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思ったより早く、ちょうどドラマと「ぷっ」すまの狭間に帰宅できて、 しばらく、部屋が暖まるまでコートを着たままでエガちゃん可愛いー!とウハウハ笑い、 メールをチェックし、シャワーを浴びて、歯を磨いて、パジャマを着て、パソコンの電源を落とし、 見終わったらそのまま眠ることができる態勢で僕の生きる道最終話を再生しました。
約1時間後、眠ることなんてできなくて、パソコンの電源を入れて、 とりあえず、ここに何か書こうとしたけれど、何も書くことができなくて、今に至っています。
とにかく、いっぱい泣いて、しかも、しゃくりあげるほど泣いたのだけれど、 最後まで秀雄先生は秀雄先生で、みどり先生もみどり先生で、 誰もが少しもぶれることなく、その人の道を歩き続けているということが嬉しくて泣いていたのかもしれません。 でも、今は「かもしれない」としか書きようがありません。 明日になれば、もう少し頭が整理できるかもしれないけれど。
私自身がこのドラマに出会ったことで急激に変われるとは思いません。 私は私で、うんざりするくらい、嫌になるくらい私で、 それは今まで生きてきた年月によって鍋底のコゲのようにこびり付いていて、 そうそう簡単に落ちるものではないのだから。 だけど、秀雄先生と秀雄先生の周囲の人の生きた道と生きていく道に出会ったことは、 確実に私の中に残ると思うし、もしかしたら、それによって1mmでも足の踏み出す先が変わることで、 その積み重ねが私の道を変えていくかもしれません。もしかしたら、だけれど。
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