思考過多の記録
DiaryINDEXpastwill


2014年09月18日(木) それは、ある日突然に

 僕ももうかなりいい年になった。来年には大台に乗る。
 そんな僕が、久し振りに、ある人に心ときめかせている。こんな思いは何年ぶりだろうか。いや、もしかすると、もう何十年もなかったかも知れない。もういい加減若くはないし、収入も社会的地位も低い身分なので、「恋」などというものからは足を洗わなければならないと思っていた。勿論、パートナーを求める気持ちは持ち続けたいとは思ったが、年々「希望」よりも「絶望」や「諦念」の方が大きくなっていた。
 自分はもう、誰かを好きになる資格はないと思っていた。たとえ好きになったとしても、それは全く意味のないことだとも思っていた。
 だから、もう誰のことも好きにならないと思っていたし、そうしてきた。



 しかし、それは突然やって来た。そういえば、「ラブストーリーは突然に」という歌があった。僕が一番恋に走っていた頃にヒットしていたと思う。あれは情熱的な歌だった。今の僕は、そんな感じではない。ただ、随分会っていなかった旧友(悪友?)とどこかの街角でふいに出会ったような感覚である。懐かしさと同時に、どうしてまたこいつと出会うことになってしまったのか、という思いもある。
 こいつは、少々厄介である。
 というのも、こいつは僕に一度として微笑んだことはないのだから。僕はそのことを知っているので、できるだけまともに相手にしないようにしてきた。今度もそのつもりではいる。
 しかし、今はそれがまたやって来たことに対する驚きの方が強い。
 まさか、また自分が人を好きになるなんて、思ってもいなかった。



 僕が彼女と出会ってからまだそれ程日が経ったわけではない。ただ、初めて2人だけで話した日に、僕はここ数年感じたことがなかった心からの楽しさを感じた。彼女は、特によく話すという感じではなく、むしろ口数は少ない方だと思う。だから、この時も僕が殆ど一方的に話していたような気がする。だからこその楽しさ、というのとは少し違った。彼女が実に話を素直に、自然に聞いてくれるのが心地よかったのである。少しも飾るところがなく、媚びることもなく、冷たく突き放すわけでもない。ありのままの状態の僕を、ごくごく自然に受け止めてくれていた。
 格好付けなくても、背伸びしなくても、自分を大きく見せなくても、過剰に明るく振る舞わなくても、無理にテンションを上げなくても、普通に話すことができる。それも、まともに話すのが初めてだというのに。
 「私は愛想がないんです」
という彼女の笑顔は、しかし自然で素敵だった。
 気が付けば、かなりの長時間、僕と彼女は話していた。
 それから何度か彼女と話す機会があったが、いつでも彼女は変わらず、何も飾らない自然体だった。



 つい5、6年前くらいまで、僕は理想の相手を「漫才ができる人」と本気で言っていた。これは、言葉の掛け合いができる人、ということである。笑い合いながらも、どこまでが冗談なのか、その冗談の中のどこに本当に言いたいことが隠れているのかを、お互いがその場その場で理解し合えるような関係を求めていた。そうだと信じていた。
 でも、年をとったせいなのか、環境が変化したからなのか、それが少し変わってきたように思う。彼女に出会って、僕はそのことに気が付いた。
 僕が求めていたのは、「安らぎ」だった。「癒やし」とは少し違うような気がする。彼女と話していると、過度に高揚するでもなく、かといって気持ちが暗くなってしまうこともなく、過剰に気を遣うこともなく、本当に普通にしていられる。そういう人はいそうでなかなかいない。
 それに、彼女と僕は感性が似ている。彼女の物事に対しての考え方、感じ方、そして生き方が、僕にはよく理解できる。というか、よく分かる。頭ではなく、心で分かるのである。
 彼女も僕も、他人の視線を気にし、何かに怯え、何かに絶望しながらも、どこかで期待している。その気持ちが、痛いほどよく分かる。彼女が抱えているものと、僕が抱えているものとは、恐らく同じである。
 だから、僕は安心する。この人の前では鎧を着なくてもいいのだと思える。「安らぎ」とはそういうことである。刺激ではなく、安心。だからこその、楽しさ。それが、彼女と過ごす時間の中にはある。
 そして多分、彼女も僕と会う時は鎧を脱いでいる。彼女の表情からは、そんな感じが読み取れる。



 しかし、彼女と僕は年が離れている。普通では考えられないくらい離れている。
 何故そんなにも年が離れている人を好きになってしまったのか、自分でもよく分からない。勿論、女性として魅力があるからだし、上に書いたような理由でもある。それに、悲しい話だが僕自身が年をとりすぎてしまって、もう「小娘」とは全然呼べない女性であっても、かなり年が離れてしまうのだ。つい最近、あるテレビ局の女子アナが、かなり年の離れた男性と結婚した。あれが許されるのなら、僕のこの思いも許される可能性はある。だが、あの男は凄い資産家であり、会社の経営者である。だからあの話が成り立っているのだろう。「ただし、イケメンに限る」ではなく、「ただし、金持ちに限る」というわけだ。
 僕には、金も社会的地位もない。いや、職業があるのかどうかすら曖昧な状態だ。そんな僕が、たとえどんな年齢の人であっても、好きになる資格があるのか、その思いに意味があるのか、大いに疑問である。
 しかし、自分の気持ちを止めることはできなかった。理性はいつも情動に負ける。
 でも、やはり年をとったせいなのか、それとも彼女との時間に感じる「安らぎ」のためなのか、若い頃のように突っ走る感じや燃え上がるような激しさはないように思う。静かに、でも明々と燃えている炎のようである。



 それでも僕は、彼女の側にいたい。
 彼女に側にいて欲しい。
 今この時も。
 僕も彼女も、恋愛なんて柄じゃないかも知れないけれど。
 キャラじゃないかも知れないけれど。
 それでも、側にいて欲しい。
 その気持ちに偽りはない。


hajime |MAILHomePage

My追加