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手かざし治療の真実 by 崇教Dr.A
崇教が平成13年7月に発行した小冊子「手かざし」が信者の間に好評だ。東北大学医学部名誉教授(医化学)の吉澤善作氏が自己の体験談をまとめたものだ。この本の医学的門題点を指摘していきたい。
1) 自己の体験レポートについて
吉澤氏がいろんな病気の患者に対して手かざしした体験談をまとめているが、比較対照検査は全く行われていない。初期研修のテキストに引用されている「保健薬を診断する」(高橋晄正など著)には、「大学教授が書いた『使って治ったから効いたように思われる』などという報告は信頼できない。二重盲検法でないとだめだ。」とはっきり書かれている。タバコや酒の手かざしについても二重盲検法が必要である。
2) 「医学と宗教を十字に組む」について(P52)
「ところで、宗教は医学を否定し、医学は宗教を否定するような風潮がありますが、病める人々が宗教によって救われた例や、医学を否定した宗教の信者達が不幸な結果を招いた例も多いことは周知の事実です。疾病に苦しむ宗教の信者達も、進歩した現代医学を十分に認識し、活用して、正確な診断の下的確に対応し、早く恢復して本来の道を歩むことが大切ではないでしょうか。そして、宗教と医学を十字に組んで人救いをさせていただくことが求められているのではないでしょうか。」
全く同感である。
3) 他の医師の報告の紹介
平木・石井・和田医師よりの症例報告があるが、いずれも医師の主観による症例報告で、学問的価値は乏しい。小川医師のサーモグラフィーを用いた報告も、一見すると科学的手法を用いているように見えるが、単なる1例報告であり、客観性に欠けている。「他の多数の被験者についても確認されています。」とあるが、それなら統計学的データを示してほしい。大阪大学医学部整形外科教授の越智孝雄氏が、第3回陽光文明国際会議(1999年8月高山市)で慢性関節リウマチ患者についての多数症例での比較対照検査をおこなっているが、その研究内容は全く紹介されていない。
4) 「ムコ多糖代謝パターンの若返り現象」(59頁)
これに関する吉澤氏自身の報告は最も悪質な素人だましである。わずか一人の人間のムコ多糖データを提示して、"真光の業による若返り現象"がおきたなどと一方的に断定している。また研究の行われた年度も明記されていない。「同じ様な傾向は男女を問わずに認められました。」などと、自慢そうに言っているが、それなら多数の症例に対して、統計学的解析を実施して示していただきたい。72-75頁をよく読むとわかることだが、すでに1981年以前に公表されていたわけだ。およそ生化学研究者として「気でも狂ったか」と言いたくなる。 4) 好中球に対する"真光の業"の効果データ(60頁)
この研究自体は、学問の方法論に基づいている。ただ、ここに紹介されている研究は、研究発表年がごまかされている。これも72-75頁を読めばわかるように、すでに1981年に発行された「真光」誌に掲載されている。20年も前に行われた古典的な実験内容を、研究発表年を明記せずに、ぼかしてのせるなど、科学者の風上にも置けない行為である。「何だあいつ気違いになったか」といわれて当然だ。越智孝弘氏は他人の研究を引用するとき、ちゃんと発表年を明記している。
約40年前、医学の学会で高橋晄正氏は「グロンサン・アリナミンの効き目に疑問がある。医師の主観的な症例報告ではだめで、二重盲検法を実施すべきだ。」と主張したが、他の大学教授らはすぐに意見を取り上げようとしなかった。私も、「手かざしの効き目に疑問がある。医師の主観的な症例報告ではだめで、二重盲検法を実施すべきだ。」と吉澤氏に主張したい。
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「保健薬を診断する」(高橋晄正など著)よりの引用が、崇教真光の初期研修テキストに記載されているが、テキスト未収載の箇所をここに引用する、
(P29) 治療にあたって、プラシーボー効果を上手に利用することは、立派な医師の資格の一つですが、この「人間らしさ」の故に生じる効果は、薬のテストにあたっては、邪魔な存在であり、テストの段階では、一応は、とりはらうべき枝葉です。これらの事柄を認識し、よりよい薬の発展を願うという前向きの立場をとるならば、それなりの実験のデザインの約束にしたがう必要があります。
