ta@NO DOUBT

はじめに
目次
メイルはこちら

初めての方は、投票者登録(無料)が必要です
マイ日記才人に登録
My Enpitu に追加
はてなアンテナに追加
/ /
以上のサイトにて、更新報告をしています


2003年04月26日(土)
■半年ぶりの学会/「やりがい」■

 本日、学会。

 昨年オープンしたらしい、関西外大にて学会に出席。キャンパスは、当たり前ながらキレイで、中には、コーヒーショップやマクドが入っていた。まあ、とにかく施設は整備されまくってますな。こういうところを充実させないと、私立ってのは生き残っていけないのかも。教育よりも、経営が重視されなければならないというツラい現実を目の当たりにした気分。

 学会では、大学時にお世話になった先生に、報告がてら挨拶したり、同じ院の人たちや先生と、ちょいと言葉を交わしたり。今回は、ワークショップや講演には参加せず、研究発表を4本聴いたのみで、退場。そのワケは、すぐ後で。学会そのものについては、院日誌の方で書くことにします。

□■□

 夜、ダイスケと京橋にて食事。まあ、あーでもない、こーでもない、と近況報告などを。院生の話なんて面白くも何ともないので、ダイスケ側の話を聴いていたワケだが、印象に残ったのは、何かと言われる「やりがい」についてである。彼は、サービス業に従事していて、「ありがとう」と言われて、「よっしゃ!」と思えることもあるようだ。それなりのやりがいは、見出されている模様。

 サービス業というのは、先人の知識を受け継いで、それを現場で発揮することが多いものと思われる。そういう意味では、生産性が感じられない。「サービスを与える=ひとつの生産」と言えなくもないが、結局は、何かを覚えて人に伝えるだけであり、「自分で何かを生み出す」ことはない(全くないとは言わない)。また、G氏の仕事のように、数字で結果が出るようなものでもない。そういう状況で、仕事に対するモチベーションを保とうとするならば、やはり、「やりがい」が無ければ続けられまい、ということは容易に想像できる。

 幸い、ダイスケは、仕事を、概ね「楽しい」と感じているが、自分としたら、そりゃどうなんだろう、と。今のところは、こんな生活をしてるだけあって、生産性を重視するというか、何か生み出す・出そうとしてないと、充実感・やりがいが得られそうにない。とは言いつつ、最終的に、何らかの形で自分が動いて、生産性があろうが無かろうが、そこに「気持ち的やりがい」(何らかの行動で、相手に感謝されることで得られるやりがい)ってのさえ見つかれば、やっていけるもんなのかもしれない、とも思った。んー、今日のはなんだか、イマイチな文章ですなぁ。考えがまとまってなくて、分かりにくい…


注1:ゴマでしょ、ゴマ
注2:ささやかながら、社会人パワーを発揮してくれました


  最新