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1987年12月13日(日) q

181 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/03 04:17

友達が真光信者です。
どうでもいいけど、背後から手をかざされてはまるで僕が悪いもののように・・・



182 名前: / 投稿日: 03/02/03 10:25

真光そのものに本物ってあるんか?全部インチキ宗教だろ。最後に残るのはインチキの親玉



183 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/03 10:25

>181
「何すんじゃい!」
ってカンジ?!



184 名前: / 投稿日: 03/02/03 10:30

本家の竹内文書の皇祖皇太神宮関係者は真光をどう思ってるの?同士?敵?



185 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/03 10:39

>184
興味ないって感じじゃない?



186 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/03 10:56

天津教も超弱小とはいえ新興カルト宗教だからね。カルトは自分の教団の保身にしか興味がない。



187 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/03 10:57

>184
185と同じ。



188 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/03 11:01

>184
天津教なんて、死んだも同然w

>181
真光は、真光以外の奴らを霊障にやられている、つまり悪霊に憑かれている
連中だと決めつけている。まさに危険なカルト宗教だ。
実は、一般社会から見ると真光の連中こそが集団霊障そのもの。悪魔に
魅入られた集団だ。
奇跡や救いを金で買おうという現世利益で自己愛信仰、
汚い想念の持ち主ばかりの邪教集団だ!
だから、道場内は人を裁く奴ばかり、悪口陰口が渦巻いている。
悪霊共のすみかだからそうなるのだ。



189 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/03 11:16

擁護の言葉に「やめた人間は奇跡の体験がなかったのでしょう」とありますが
奇跡ご守護体験ならば降る星のごとく、数え切れないほどありましたよ。
なにしろ、真光の業そのものが奇跡の霊術ということでしたからね。
「手をかざして、自分のてのひらにみ光を感じる奇跡に感動しなければいけません」
「手かざしを受けて楽になるのがあたりまえになってはいけません。
神狎れに陥ってはいけません。」だったので、日々感動しておりましたが何か。
ご守護においても「私には何もご守護がない、いいことがないというのは
間違いです。何事も起こらないで済んでいることがご守護です」何か災い事が
起これば「大難を小難にしていただいた」何もなければ「小難を無難にしていただいた」
悪いことがあっても、まだよかったところに注目して「ミソギはミソギ、救いは救い」
といわれていましたが何か。

「神様のご守護がなければ一瞬たりとも生きておることができない私たちなのです」と
ご守護ご守護感謝感謝といわれていた日々でしたが何か。
そうして奇跡ご守護の製造をしていたのに、止めた人間には「奇跡の体験が許され
なかったのでしょう」ですか。
真光は奇跡がダブルスタンダードですね。



190 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/02/03 11:34

>>181
>「何すんじゃい!」
>ってカンジ?!

だめだめ、そんなこといったら、じったりとしたなまあたたか〜い目で
「憑いてるご霊さまが苦しいんだね。わかるよわかるよ〜」とか
喜んじゃうよ。
組み手は、自分では見えもしないし存在を感じ取れもしないくせに、
平気で悪霊がその人に憑依している、と思いこんで恥じないし、
浄めてあげなくてはいけないほど人々は穢れに満ちていると純粋に信じ込んで、
それがかってに「穢れ者」扱いされている人にとって、どれだけ失礼なことか
気づきもしないんだから。





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