろうが、一時期「ワークインプログレス」というのが流行った(?)ことがあった。一つの作品を作る途中の過程を、いわば「中間報告」的に見せるというものである。客は、これは完成形ではないということを前提に見ることになる。作る側は、その段階での客の反応なども見て、さらに作品を改善していくというわけである。これは、一つの作品に1年くらいかけられるような場合に限られるのだが、このやり方は悪くはないと思う。ただし、僕のように小劇場で活動している人間にとっては、現実にこの方法をとるのは難しい。
とにかく本番はやってくる。締め切りを設定した以上は、それに向かって完成形を作らなければならない。それでも、まだ何か足りない感じがする。何かが根本的に間違っている気がする。その疑念は正しいのか、それとも杞憂に過ぎないのか、それはまさに本番で客の前に作品を提示するまで分からない。僕の知り合いの劇団代表の中には、毎回稽古開始時から「これは負ける気がしない」などとツイッターでうそぶいている人間がいるが、ある意味凄いと思う。僕はそこまで自信家にはなれない。脚本を渡した瞬間からいつも不安である。その不安と戦いながら稽古しなければならない。本当に、作家などというのは因果な商売である(僕は作品が金になっているわけではないのだけれど)。 結果が見えず常に不安なのは生きることと似ている。生きることから簡単に降りることができないのと同じように、ユニットを運営している以上、また演劇に関わっていきたいという気持ちを捨てない限りは、書くことから降りることはできない。そうと分かってはいても、やっぱり不安である。その気持ちを抱えながら、僕は今日も稽古場に向かう。
|