Diary?
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2006年02月05日(日) ふぬけた

 ふ という文字は、ただこの一文字だけで大変にふぬけた印象を与える。ふにゃふにゃってしたのの両側に点、点。その点も末広がりというよりは重力に負けてる感じでだらしなく広がっている。こんなにふぬけた文字があってよいものか。



 昨日は二胡の発表会だった。クラスの合奏を終えて舞台裏をぐるっとまわってまた舞台に出、ソロ演奏を終えて舞台から去ったその足でクラスメイトのソロ演奏を聴くために舞台裏を全速力で走った。ぜいぜい。

 クラス合奏は、今までで最高の出来だったように思う。ソロは、緊張のあまりよく覚えていない。気持ちよく弾けたのは確かだが、後日配られるビデオを見てみないと何ともいえない。

 鉄壁の胃を持つ私ではあるが、さすがに昼食がほとんど食べられなかった。好きなカレーなら食べられるかと思って注文したものの、半分以上残してしまった。その反動で、自分の演奏が終わったとたんに凄まじい空腹を覚えた。身体と心って、こんなにも繋がっているんだなあと感心した。

 記憶にないくらい小さい頃からピアノの発表会に毎年出ていて、その後もバンドやったりしてこういうのには慣れているような気がしていたし、去年の発表会でもこんなには緊張しなかったのだけど、さすがにソロ演奏はプレッシャーが大きかった。でもその分気持ちの良さも倍増。

 私はずっと何かしらの楽器を弾いて暮らしているけれど、昔から演奏のプロになる気はまったくなくて、とにかく弾いていれば満足というタイプである。そもそもプロになれるほどの技術を習得しようとすると楽しくなくなってしまう性質なのでどうしようもない。ただ、弾く以上は何かを表現したいという欲はたぶん人一倍あって、どちらかといえばその表現欲のために楽器を持っているのだろうとも思う。人前で弾く時には、技術の足りない部分を曲に対する自分なりの理解を表現することと、それを聴いた人がまたその人なりの解釈をしてくれることへの淡い希望でもって補うようにして弾いているのかもしれない。


 昨夜は打ち上げに出たあとさらに飲みに行って帰宅してバッタリと眠り、今日も一日ふぬけてぼーーーーーっと過ごし、夜になってやっと回りはじめた頭でそんなことを考えていた。


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