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1975年12月22日(月)

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高山が日本の中心

これは戦前巨石文化を研究していた退役軍人の上原清二という人が飛騨高山付近の巨石を調査して、竹内文献の研究者、酒井将軍等を連れて来て盛んに調査していたのです。 戦前の話です。戦後、昭和二十六年頃から地元出身の霊能者の霊示が元になって大本教にいた池澤原次郎という人物が中心になって飛騨の位山を開こうという気運が強くなったのです。 それには、上原清二も参加していたんですね。昭和二十九年と三十年に位山を開く祭典が執り行われています。 この話は昭和二十九年の中外日報に書いてある。 真光が高山の事を言い出したのは昭和四十年頃からだから十年早い。真光如きにはオリジナル等何もないという事である。

ついでに岡田光玉が苦労して九州の幣立神宮を突き止めて参拝したという話があるが、これは如何もうそ臭い。 幣立神宮の宮司、青木蘇陽は昭和二十年代後半から中外日報の常連ライターであり、この青木という人物は自己の所管する幣立神宮の宣伝もよくしていたし、昭和三十年頃には幣立神宮の宣伝をした赤い色の小冊子を発行している。 幣立神宮の「五色人祀り」なんて霊媒に語らせた事が起源になった全く根拠のない絵空事であった。

宗教マニアの岡田光玉はそれを知らなかったとは考えにくいのである。

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