Diary?
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東京に戻ってきましたです。実家の片付けやらおさんどんはいつものことなので慣れてはいるものの、今回は珍しく兄も帰ってきていて、その兄は「痩せの大食い」を絵に描いたような人で、中年のくせにまるで食べ盛りの高校生かと思うほどの食欲魔人なので、とにかく食事を作るのがいつにも増して大変であった。
それはいいとして、死ぬかと思ったのは「たまには外食を」と出かけた時のことだった。田舎の幹線道路というのは、直線であまり信号が無かったりするので皆スピードを出しがちではある。しかしまあそれは、全体としてみんなのスピードが速いってことで安定しているのである。しかしゴールデンウイークや年末年始などには、普段その辺を走っていない「帰省ドライバー」が急増する。フェリーがある関係で、突拍子もないナンバーの車が走っている。旭川とか。運転も、ものすごくゆっくり走っている人、見るからに道に迷っている人、あるいはものすごく乱暴な運転をする人など、普段は見かけないタイプの運転が急増する。
父の運転で走っていた道は、両側一車線ずつの国道で、追い越し禁止のエリアであった。我々の車線はとても空いていて前には車も無く、安心して走っていたのだ。対向車線はまあまあの混み具合、とはいっても渋滞はしておらずほどほどの車間距離で普通に流れていた。そこに一台のランクルが猛スピードで追い越しをかけた。そしてうちの車と正面衝突ギリギリのところで猛スピードのまま元の車線に突っ込んでいった。助手席に乗っていた兄が「あっ」と言い、父が急ブレーキを踏むまでには年齢のせいもあって実際に少しタイムラグがあったし、そういう際の常として当事者にはスローモーションで感じられるものなので、実際よりもかなりの時間経過を感じた。
どう考えても正面衝突はするだろう、死ぬんだなと思った。ああ、もうちょっと二胡が上手になりたかったなあ、恋愛もあと一花くらい咲かせたかったなあ、残念なことだ。しかし東京で一人でいる時じゃなくて、こうやって家族みんなでいる時でよかったかもしれないなあ。ニュースになるかなあ、でも関西だから東京の友人たちにはわからないだろうなあ。あ、臓器提供の意思表示カードは家に置いてきたバッグの中だなあ、どうしよう。……というようなことを考えていた。実際には一秒にも満たない時間だったろうけれど。
死ぬかと思ったのは人生で二度目で、一度目は会社の宴会の鍋料理で、カセットコンロのボンベがガス漏れして何台ものコンロに引火、1メートルほどの火柱が上がった時だった。その時にもいわゆる「走馬灯」を経験した。もういやだ。次に走馬灯を見る時はほんとに死ぬような気がする。
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