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2006年10月01日(日) 当世ペット事情

 こんなことを書くと、今のご時世では反感を買うだけだと思う。それはわかっている。時流に反しているのだろうとも思う。でも。

 いつのまにか犬や猫に「服を着せる」ことがそう珍しいことではなくなってきている。「うちの子」「この子」と呼ぶことは、珍しくないどころか普通になってきている。いろいろと特別な配合を施した専用フード、健康食品、排泄物の消臭のために食べさせるサプリメント。自動給餌機。ペットの美容院。犬が吠えないようにと声帯を取り除く手術。本当に、いつのまにこんなことになっていたのだろう。

 少子化に伴って、お子様市場の限界をペット市場で補おうとしているマーケティングの罠に、何故こんなにも容易く絡めとられるのか。たくさんのお金をかけて過大な愛情を注いでいるようでいて、その実それはただ支配欲を満足させているだけなのではないか。犬も猫も、ケモノだよ。人間とは違う世界を生きている、お互いに理解不能な別種の生物だ。それをわかった上で、それでもわずかに心が通じているような気がしたり、自分を認識して懐いてくれると嬉しかったり、いなくなると悲しかったり、そうやって一緒に暮らしていくのがペットなんじゃないの?吠えたり鳴いたりうるさいし、言うこときかないし、うんこやおしっこが臭いのは当然だ。だってケモノなんだもの。飼っているからといって、支配できるわけじゃない。ぬいぐるみじゃなくて、ケモノなんだから。

 私は3歳か4歳くらいの時に、おやつのクリームパンを犬のコロと一口ずつ分け合って食べているところを親に発見されて、そりゃもう怒られた。コロは「家のすぐそばの小さなお家に住んでいるおともだち」だと思っていたのだ。だから私はおやつを持ってそこに遊びに行った。でも大人になってからは、コロと私は違う種類の生物だと分かったから、一緒に散歩はしてもパンを分け合うことはしなくなった。ペットに服を着せたりしてる人を見ると、この人は大人になってもまだそれが分かってないのかなあ、と思ってしまう。


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