子どもの頃、 「お前のために」って態度がすごく苦痛だった。
私のために私のために、って言いながら、 結局、自分のためじゃないか、と、思った。
もしもね、一生懸命働いても自分のために時間使わず、 私のためだけに時間を使ってくれていたなら、 そうは思わなかったんだと思うけど?
そしたらそしたでこれみよがしに貧乏ぶるなよって 思ったんだろうか。
うちの母は身だしなみもきちんとする人だったし、 私が盲腸で苦しんでる時も風呂入って化粧してから迎えにきたくらいだからな。
子どもによって感じ方も違うと思うけど、 お母さんがいっぱいいっぱいで毎日カリカリしていて、 世間のために頑張っている、と言ったところで、 私はあんたのアクセサリーなの?って思ってしまうじゃないのか?
どんな私でも認めて欲しい、愛して欲しい、 子どもにとっての原点はここにあるんじゃないのか? その上で本気でぶつかるのなら、子どもも真剣に向き合うんじゃないのか?
それをわかったところで自分はそうできてるのかっていえば、 「できてない」のであって、 子どもは愛せないし、自分の親より最低な自分もいるんだけれど。
私は、大人になっても、親として演じるなら、 うちの親みたいにはなりたくないって思ってる。
▼本日のお勉強▼
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