■いつ消えてもいいように■
本日,廃棄作業推進。
「自身がいつ消えてもいいように」というのが,片付けをする際のテーマだ。自分がくたばっても,その後始末をしてくれる人(ひとまず,妹あたりを想定しておく)が,あまり苦労しないようにしようと思いながら,物を処分している。
とか言いながら,量としては,まだ結構な多さだったりする。それでもまあ,本や書類も本棚に空きが出るくらいに処分したし,無駄に大きなもの(机やらイスやら)も,思い切って処分したし,幾分かはスッキリした。部屋にあるのは,紙類が中心だし,これなら,ヒモで縛って廃品回収にホイで済むから,残された人の負担も軽減されるだろう。
やっぱり,それぐらいの思いで片付けをしないと,過去の思い出なんぞに引っ張られて,物を残してしまうんだよな。ほとんどの物は,自分だけが価値を見出している物/自分にとってのみ価値があろう物だから,人から見ると大したものではないというのが事実。つまり,自分にとっては,お金に換え難いほどの価値があっても,世間で言う財産としての価値はないワケだ。
お金とか財産とかの問題じゃないという思いも当然あるが,仮に明日筆者がこの世から消えれば,やっぱりほとんどのものはあっさりと灰となってしまうんだよなあ。それなら,自分の目の黒い内に,自らが見切りをつけて処分してしまうのも一つの手段ではなかろうかと思ったりする。その方が,却って心に残ったりするコトもあるし。
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