親父が死んでもうすぐ一年。 俺は親父が酒の肴に照れながら話す昔話が好きだった。 もちろん頑固で正直者の親父という人間も。 末期の目で俺を見た親父の顔は死ぬまで忘れない。 何度泣いて眠ったか覚えてない。 仕事中ふと急激に落ち込むこともあった。
経験の無い人には、わからない喪失感。 目を閉じただけで、盲目の人の気持ちがわからないのと同じ。 上辺の同情、どこかで聞いたことのある台詞。 一周忌にはそんな台詞も聞かなければならい。 それに対する苛立ち。 でも親父の一周忌だと思えば、そんな細かなことはどうでもいい。
葬式の日は親戚や親父の会社の同僚、近所の人たちが集まった。 神や仏がどうだと言う声を端のほうで聞いていた。
死を納得させるために拵えた意見だとしても 目に見えないものが親父の命をなくすと決めたのなら 目に見えないものに縋らなければ死を受け入れられないなら なおさら俺は神様など信用しない。
親父は死んだ。俺の中で親父は生き続ける。 喪失感に襲われても、時間がどれだけかかってもいい。 何かに縋るより、目に見えないものを信じることよりいい。 神も仏も糞食らえ。知るか、そんなもの。俺の夢と憧れは亡くなった。
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