■親より先に死ぬな/生み出せない■
本日も,大学にてあれこれ作業。はよ終わってくれと願うばかり。
帰宅後,「白い巨塔」の最終回を観る。本来着眼すべき点とはズレているんだろうが,主人公が死に,後から駆けつけた母親が,優しく死に顔を眺めるシーンは,なんだか辛かった。いやあ,やっぱり親より先に死ぬのって,大罪だなあと思った次第。
それから,何気なく,遺書って,思ったときにチラッと書いといた方がいいんじゃないかと思ったり。まあ,残念ながら今は残していけるものはないが,書けなくもなり,話せなくもなったら,伝えたいことも伝えられなくなるワケですから。とは思っても,状況によって,思うことも書きたいことも違うからなあ。こちらの方のように,日々更新される遺書ってのいいかも(って,別に遺書とすることが目的の文章では無いと思うんだが)。
■□■ 久々に,一日で2つ目のトピックを上げる。「第3の私」という拝読していた日記が終了することを知る。考えられた文章で,読み応えがあるというか,よく読んでいた日記だけに残念。
終了の理由のひとつとして,「このまま続けてもどうも新しいものは生み出せそうもなく」と書かれてあった。
率直に言って,今のこの日記もそうで,ちょっと前まで,無期限更新停止も考えていたぐらい。続けたい意思はあるんだが,書くことがない,書いても,それは書き手から見ても読み手から見ても,イマイチな印象がするんじゃないかと,考えていたものだ。
ただ,「書かないと,次は出てこない」気もするし,「書こうとそれなりに頭を使ってみることで,何かまた書けるだろう」という気もする。それに,一字一句も書けません,なんて状態ではないから,まだ今でも続けていられる。
何も言おうとしない,書こうとしなくなったら,それは思考を止めることだと思う気持ちが強いので,まあ,この日記は,多少更新が滞ることはあれども,そう簡単にはやめないでしょうが。
加えて,ふと弱気になったときに,投票とか,逆探知とか,コメントメイルなんかがあるから,随分と外部(?)から刺激に救われることは多い。日記執筆の継続性を支援するシステムがそこにはあるのだ。これぞ,Web日記の利点ナリ。
|