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2002年10月02日(水)
■緊急休講/コンテキストの無限性■

 本日、ゼミが緊急休講。


 昨日帰宅してすぐ、「高熱が下がらず、場合によっては休講するかも」という旨のメールが先生から来ていた。先生は、今週末に学会を控えていたりするので、まあ無理はせんやろうな、と思っていたら、早朝に「休講にします」というメールが来た。準備が完璧ではなかったので、時間的余裕ができて大助かり。ところで、その学会に筆者も出席してみようかなと思うのだが、やっぱスーツで行くべきなんだろうか…?


□■□


 語用論を絡めて卒論を書いている筆者だが、語用論を扱う時に、必ずと言っていいほど、コンテキスト(context)が絡んでくる。コンテキストとは、「文脈」とか「前後関係」とか訳されるが、そのコンテキストを与えることで、その発語(speech act)に意図や効果が含まれる(これが「含意」(implicature))場合が出てくる。このコンテキスト、「考えればいくらでも付加できるというのが曲者なのでは?」と思い始めてきた。


 例えば、「John is busy.」という発話の背景には、John が忙しそうにしているのを見て、その有り様をそのまま表現したものかもしれないし、「Ask John to help us.」という発言があったから、こう表現したかもしれない。つまり、この発話のコンテキストは、自分で如何様にでも取って付けることができてしまう。映画や小説では、場面設定があるので、コンテキストは特定可能であろうが、個々の発話について、コンテキストを与えることには、「ちょっと待った」ということになろう。


 よって、ある一文を自前の例として挙げて、「こういうコンテキストを与えれば、この発話は可能だ」という論法は間違いだなと思ったワケです。そんなことしたら、無限に用例を作り上げられるので。コンテクストは無数にあるだろうが、発話からコンテクストを考えるのではなく、あくまで、「コンテクストがあって発話があるんだ」ということ再確認しないといけない。だから、含意が生まれたり、省略現象が起こったりするワケで。





危うく、論文が暴走するところでした…。









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