■ケータイがつなぐ関係/ありそうでない辞書■
本日、もうダメ。(=花粉症でシンドイ)
晩になって、男なのに通称が「GAL」という地元の友人から、中3時のクラスメイトのよる寄合の案内メールが届く。毎年、この時期にやっているような気がするので、もはや、同窓会のような雰囲気はないのだが、それでも、「おぉ久しぶりやのぉ」という挨拶は飛び交う。それなりに、楽しみなものだ。というワケで、参加の意を伝えておいた。
現代では、ケータイを始めとした、メールの普及により、友人へのコンタクトをコンスタントに取れる体制が整ってしまっている。「整ってしまって」とは言うものの、別に悪いことだとは思っていない。ただ、筆者の場合、メールで連絡が取れる人とは、大抵、一年の内にどこかで会っていたりするので、我が父の言うような、「"何十年ぶりに"同窓生に会って、その変わり様を見るのはオモロイぞ」というのは、あまり経験できなくなるかもしれない。まあ、もともと「同窓会」という大人数の集まりは、好きではないのだが。それにしても、もしe-mailが無かったら、より一層人付き合いが悪くなってたやろうなぁ。文明の利器に感謝。
□■□ ふと本屋に出かけ、意味もなく、辞書コーナーに立ち寄った。実に、多種多様な辞書が並べられており、どれを買ったらよいのか、その場では判断し難いものがある。もし、店員が「どの辞書を買ったらよいでしょう」と客に尋ねられたら、どう答える気なんだろう。そんなコトを想像してしまうぐらいに、辞書は、売り出されまくっている。
その中で、一冊の辞書に着目。Eゲイト英和辞典という辞書。基本動詞や、前置詞の中核的意味(core meaning)が載せられている点で、他の辞書とは一線を画していると思われる。それまでは、とある先生が、一冊の本・専門書として出版していたのは、目にしたことがあったが、辞書という形で、このコアが載せられているのを見たのは、初めて。本気の辞書としては、語数の点で力不足を感じるが、その部分を、文字の大きさやイラストという視覚的効果で補っているし、入門的な辞書として使うというなら、申し分ないと思った。財政的に余力があれば、買ってみてよさそう。
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