2004年03月10日(水) |
上の子の受験を振り返って |
偏差値30からの・・・、というフレーズがあるが、うちは30からなんて甘いもんじゃなかった。 偏差値20台、それを見るまでは、そんな偏差値が存在することすら知らなかった。
二科からのスタートだったが、初めの公開模試が二科目で偏差値28だった。 国語35,算数26、ものすごーく、ぶっとんだよ。
この数字だけを見ると相当なバカなんじゃないかと思う・・・けど、 小学校の通知票はAばかりだったし、N研に通う前に行っていた補習塾の確認テストでは、約400人中1位(偏差値60以上)というものだった。出る範囲は学校の教科書だったので、問題なく100点が取れていたことによるが・・・。
4年の途中から四科目になって、理科と社会がこれまた偏差値20台からのスタートだった。 最低偏差値25、25未満の偏差値は見たことがないので、これが最低なのかもしれない。
4年の間・・・、
国語が偏差値33〜55を行ったりきたり、 算数は偏差値26〜56を行ったりきたり、 社会は偏差値20〜30台、理科は20〜40台だった。
5年になって・・・、
国語の偏差値35〜60を行ったりきたり、 算数については、40台後半〜50台後半に落ち着いてきた。 社会は相変わらず30台、理科は40前後。
6年・・・、
国語の偏差値40〜60になり、算数は変わらず40台後半〜50台後半に落ち着き、 社会は相変わらず30台で、理科が60弱をコンスタントに取るようになった。
結果、最終的に二科目では50後半を取る回数が増え、社会が足を引っ張って四科目で40半ばとなった。
ほとんどの場合、国語がいい時は算数が悪く、算数がいい時は国語は悪い、という有様で、国語と算数と理科が偏差値60近く取ると、社会の偏差値が30台でも四科目で50を越え、それは・・・たった一度のことだった。
何が言いたいのか、と言うと・・・。
こういう成績では、いちかばちかの勝負になってしまうというということだ。
恥ずかしい話だが、本番前はそんなこと考えてもいなかった。 波はあるけど良い時もある。
いろんな塾の入試報告会に出ると、そういう子は一番高い時を試験日当日に当たるようにすればいいんだ、と言っていた。 5日受ければどの日かいいのが当たるだろう・・・、なんて虫の良すぎる解釈をした。
偏差値40後半の学校で、偏差値40の子も入っていると聞けば、 苦手な社会を入れても年間偏差値は40を越えているのだから、うちの娘ならまず落ちないだろう・・・、そんな気持ちだった。
なんてバカな親なんだろう・・・。
こつこつ積み上げてきて安定した成績が取れる子と、うちの子のような平均が中間以下でジェットコースーの子とではまるっきり違う話だということを。
苦手な分野をなくすこと。 これがいかに大切なことなのか、思い知らされた受験となってしまったのだ。
娘の偏差値の上下は、そのものズバリ。苦手分野だということ。 理科はバネなどの計算問題はパーフェクトなんだけど、社会のように覚える問題が苦手。生物とか人体とかが弱いのだ。国語も文章問題による。点数がいい時は文章問題が解けている時。
そんな娘も4月から中学生だ。 何だかんだいいつつ、受験は終わった。 ほとんどはそのまま附属の大学まで行くから、ふつーに勉強して、ふつーの成績を取ってくれれば、クラブ活動を満喫しつつ大学生となる。 2割程度は附属大学以上の大学に行くみたいだけど、本人が望まない限りそのままでいいと思っている。 今のところ行きたい学部もあるようだし・・・。 成績が取れて推薦されれば、の話だけどね。
小さい小さいと思っていた娘は、ここのところ急激に背が伸び、昨日病院の定期検診で計ったら146.2cmもあった。夕方だったので、朝はもっと高いんじゃあないか? 9月の学校の健康診断では141cmだったので、半年で5cm伸びたことになる。 1月の健康診断で144cmと聞いてびっくりしたくらいなのに・・・、 12〜13才の平均身長の表に145以上と書いてあって、 「やっと平均になった。」 と喜んでいた娘。
幼稚園の時から前から3番目で、そのままずーっと3番目で、6年になって5番目、6番目、8番目となった。体重もずっと30kgを越えなかったが、背が伸びるとともに増え、やっと32kgにはなった。 靴のサイズなんて、私を追い越して23.5cmだ。 子どもだ子どもだと思っていたのに、いつの間にこんなに大きくなって・・・、もう腹には入らないよ、と冗談で言ってみせる。 メジャーを50cmだけ出して、赤ちゃんの時はこんなだったのにねえ。 ホントにねえ。
塾決めるのも大変だった。 いくつか体験授業させる中で、 スリッパ投げて授業中に帰ってしまったこともあった。 ワザと筆箱をガシャン!と落とすので、 「そんなに先生のことが嫌い?」 と聞かれて 「はい、嫌いです。」と答えた、とか。 その塾に通わせてるお母さんから聞いた。 「本当に嫌いなんだねえ。」 と親子で話していたとか。苦笑 今では笑い話だ。
内弁慶で友達を作るのも苦手だった娘が、友達に恵まれて毎日楽しく学校に通っている。 卒業公演でも立派に劇の台詞を言っている姿に涙が出てきた。 こんなんで感動しているようじゃ卒業式は一体どうなっちゃうんだろう・・・、と思った。
本当に本当に大変だったんだから。
2才までは本当にいい子で手がかからなくて、大人しくて聞き分けがよくて、優しくて、本当にいい子で、自我が芽生えてから本当に大変だったんだからっ。 パン屋に行ってもかたっぱしから指でパンを指しちゃうし、触ったパン、全部買ったんだからっ。
友達んちに遊びに行けば帰りたがらなくて、いっつも大泣きして・・・、新しい環境にはちっとも慣れてくれなくて、すぐふてくされて、手がつけられなかった。 家出したことも何度もある。
何度娘をグーで殴りたいと思ったことか。 何度娘を捨てたいと思ったことか。
でも大変な分、ちょっとしたことで感動させてもらった。 参観日で歌っている娘を見るだけで涙が流れたし、演奏している娘を見るだけで涙が出た。 それにね、ずっとそんなのは自分だけなんだなって思ってたんだけど、同じように涙腺のゆるい人ってたくさんいるんだよねえ。 それを知った時も少し楽になったんだ。
これからまだいろんなことが起きるんだろうけど、その都度また書いていければ、と思う。
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