Diary?
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2004年03月30日(火) 時事ってみよう

会社のビルの入口は自動の回転ドアだ。

さすがにはさまれたことはないが、普通に歩いてたら急停止しておでこをぶつけたことならある。時々他所のビルで、自動じゃない回転ドアの前に立ってじーっと待っていて恥ずかしい思いをすることもある。

ニュースを見てて思い出した。
何年か前の須磨の花火大会で、歩道橋がすし詰めになって将棋倒しが起きたことがあった。死者も出た。あの時誰かが言っていたこと。記憶に頼っているので細部は違うかもしれないが。

「各地で花火大会を中止したり、歩道橋の警備を強化したりしている。それはそれでいいけれど、そういう対応しかしないからこういう事故が起きるのだ。いつもいつもその場しのぎですぐに忘れる。今度はきっと、花火大会じゃないところで、歩道橋じゃないところでひどいことが起きるだろうに。」

今回の事故の経緯を調べたり、回転ドアの安全基準を作ったりすることも大事だけど、だったらそもそも今まで安全基準も無しに建築に使われていたのは何故なのか。基準を作るという発想が無かったか、基準を作るのがイヤだったかのどちらかでしょ。何故イヤだったかは言うまでもなく。別に回転ドアに限ったことじゃない。森ビルや三和シヤッターに限ったことでもない。日本はあっちもこっちもそういう構造になってるんだよきっと。記者会見でぺこりってすればいいと思ってるんだね。

政治から経済から企業から、果てはサービス業の接客まで、最近なんかこうダメダメ感が増大してる気がしてならんよ。セキニンシャ、でてこーい。わしゃ人生幸朗か。


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