人間における臨床実験では、特定の基準の薬ないしプラシーボーと、目的の「薬の卵」とを、素性のはっきりした患者に、特別な依怙ひいきなしに割りつけ、実験条件に特別な偏りがまぎれ込まないように工夫し、さらに、医師も患者も、どちらの薬を使っているかわからない状態、つまり医師も患者も薬の種類については盲目の、二重盲検法と呼ばれる手法によって、それぞれの薬の価値を吟味してくらべなければ、客観性のある結果は得にくいのです。
このような比較実験によって、薬の評価に客観性がでてきます。一口にいえば、二重盲検法にしたがって、基準薬ないしプラシーボーと目的の薬とを、特定の患者群に無作為に割りつけて、同時にテストをするという基本にしたがうことが、薬の正しい評価には不可欠です。
従来の日本の例では、雑多な患者に、適当に目的の薬だけを使い、たっぷりと主観的な、独断的な判断を加え、その薬を使って病気がなおった、したがって、その薬は効いたという絶対尺度の評価方法が多かったのです。一つには、このような種類の、科学の本質をつくような方法についての医学教育が行われず、薬の評価にあたっては、メーカーからの謝礼が馬鹿にならない財源になり、よろしくお願いしますという依頼に対してナニワブシ的な報告を書くという習慣があったために、科学的な薬の評価が育ちにくかったのでしょう。
また、実際にテストにたずさわる若い医師にしてみれば、偉い先生が将来の職場に関しても生殺与奪の権を握っており、先生が「赤く見える」というものを、あえて「白です」といいはって、破門の憂きめをみるよりは、「桃色に見える」ぐらいでつじつまをあわせていた方が無難であるという風潮があったこともいなめません。
きちんとした、人間における薬の評価は、一九四〇年代にイギリスではじめられ、アメリカにも伝えられ、ようやく日本にも、必要性が認められるようになってきたのです。しかし、この方面の仕事を主体にする専門家の養成とか研究室の設立などは、まだまだ時間を要することでしょう。国民の健康をまもる医療関係者にとっても、医療の恩恵をうけるはずの国民にとっても、無関心ではいられない問題です。
厳格な薬の評価を行おうとするほど、当面の倫理上の問題が大きな制約になることは確かですが、これを理由に、いい加減な評価を行ない、国民にいい加減な恩恵を与えていることの方がより倫理的なのでしょうか。
(解説) このように二重盲検法の必要性は同書に明記されているのである。
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1910年に鈴木梅太郎博士(東京帝国大学農学部農芸化学科教授)がオリザニン(ビタミンB1)を発見したが、その時のエピソードが、「アリナミン」(高橋晄正著、三一書房1971年)に書かれてあるので、以下に引用する。
(41-42頁) (ビタミンB1について)これが脚気の本態物質であり、治療の上で有効性をもつというビタミン説は、簡単に医学の世界に受け入られたわけではなかった。
鈴木氏は三共株式会社に頼んでオリザニンを製剤化してもらったが、医学界ではほとんど顧みる人がなかったという。そこで鈴木氏は東京市の養育院で一年のあいだ二〇人の小児で栄養剤としてオリザニンを与えた者と与えない者との発育状態の比較をおこなって、与えたほうの発育が良好であるという成績を得ているが、医師でなかったために、脚気についての効果を試験することはできなかった。鈴木氏のような農芸化学者がかえってこのような早い時点において二群の比較をする対照試験の設計をしていることは注目すべきであろう。それは原理的に考えれば誰でも考えていたらざるを得ない生物科学の当然の帰結であったからであろう。
(解説) すでに明治時代に鈴木梅太郎博士により比較対照試験が行われていた。学部が違えど同じ生化学系研究者の吉澤善作博士は、21世紀になっても比較対照試験の必要性を主張していないのはおかしな事だ。 シーちゃん氏のように、医師でない一般人に二重盲検法の必要性を指摘していただいたことは、崇教真光所属の医師として心からなる敬意を表する。多数症例に対して、二重盲検法による比較対照試験を行い、その結果を光記念館に展示すべきだろう。 http://www.incs.co.jp/turezure/contents/baba-ture/baba-back/010914_ba.html http://www.incs.co.jp/turezure/contents/baba-ture/baba-back/010919_ba.html
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