「目的のない苦行に、人は耐えられない」
・・・らしい。
何かをするとき、その動機付けが無いと長くは続かないよってことか。
たとえば、好きな人にいいカッコ見せようとか、親に誉められたいとか、 優越感に浸りたいとか、他人とは違うってことを証明したいとか、 怒られたくないからとか、思うわけだ。
目的。
生きるって”の”はある意味「苦行」だと思わずにはいられない。 なぜなら俺のまわりにはいろいろ悩んだり辛い思いをしている人がたくさんいるから。 しかし、「とりあえず」でも生きているってことは、
『この先なんかいいことがあるかも』
という(何ら根拠のない)思いがあって、それを目的としているということだろう。
まさにそれが「希望」。儚い望み。夢。
・・・まあ、それを感じなくなったら、その人は死んだも同然だと思う。 そして、
生きることに努力しない人間に生きる価値はない。
自分で自分の能力を勝手に制限し、(どうせだめだよ、とか、俺はどうせ馬鹿だし、とか) 限界ラインのはるか手前で足を止めてしまう。 それは、「達観」ではないし「悟り」でもない。「見切り」ですらない。
「あきらめ」
そもそも限界なんかないのかもしれない。 そう疑うことすらやめてしまう。
・・・俺は、精一杯努力する人が大好きだ。
でも、俺自身はどうなんだ。
そう問い掛けた瞬間、自分がどうしようもない偽善者に見える。
いつか聞いた言葉、
「人は自分にないものを欲しがり、他人にそれを求める」
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