2003年06月25日(水) |
スピーチコンテスト当日 |
娘が学校代表に選ばれ、今日は区の大会の日だった。 区内にある17校の各代表たちの中から選ばれた人が市の大会に進むのだ。
学校代表に選ばれたとき、こんな内容で大丈夫なのか、と首を傾げていたが、どうであろうと、選ばれたことにかわりはない。
とにかく区の大会に出るというだけでもすごいことだ、そう思うことにしていた。
当日までの流れは、最初だけ私がアドバイスして、そのうち娘が拒否するようになり、今朝は大喧嘩となった。
いくら暗記してスピーチするといったって、ギリギリまで原稿を繰り返し繰り返し読むものだ。あれ、なんだっけ、と、確かめながら、ブツブツ暗唱するのがふつうじゃあないのか?
娘は、今朝になって、原稿は無くした、と言うのだ。
暗記だから無くしていい?
それは違うだろう。
あまりのだらしのなさに腹が立ってしかたがなかった。
朝、練習をしてみれば、つっかえてばかり、ということがわかったのだ。
娘は半狂乱になっている。
ずっとできていたのにできなくなっている、ということに、発狂する。
なだめる余裕なんてない。
原稿さえあれば、ギリギリまで確認していれば大丈夫よ、今まで大丈夫だったんだから、自信持ちなさい。
とでも言えるだろう。
原稿を無くした、という時点で、私のマニュアル外なのだから。
先生はコピーを持っているはずだから、先生にコピーしてもらいなさい。
そう言っても、コピーなんてないし、そんなことできない、の一点ばり。
とにかく何を言っても、反抗するばかりで、耳を貸さない。
登校班の班長の娘は、登校班の子たちを置き去りにして、その子たちの前で私に、 「うるさい!」 と鬼のような顔を向けて大声で吐き捨て、一人学校に向かった。
通行人も、私を見る。
子どもに何の威厳もないまま立ちすくしている自分。 情けなくて情けなくて消えてしまいたかった。
登校班の子を送り出し、家に戻った。
洗面所で声を殺して泣いた。 でも、声が漏れてくる。
泣くってどういうことなんだろう。
弟のための涙は、声なんて出なくて、ただ大きな涙ばかりこぼれてくるのに。
この涙は悔し涙なんだろうか。
タオルを顔に押しつけて、大声で泣く。
立ってるのか、座ってるのか、寄っかかっているのか、自分が何処にいるのか、感覚さえわからない。
ただ泣く、という行為だけが私から発せられている。
雨で休みの夫が、様子を見にくる。
でも、もうどうにもならない。
夫の気配がすると、
「わからない。わからない。どうしたらいいかわからない。 私はどうしたらいいの?
うるさいって、怖い顔して行っちゃった。
登校班の子たち置いて。
班長なのに。
私はどうすればいいの?
みんな見てる。
私を見てた。
言われっぱなしで何もできない私を見てた。
私はいる資格がないの?
もう母親なんて、できないよ。
今日だって行きたくない。
でも母親だから行かなきゃならない。
義務感だよ。
本当なら、学校代表に選ばれて嬉しいはずなのに、母親だったら嬉しいはずなのに、行きたくないなんて、私がおかしいのはわかってるけど、でもどうしたらいいのかわからない。
嬉しいはずなのに、嬉しくもない自分と、
母親なら子どものこと愛してるはずなのに、 愛せない自分と。
どんどん自分と母親のギャップが広がって、もうどうしたらいいのかわからない。
どんどん自分が壊れてしまって、収拾がつかない。
どう整理して生きていいのかわからない。
あの子がいなかったら、どんなに楽なんだろう。
母親じゃなかったらどんなに楽なんだろう。
どうしたらいいのかわからない。 わからない。 わからない。」
夫は黙って聞いていた。
涙でぐしょぐしょになって、ヒックヒック言いながら、何言ってるんだかよくわからない話し方で、泣きながらしゃべってた。
30分くらいずっと泣いただろうか。 朝礼の時間は過ぎていた。
大会当日ということもあってか、朝礼で6年生全員の前でスピーチすることも聞いていた。 大会の見学の申込は、義父母と私との3人しか申し込んでおらず、 急遽雨で休みになった夫の分は申し込んでいなかった。
見られない夫のために、朝礼の発表だけでも見に行かない? と聞いていて、私が一緒に行くなら行くよ、と言っていた。
でも、私は大泣きして、目も鼻も真っ赤、顔じゅう鬱血しているような状態になっていた。
大会は、午後2時から。
案の定、娘は私の顔を見るなり、朝のことは忘れてニコニコ笑ってくる。
でも、私は自然に笑顔を向ける気力もなかった。
その分、義父母が、励ましてくれていた。
私はずっとビデオを撮り続け、娘の顔もレンズ越にしか見なかった。
優勝しなくてホッとした。
受験に専念しなきゃならないときに、また喧嘩の種が増えるのはごめんだったし、とりあえず一つ問題が解決したような気持ちだった。
と思った自分もいた。 あんな態度しかできない人間が、国際平和のスピーチだ?笑わせるな、という感じだ。
義母は、「よくできていたわよ。賞をもらえないなんておかしい。」 と言っていて、救われた気もした。
逃げ場があるから、人は生きていけるんだ。
娘の逃げ場=私の逃げ場、でもあったのかもしれない。
帰り道はさわやかだった。 義父母と別れて、一人で家まで歩く道のり。 楽しくてしかたがなかった。
○朝、あんなにつっかえてたクセに、本番に強い娘は緊張する様子もなく堂々とスピーチしていたこと。 ○私がアドバイスした通りに、声のトーンや言い方を変えていたこと。 ○不幸な人間を引き合いに出した内容ではなく、自分自身を題材にあげていた内容であったこと。 (そういう内容は娘だけだったかと思う) ○娘の応援にクラスの子たちが来てくれていたこと。 (どの学校も来るのだけど、通常の時間より随分遅くなるのに娘のために来てくれる子がいて、嬉しかった) ○娘の担任の先生が、娘がスピーチを言い終わった瞬間に、最高の笑顔で 「ヨシ!よくやった!」 という顔をしてくれたこと。 ○義父母が来てくれたこと。 ○同じ塾に通っている子が、他の学校の代表として参加していたこと。 ○最初の始まりの言葉に、他の学校に通う友達の子が、出ていたこと。 ○義父母が買ってくれた娘のメゾピアノのジャンバスカートを、この晴れ舞台に義父母の前で着せられたこと。 ○夫が私の泣いている姿を見て、私が何に苦しみ、何に悩み、どういう心の変化があるのか、理解してくれたであろうこと。 ○夫がお昼にサンドウィッチを買ってきてくれたり、大会出演のビデオを撮るためのビデオテープを買ってきてくれたこと。 ○私が仕事で忙しくても、何も文句言わず見守ってくれたこと。
全部、今日だけのことだけど、一つ一つ、まるでフィルムを入れ替えるように、カチャッカチャッと音が鳴って、頭の中で切り替わっていた。
こんなことが私の嬉しさで、喜びで、こんなことがあるから生きていける。
母親ができないとか、わからないとか、また次の機会に見送ろう。
娘が帰ってくるなり、「まずは謝ってください。朝のこと。」
と、仁王立ちすると、
「ごめんなさい。ママ。」
と、抱きついてきた。
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