思ったことのまとめ

何かしなきゃ自分の心は他人に伝わらないし、他人の心は自分に伝わってこない。
他人との主な意思の疎通法は言葉を使うこと。
言葉って自由に見えて実は全然自由じゃない。というか単にうちの使い方が下手なのかも知れないけど。
人間ってやっかいなもので、嘘っていうのが存在するんだよね。
嘘かそうでないかなんてその人にしか分からない。その人の心はその人にしか分からない。
他人の考えてることは分からないから、まず自分を例にして考えてみる。
その例になる自分は、心の中で嫌なことばかり考えている汚い子。
自分が嫌なことばかり考えているから、他人も自分のことをそう思ってるんじゃないかと不安。
そしてそう考えてしまう自分が嫌い。
まず人を疑うような人間が、人から愛されるなんてありえない。

人を好きになるってすごいことだと思う。
うちが抱いたことのある感情が「好き」なのかそうでないのか分からない。
好きってなんだろう?
「好き」になったところで応えてくれるかどうかは分からないし、
応えてくれたとしてもいつ置いていかれるか分からない。いつそっぽ向かれるか分からない。
他人だから分かり合えない部分も必ず存在するし、心は不安定なものでいつぐらぐらするか分からない。
不安だらけなのになんで相手を好きになれるんだろう。怖くないのかな。
他人がいたらとても暖かいけど、暖かさを知ってしまったら置いていかれたときの寂しさは
最初のひとりぼっちの時よりもっとつらいんじゃないだろうか。暖かさを思い出しちゃうから。
心を広く許せば許すほど、他人が居なくなったときの寂しさは大きい。
寂しいのはイヤだ、痛いのはイヤだ。なら最初から誰にも心を許さなければいいのに、
他人を求めてしまう矛盾した自分がいる。
他人は怖い、けど安心させてくれるのも他人。

自分じゃない人が名前を呼んでくれるから、自分が自分だと認識できる。
呼ばれないならただの人間で、SYKという名前の人ではない。
名前を呼ばれてこそ、必要とされてこそ自分が自分であるって分かる。
2004年01月15日(木)

わたし史 / さや